竹内涼真と土屋太鳳、“ありえないキャラ”を普通に見せる『青空エール』の演技

相田冬二の『青空エール』評

 この映画のもっとも素晴らしい点は<超人的に爽やかな>男子と<おそるべき鈍感力を蓄える>女子とが、なんの理由もないまま、互いの応援を選択することにある。おそらく、一目惚れではない。訳もなく、そうなった。いや、ただ出逢ってしまっただけなのだ、と言わんばかりの素っ気なさで、映画はそのシークエンスを捉えている。ドラマティックに盛り上げたりはしない。電光石火の一瞬もない。このふたりにとって、それは<普通>のことだったのだ、という確信の下に、ふたりの出逢いは描写されている。この、ほとんど無欲と言っていい潔さが、全編を包み込んでいる。

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 監督の三木孝浩は『ソラニン』『僕等がいた』『陽だまりの彼女』『アオハライド』といったヒット作を手がけてきた人物だが、<青春ロマンス専科>といったなんとなくのイメージが先行しているだけで、その作家性はほとんど語られていない。思うに、彼の特性は、本来ありえない設定や展開やキャラクターなどを、すべて<普通>に見せてしまうことなのではないか。<超人的な爽やかさ>も、<おそるべき鈍感力>も、映画『青空エール』のなかではまったく変わったことには映らない。ふたりとも、ただひたむきなだけである。ひたむきさが<ひたむきすぎる>ことなんて、決してない。これが三木流のフィクションの在り方なのではないか。向かっている地点が<普通>だから、彼の映像やタッチには派手さがないし、奇を衒った自己主張は微塵もない。だからこそ、彼は映画作家として認識はされないし、おそらく、そんなことは彼自身が望んでいないのだと思う。

 凡庸ではなく<普通>。中庸ではなく<真っ当>。きわめて地味な目標地点を、この監督は志向している。<ひたむきすぎる>ことなんてない、という、しぶとく強く明るいひたむきさによって。そんな彼の姿は、職人というより、超人を思わせる。<普通>をめざすのがいちばん困難な道だからだ。路地裏でひっそり佇む超人、三木孝浩のエッセンスが凝縮されているからこそ、『青空エール』は正々堂々と爽やかなのである。

■相田冬二
ライター/ノベライザー。雑誌『シネマスクエア』で『相田冬二のシネマリアージュ』を、楽天エンタメナビで『Map of Smap』を連載中。最新ノベライズは『追憶の森』(PARCO出版)。

■公開情報
『青空エール』
全国東宝系にて公開中
監督:三木孝浩
脚本:持地佑季子
原作:河原和音「青空エール」(集英社マーガレットコミックス刊)
出演:土屋太鳳、竹内涼真、葉山奨之、堀井新太、小島藤子、松井愛莉、平祐奈、山田裕貴、志田未来、上野樹里
(c)2016映画「青空エール」製作委員会
(c)河原和音/集英社
公式サイト:aozorayell-movie.jp

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