『断食芸人』が映し出す“現在の日本”と、俳優・山本浩司の“何もしない演技”
映画はおおよそ撮影から1年ぐらいの時間を経て、ようやく公開の時を迎える。制作したときと、公開までは当然、タイムラグが生じる。にも関わらず、公開の時、そのときまさに旬となっている話題や事件に、内容が重なってしまう作品が時折出てくる。まるで何かそのときを待ち狙っていたかのように……。2007年の『幽閉者 テロリスト』以来になる足立正生監督の新作『断食芸人』は、まさに“現在の日本”に奇しくも合致してしまった1作といっていいかもしれない。
今はSNSで誰もが気軽につながることができる一方で、知らぬ間にトラブルに巻き込まれる時代。ひとつ問題を起こせばすぐに世間の好奇の目にさらされ、容赦なく断罪される。ひとつのトラブルが命取りになり、許されない。特に著名人への風当たりは加速度を増しているような気がしてならない。今年に入って起きたスキャンダルの反応はそれを物語っていると思うのは自分だけだろうか?
ゲス不倫にゲス議員、麻薬での逮捕に経歴詐称……。標的になった人物はことごとく吊るし上げられた。事が事だけに彼らに同情する余地もなく、擁護するつもりはない。ただ、こうも思う。“当人たちが社会から完全に抹殺されて、姿を隠すしかなくなり、何も言えなくなってしまう社会がこのまま進んでいってしまって果たしていいのか”と。
足立監督の『断食芸人』が突くのはまさにそこ。カフカの原作をベースにアイロニーとユーモアをもった語り口でひとつの寓話に仕立ててはいて、一瞬、奇天烈なカルト映画に思えるが、実はどっこい社会派。ポップな口調を隠れ蓑に日本の今をぶった斬り、まるで今の日本にたちこめる、なんともいえない不自由な空気を予見したかのように映し出す。有名人に祭り上げられた断食芸人の体を借りて。
シャッターが下りた店舗も目立つアーケード商店街に、ひとりの男が現れ、閉まった店の前でへたり込む。そこを通りかかった少年が何の悪気もなくSNSに写真を投稿。すると瞬く間に彼の情報が拡散され、誰が呼んだか男は断食男と祭り上げられる。男は何ひとつ語らない。すると周りが勝手に彼のことを解釈し始める。ある者は“これは今の社会に対する怒りの行動”と叫び、ある者は“単に有名になりたいだけのこざかしい行為”と断じる。それでも男はなにも語らない。すると周り反応はさらにエスカレート。侮蔑した汚い言葉を投げつけるものもいれば、現代の“神”と崇める者も出てくる。さらには政治利用しようとする者もいれば、勝手に男に集まってきた寄付金をふんだくる者も出てくる。本人の都合など構いなしで、時に多くの人間が押し寄せる。かと思えば、賞味期限が過ぎれば次には一気にひいていく。
この過程たるや今年に入っておきたいろいろなスキャンダル報道の一連の流れを一部始終再現したかのよう。何かのデジャヴが起きたような錯覚に陥る。そこからは否定しようのない、一瞬の熱狂によって見境がなくなった人間の下劣さ、愚かさ、卑劣さが露呈する。それは一方で自分が自分でいるために、いまどれだけ困難な状況かを物語ってもいる。さらに言えば、足立監督は、そこに戦争や原発事故を事象としてさりげなく差し込む。そう考えると、この作品は“日本の国民性”について言及した1作といってもはなはだ間違ってはいない気がする。