『山河ノスタルジア』半野喜弘が語る、映画音楽の哲学「監督や役者がリアリティを追求する中で、僕は嘘みたいな音楽を付ける」
「音楽が持つ映画的な嘘が、映画からリアリティをハズす」
ーー映画音楽を作る上で、最も重要視していることはなんでしょうか?
半野:人によって全く違うとは思いますが、僕はいちスタッフとして作るように意識しています。自分のやりたいことを目的とするのではなく、映画に一番最適なものを作るのが毎回のテーマです。映画作りにおける自分の役割を考えた時に、あくまで作品の世界を壊さずに良いものを作る必要がある。自分が一番いいと思うものを作っても、結局監督が編集の時点で違うものを採用してしまえば、そこですべてが決まってしまう。
ーー監督と意見がぶつかることもあるかと思います。
半野:最終的な判断は監督が行いますが、それは彼らが主導権を握っているからという理由ではない。映画製作の中で役者や音楽家に役割があるように、最後にOKとNGを判断するのが監督の役割なだけであって。作り手として悲しいところがあるとすれば、そこで監督が必ず正しい判断ができるわけではないということ。もちろん話し合いは行いますが、それが映画作りのシステムなので、時には違和感を覚えることはあるかもしれません。
ーーすごくフラットな考え方だとは思いますが、半野さん自身の理想はありますよね?
半野:映画音楽が単体で評価されることは稀で、作品が良いからこそ、その相乗効果で音楽にもスポットがあたると考えています。『ロッキー』や『タクシードライバー』などはその最たる例で、優れた作品であったからこそ、あの挑戦的な音楽も奇跡的に成功した。必要以上に完成されすぎた音楽は、映画をダメにしてしまう危険性もある。音楽以外が出揃っている状態のところに曲を付けていくわけですから、映画を構成する要素のひとつとして、作品全体を良くすることができれば、その音楽は成功だと僕は考えています。まぁ、挑戦的な音楽を作ってみたいとも思いますが、監督からしても採用するのは勇気のいる仕事だと思いますね(笑)。
ーーたしかに、映画作りの現場では、調和が重要視されるのかもしれません。
半野:音楽と映像を分けることがありますが、僕の中ではそもそもそこが違っていて。音楽は映画作りの最後に登場する画には映らないキャストのひとりで、フィクションの役割を一番多く持っている存在だと思っています。現実には絶対流れないものを作品に持ち込むわけですから。たとえフィクションであったとしても、役者の演技や画作りはリアリティを追求していくことが多いと思います。みんながリアリティを追求していく中で、僕たちが嘘みたいな音楽を付けていくんです。音楽が持つ映画的な嘘が、唯一、映画からリアリティをハズす役割を持っている。だからこそ、映画には夢があるんだと思います。
(取材・文=泉夏音)
■公開情報
『山河ノスタルジア』
4月 23 日(土)より、Bunkamura ル・シネマほか全国順次公開
監督・脚本:ジャ・ジャンクー
撮影:ユー・リクウァイ
音楽:半野喜弘
プロデューサー:市山尚三
製作:上海電影集団、Xstream Pictures、北京潤錦投資公司、MK Productions、ARTE、CNC、バンダイビジュアル、ビターズ・エンド、オフィス北野
出演:チャオ・タオ、チャン・イー、リャン・ジンドン、ドン・ズージェン、シルヴィア・チャン
公式サイト:http://www.bitters.co.jp/sanga/
(C)Bandai Visual, Bitters End, Office Kitano
『雨にゆれる女』
2016年公開
監督:半野喜弘(初監督)
出演:青木崇高、大野いと
公式サイト:https://motion-gallery.net/projects/hannoproject