菊地成孔の『ひと夏のファンタジア』評:言葉が浮かばない。今年前半で最も感動した、劇映画による「夢」の構造。

菊地成孔の『ひと夏のファンタジア』評

<ありきたりな結末(映画は全て夢である)>

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 つまるところ映画、厳密には映画の効果は、全て夢、厳密に言うと夢の効果なのである。しかし、あらゆる凡庸さ、あらゆる疲労、あらゆる既視感、あらゆる現代性によって、映画の第一属性ともいうべき、この夢=発生の連続性という力を、原始人に対する現代人の視力のように失ってしまっている。

 すべての映画は、これを取り戻すための叡智と努力さえ怠らなければ良いのだ。本作のように。

 数十秒のキスの後、二人は別れる。ユウスケは一人で花火大会に行き、イカ焼きのようなものにかぶりつきながら歩き回ったり、土手でビールを飲んだりしている。ヘジョンは、一人安宿の食堂で食事をし、安宿の風呂に入る。今まで「女優というにはちょっと地味かな?小劇場の女優かなんかだろう。ちょっと小保方似(STAP細胞)」と我々に思わせ続けた彼女の顔が、上気した肌と濡れた髪、落ちかけたメイクによって、驚くほどの艶を帯びる。ユウスケは土手で花火を見ている。そして、湯上がりの彼女も花火を見ている。

<素晴らしい、スローションのように素晴らしい音楽>

 劇中で流れる音楽は3ピースしかない。メロディーを持たぬそれは、一見イージーなセンチメンタル・コード弾きに聞こえるかもしれない。しかし、音楽家として言わせてもらうのであれば、こうしたコード弾きほど、音楽家の誠意とセンスが問われるものはない。本作でのコードの連結は、シンプルな情緒を、どれだけ新鮮に響かせ、しかもアクロバティックに聴こえないように連結されている。かなり高いセンスと技術である。

 そして、ドラマティックなことは何も起こらないのに、異様なまでに切ない夢。が終わると、イ・ミンフィによる、韓国語と日本語で交互に歌われる絶品のラブソングが、ゆっくりゆっくりと流れ始める。この曲を聴くためだけでも、本作を観るべきだ。そして、この歌を聴きながら、我々は、余りに切実な切なさを湛えた「夢の余韻」を抱えながら、ゆっくりとゆっくりと、静かに現実に戻るのである。その時の感情、つまり夢から現実に移行する経過に生じる感情は、「寂しい」に他ならない。我々は、「マッドマックス/怒りのデスロード」を見た帰り、「あー面白かった!大満足!」「超ヤバくなかった?!!」と口では言いながらも、間違いなく寂しさを感じているのである。

(文=菊地成孔)

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■公開情報
『ひと夏のファンタジア』
ユーロスペース(渋谷)公開中
7月2日(土) シネ・ヌーヴォ(大阪)、シネマスコーレ(名古屋)
7月9日(土) 横浜シネマリン
8月以降 シネマテークたかさき ほか、全国順次公開予定
脚本・監督:チャン・ゴンジェ
プロデューサー:河瀨 直美、チャン・ゴンジェ
共同プロデューサー:百々 俊二、キム・ウリ
撮影:藤井 昌之
照明:松隈 信一
現場録音:キム・ヒョンサン
出演:キム・セビョク、岩瀬 亮、イム・ヒョングク、康 すおん

製作年:2014年
製作国:日本/韓国
上映時間:1時間36分
製作:NPO法人なら国際映画祭実行委員会 / MOCUSHURA
配給:「ひと夏のファンタジア」プロジェクト2014-2015
(C) Nara International Film Festival+MOCUSHURA

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