破壊の魅力を描くアニメーション 宮崎駿と庵野秀明、そして『アングリーバード』

『アングリーバード』の破壊的アニメ表現

 しかし、ここでひとつ問題が浮上してくる。たしかにアメリカ先住民は侵略された側であり、その戦いは正当防衛と呼べるが、敵の街を破壊するという行為を爽快に描くところまでやってしまうと、その描写が暴力礼賛、報復礼賛のメッセージだととられる余地がある。『アングリーバード』や『シン・ゴジラ』の破壊シーンに、なにか罪悪感のようなものを我々が持ってしまうというのは、その「暴力」に快感やカタルシスを感じ、どこかでそれを肯定してしまっている自分自身を見せつけられるからではないだろうか。

 それは作り手の側も同じである。『風の谷のナウシカ』で宮崎駿監督が庵野秀明に担当させたという、『シン・ゴジラ』の破壊シーンの原点ともいえる、巨神兵による破壊シーンを思い出してほしい。ここで作り手が描きたかったのは、文明によって自然を支配しようとする人間の傲慢さと愚かしさである。にも関わらず、巨神兵のビーム攻撃による爆破炎上の様子は、ものすごくかっこいい。「戦争はかっこいいぞ」、「でもだめだぞ」、「戦争はかっこいいな」、「いや、でもダメだぞ」宮崎駿監督の活劇作品は、これの繰り返しである。イデオロギーでは戦争に反対しているのに、戦闘描写やミリタリー描写に、必要以上の愛情を込めて描いてしまう。頭と心が乖離してしまっているのである。

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 宮崎駿監督が『風立ちぬ』で描いたのは、戦争という悲劇が起こったことによって、優れた飛行機を設計するという夢を叶えることができた男の姿である。そこではおそらく、宮崎監督が自覚する、自身の矛盾した内面が投影されているはずだ。そしてそれは、テーマと魅力が矛盾してしまっている、多くの娯楽作品があらかじめ持っている「業」でもある。『アングリーバード』や『シン・ゴジラ』の都市破壊に凄まじい熱量を生じさせている原因のひとつとは、おそらくこのような、作り手や我々のなかにある理性と感情による摩擦なのではないだろうか。

 いま、ディズニー作品を中心に、アメリカのアニメーションの多くは、様々な意味で「進歩的で正しい」作品を作り、子供たちをより良い方向に導こうとしている。そのなかにあって、このような、正しいのか何なのかよく分からない描写を含んだ作品に出会うというのも、映像作品を「体験」することの醍醐味の一つであろう。

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter映画批評サイト

■公開情報
『アングリーバード』
公開中
監督:ファーガル・ライリー、クレイ・ケイティス 
製作:ジョン・コーエン
日本語吹き替え版声優:坂上忍(レッド)、りんか&あんな(ベイビーバード)、前園真聖(ジョニー/ピッグセブン)
配給・宣伝:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
公式サイト:http://www.angrybird-movie.jp/

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