モルモット吉田の『溺れるナイフ』評:菅田将暉によって、山戸映画の男が血肉通った存在になった

モルモット吉田の『溺れるナイフ』評

映画の中のカラオケ

 それから山戸作品の特徴でもあるカラオケにもふれておきたい。カラオケとは、かつてのディスコに匹敵するほど、映画で撮ってもこれほどつまらないものはないと思わせる空間である。狭く、動きが限定され、わざとらしく盛り上がって唄うか、突っ立って唄うかしかない。つまり、どう撮っても面白くはならないのだ。下手をすれば1曲丸々、2〜3分も歌い続けるだけに、その時間をどう使うかで監督の力量が露骨に出てくる。日本映画史上最高のカラオケシーンは北野武の『3−4X10月』(90年)でダンカンが中島みゆきの『悪女』を唄うシーンだろう。歌の始まりから終わりまでを1カットで撮り、狭いスナックを魚眼レンズで360度回転しながら、歌の間にビートたけしと渡嘉敷勝男が、店に入ってきたヤクザとトラブルになり、ビール瓶と素手で相手を倒す。空間と時間と歌を巧みに取り入れたカラオケの映画的活用である。

 山戸の場合は『Her Res~出会いをめぐる三分間の試問三本立て~』でカラオケBOXの中で女子同士がもうひとりの女子をめぐって張り合い、最後には前野健太の『友達じゃがまんできない』が味わい深く流れてデュエットする。エンドロールでは同曲を大林宣彦版『時をかける少女』(83年)のエンディングの様に、劇中の各シーンがリピートされ、1パートずつ出演者が唄うという趣向になっており、カラオケと映画を有機的に結びつける設定に感嘆した。『おとぎ話みたい』には趣里の一人カラオケシーンがある。おとぎ話の『Boys don't cry』を唄い始めるが、ライブハウスでおとぎ話が同曲を唄うシーンとシンクロし、ライブとカラオケが一体化する。趣里も最初は座って唄っていたが、やがて椅子の上にあがって上下に身体を揺らしながら唄い続ける。これもまた、単調なカラオケ場面とは一線を画すものだ。そして『溺れるナイフ』では、スナックで大友が吉幾三の『俺ら東京さ行ぐだ』を唄う。大友の心情を代弁するかの様にキャメラが激しく揺さぶられ、原作のファンがどう思ったかはさておき、山戸作品にふさわしい名シーンとなった。もちろん、このパフォーマンス的歌唱演技で3分ほどの時間を飽きさせなかった重岡の力量に負うところが大きい。

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 さて、メジャーの商業映画へ進出を果たした山戸結希だが、30年ほどの時差はあるものの、同じ「ぴあフィルムフェスティバル」出身で商業映画へと向かった園子温が背水の陣で初めての漫画原作に挑んだ『ヒミズ』(12年)にまでかかった長い歳月を思えば、わずか3、4年で同じ位置まで来たことに驚かされる。園子温が試行錯誤を繰り返しながら商業映画の中で折り合いをつけて自身の色を出し続けている様に、山戸結希もこれから時間をかけて様々な企画を前にして試行錯誤を試みるのだろう。それに一喜一憂しながら付き合い続けるのが山戸結希と同時代に生きる者の特権である。

 最後に余談を――来月発売になる『ひそひそ星』のBlu-ray、DVDのオーディオコメンタリー収録時に園子温監督から聞いた話だが、映画の後半に聴こえてくる男女のひそひそ声は、男の声は園子温、女の声はたまたまスタジオに挨拶に訪れた山戸結希に声を入れてもらったという。これは耳をすませて聴く価値がありそうだ。

※脚本は『シナリオ 2016年12月号』(日本シナリオ作家協会)掲載分より引用。

■モルモット吉田
1978年生まれ。映画評論家。「シナリオ」「キネマ旬報」「映画秘宝」などに寄稿。

■公開情報
『溺れるナイフ』
11月5日(土)TOHOシネマズ渋谷ほか全国ロードショー
出演:小松菜奈、菅田将暉、重岡大毅(ジャニーズWEST)、上白石萌音、志磨遼平(ドレスコーズ)
原作:ジョージ朝倉「溺れるナイフ」(講談社「別フレKC」刊)
監督 山戸結希
脚本:井土紀州、山戸結希
音楽:坂本秀一
主題歌:「コミック・ジェネレイション」ドレスコーズ(キングレコード)
製作:「溺れるナイフ」製作委員会(ギャガ/カルチュア・エンタテインメント)
助成:文化芸術振興費補助金
企画協力・制作プロダクション:松竹撮影所
制作プロダクション:アークエンタテインメント
企画・製作幹事・配給:ギャガ
(c)ジョージ朝倉/講談社 (c)2016「溺れるナイフ」製作委員会
公式サイト:gaga.ne.jp/oboreruknife/

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