イタリアの鬼才が放つ、リアルなおとぎ話ーー『五日物語』の特異なタッチが伝えるもの

3つに共通する“変身”というテーマ

 

 (ここからラストにも触れるので、ご覧になった方のみお読みください)ところで、『五日物語』で描かれる3つの物語は、いずれも同じ法則を持っているようにも思える。まず、はじめに何らかの明瞭なる「願望」があって、それを追求する中で「不思議な運命」の扉が開く。万事うまくいくかに見えるもそう巧くはいかず、願望が叶うことでまた別の「新たな願望」が呼び覚まされ、結果的に「皮肉な結末」が待っている……という具合に。

 そして3者はいずれも途中で何らかの“変身”を遂げる。そこではまるで母親の産道を通りさらに真っ赤な鮮血やそれを示唆する赤のイメージを身にまといながら、新たな誕生を経験するかのような演出が必ず付きまとうのである。

 ラストには頭上で綱渡りしていく曲芸師の姿。なるほど、人生は綱渡りのようなもの…。そう結論づけているようにも思えるのだが、しかし、そうとは言い切れない節も見て取れる。何よりもこの、3つ目のパートを担う王女の変身はどうか。これまで運命を委ねる存在だった彼女が、初めて自らの手で闘って、何らかの結果を奪い取ってみせる勇姿から、この『五日物語』が密かに奏でるもう一つの、極めてポジティブなメッセージが聴こえてこないだろうか。

 

 思えば序盤、ドラゴンの心臓を王が持ち帰るのをただひたすら待つだけだった王妃の姿があった。これとまるで対をなすかのように、ラストでは王女が何か威勢の良い「包み」を抱えて血まみれになって帰還を遂げるのだから、これは登場人物を俯瞰したレベルにおいて“生まれ変わり”が働いていると見るべきだろう。

 まるですべての吹き溜まりを霧消させ、空から晴天が降ってくるような清々しさ。そして勇ましく生まれ変わった王女の胸には、その場にいない二人の女性たちの魂が同居しているようにも思える。歴史上の気高き女王たちにも負けずおとらず凜としたその姿に、これからは男たちに左右されず、自らの力で運命を切り開こうとする不動の信念すら感じたのだった。

■牛津厚信
映画ライター。明治大学政治経済学部を卒業後、某映画放送専門局の勤務を経てフリーランスに転身。現在、「映画.com」、「EYESCREAM」、「パーフェクトムービーガイド」など、さまざまな媒体で映画レビュー執筆やインタビュー記事を手掛ける。また、劇場用パンフレットへの寄稿も行っている。Twitter

■公開情報
『五日物語-3つの王国と3人の女』
11月、TOHOシネマズ六本木他全国ロードショー
監督:マッテオ・ガローネ
出演:サルマ・ハエック ヴァンサン・カッセル トビー・ジョーンズ ジョン・C・ライリー
配給:東北新社 STAR CHANNEL MOVIES
2015 ARCHIMEDE S.R.L.-LE PACTE SAS
参考:itsuka-monogatari.jp

関連記事