『断食芸人』が映し出す“現在の日本”と、俳優・山本浩司の“何もしない演技”
それにしても断食男を演じた山本浩司がいい。例えば『魔女の宅急便』のおソノの旦那のフクオ役であったり、NHKのドラマ『外事警察』の大友役であったり、メジャー作品でも欠かせない俳優になっている彼だが、ここでは何の感情も露わにしない、文字通り、ただそこにいるだけの男としてそこに存在している。“ただそこにいる”というのは簡単なようでいて、実は難しい。たとえば自分と照らし合わせたとしても、人は誰かと向き合ったとき、少なからず何かを演じている。役者という仕事を生業にした人間ならばなおさら。何かを演じることに全力を注ぐことを基本にしている彼らにとって、実は“何もしないでくれ。芝居をしないでくれ”といわれるほどぐらい辛く、戸惑うことはない。感情をストレートに出して表情豊かに演じるほうが、おそらく気持ちがいいし、“役を演じきった”という手ごたえもある。
だから役者は基本的にどんな役でも表現しようとする。その演じるということの中には、自己アピールも入っている。それは何も悪いことではない。やはり役者だったらその役を輝かせたいと思わねばならないし、その演技を認めてもらいたい。認められなければ次の声は決してかからない。キャリアにのちのちにつながっていくのだから、多少なりとも前に出ていかないと、という気が出るのは当然で、自分をPRすることも役者には大切な仕事だ。
その中にあって山本浩司という俳優は、役になにも足さないでただそこにいるだけのことができる稀有な存在だ。ある種の天賦の才。奇跡の役者といったら言い過ぎか。己の欲望や欲求をすべて捨てられる。ここはこうしたら役がもっとよくなるのではないかといった色気や役者としてのサービス精神も封印して、余計なことは一切しない。それができる。
今回の断食男役で、彼はただただそこにいつづける。悪夢にうなされることはあっても、それは内面であり、外に何か感情を発露することはない。傍から見ると、とらえどころのない男を苦も無く、自然にかといって存在感がないわけでもなく、空気のように体現してみせる。ここで見せる彼の演技にみえない演技は、どこか無名の人として存在し続けていた山下敦弘監督の初期作品『どんてん生活』や『ばかのハコ船』といった作品を想起させる。そういう意味で、山下監督作品を通ってきた人にとっては、あのころの山本浩司にどこか出会ってしまったような妙な感覚に陥るかもしれない。そんな楽しみもあることを付け加えておきたい。
(文=水上賢治)
■公開情報
『断食芸人』
渋谷ユーロスペースほか公開中
監督・編集:足立正生
主演:山本浩司
c2015「断食芸人」製作委員会
公式サイト:http://danjikigeinin.wordpress.com