『君の名は。』はなぜ若い観客の心をとらえた? 新海誠の作風の変化を読む

 物語の前半は、大林宣彦監督の『転校生』のような、高校生の男女の肉体が入れ替わり騒動を起こすという、軽いラブコメ風に展開していく。ここで注目したいのは、女性の身体になった男子高校生が思わず自分の「おっぱい」を揉み、逆にヒロインは、股間にあるモノを手で握ってみるという描写だ。これは「入れ替わりもの」として常道のシーンのようであるが、新海作品としてはあまりに異質な下品さを持っている。だが一般的な高校生であれば、間違いなく「確認作業」を行うに決まっている。共感を呼ぶためには、絶対に通らなければならない描写なのだ。そして、「おっぱい」という小さなスケールをくぐり抜けることで、後半に起こる「天文現象」という大スペクタクルにもリアリティが与えられることになる。

 

 これら、「非・新海」的な要素が本編にまんべんなく振りかけられることによって、本作は「メロドラマ」としての構成要件を満たすことができている。そのおかげで、紛れもなく新海作品でしかないような、後半の内省表現にも観客はのめり込んで観ることができる。つまり、いままでの新海的な要素もひっくるめて、多くの観客に評価されたということである。

 しかし、設定にはところどころ破綻が見られる。そもそも「身体の入れ替わり」とは何だったのか。巫女の血筋であるヒロインには、超常的な力が付与されていることから、ある程度観客側が理由を補完することが可能だとしても、なぜ彼女が乗り移る対象が「彼」でなければならなかったのか。娯楽に徹した作品ならばとくに必要だと思われる、基本的な部分での論理的説明が欠けているのだ。それは本作の脚本が、ドラマの盛り上がりを中心に考案されたものであるからだろう。だから、実際の震災をモチーフにしたと思われる「災害」も、恋愛劇の背景にしてしまう危うさすら持っている。

 このような論理的欠如をかろうじて成立させようとするのが、「組紐(くみひも)」という、人間の思考を超えたところにある「絆」の存在だ。これは「赤い糸」の伝説のような運命論的な恋愛関係のイメージである。内的世界へダイブする主人公が目にするのは、「組紐」が「へその緒」という、母と子のつながりに変遷する瞬間である。子が親を選べないように、ここでは、人と人とのつながりも、あらかじめ決められた運命のなかにある。

 本作には『月刊ムー』という、実際のオカルト雑誌が小道具として登場する。80年代、「ムー」の文通相手を募集するコーナーで、「前世ブーム」なるものが起こったことを知っているだろうか。そこでは文通相手の条件が、「前世に関わりがあった人」でなければならず、前世の記憶にあるキーワードや名前を伝え合うことで、彼らはお互いにスピリチュアルな関係を築こうとしていた。これが流行った背景には、現実の人間関係への疲弊や、利害を超えた、たしかな絆を結び合いたいという想いがあったからだろう。そのようなコミュニケーションを超える「強い」人間関係への希求というのは、現在も変わらず存在し続けているはずだ。本作で主人公が、バイト先の魅力的な先輩という「他者」でなく、自分と合一したスピリチュアルな存在を求めてしまうのは、「論理を超えて誰かとつながっていたい」という願望の発露であり、それこそが運命的な「組紐」の正体であるはずだ。しかしそれは、内的世界への退行願望でもある。

 新海作品の表現の原点ともいえる『新世紀エヴァンゲリオン』が、現実という向かい風のなかで、ときに後退しながらも、少しでも前に進もうという意志を描いた作品であるのに対し、いままでの新海作品は、後ろ向きの方向にじりじりと後退し続けてきた印象を受ける。しかし、本作『君の名は。』の印象は少し違う。この作品には勢いがある。疾走感がある。だが向かう先はやはり後方である。新海監督は今回、迷いなく後ろを振り返ることで、向かい風を追い風に変えて、ついに後ろ向きにものすごいスピードで全力疾走を始めたのである。その鬼気迫る速度が観客を圧倒し、強引に論理や倫理をねじ伏せた。それは作家が信念を持って、自分の描きたい感情を、全く前方に振り返ることなく描き尽くしたからこその結果に他ならない。

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter映画批評サイト

■公開情報
『君の名は。』
全国東宝系にて公開中
声の出演:神木隆之介、上白石萌音、成田凌、悠木碧、島崎信長、石川界人、谷花音、長澤まさみ、市原悦子
監督・脚本:新海誠
作画監督:安藤雅司
キャラクターデザイン:田中将賀
音楽:RADWIMPS
(c)2016「君の名は。」製作委員会
公式サイト:http://www.kiminona.com/

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