アメリカの“文化系男子”ラブコメ『LOVE』は、『電車男』や『モテキ』とどう違う?
昨今、アメリカ映画の一流監督たちが、こぞってNetflixのドラマ製作に参入してきている。『ハウス・オブ・カード 野望の階段』にはデヴィッド・フィンチャー。『デアデビル』にはドリュー・ゴダード。『ナルコス』にはジョゼ・パジーリャ。そんな潮流の中、「ジャド・アパトー製作、脚本作品」というアナウンスを耳にした。そこで跳びつかないアメリカコメディファンはいないだろう。映画の監督作品こそ少ないが、映画・ドラマを合わせたプロデュース作品は数多くあり、そこからは、セス・ローゲン、ジョナ・ヒル、スティーヴ・カレルなど、現代のアメリカ人気コメディアンも多数輩出された。アパトー作品の常連組は、通称アパトー・ギャングと呼ばれる。そんなコメディ界の大物が、遂に『LOVE』を引っさげて参入してきた。
主人公はお人好しで映画や音楽を愛するガス(ポール・ラスト)。ヒロインは、直情的で、セックスやアルコールへの依存を止められないミッキー(ジリアン・ジェイコブス)。彼らには元々別の彼女、彼氏がいたが、諸々の事情から別れ、その後、コンビニでガスとミッキーが出会い、コーヒー代を立て替えたところから二人の関係は始まる。
日本の「文化系男子」の恋愛ドラマといったら、『電車男』(フジテレビ)と『モテキ』(テレビ東京)が代表格だろう。それらと『LOVE』の決定的な違いは2点ある。
1点目は、キャラクター造型である。『電車男』と『モテキ』は、共通して、主人公は戯画化された人物であると言える。『電車男』の山田剛士(伊藤淳史)は、アニメや声優のオタク。恋愛とは疎遠で、気弱で、インターネット上の巨大掲示板でしかまともなコミュニケーションがとれない。ヒロインを目にすると、極端に挙動不審になり、最初はほとんどまともに話せない。『モテキ』の藤本幸世(森山未來)は音楽や漫画などのサブカルチャーをこよなく愛す。恋愛体質ではあるが、30歳童貞であること、女性嫌悪などのコンプレックスを抱えている。それ故、誇大妄想から延々とひとり相撲を繰り返す。また、2作ともモノローグが多用されるが、内気な心情を語る上で、より説得力がもたらされる。そのため、端から見て頼りない二人の恋の行方は、視聴者を不安にさせることもあり、それ故にストーリーに強力な推進力を生み出す。
一方、『LOVE』の主人公ガスは、戯画化されていない。オタクではあるが、社交的で、端的に言ってリア充。真面目でお人好しだが、何の予兆もなく気持ちをぶつけることもある。ドラマなどの撮影現場に足を運び、子役に勉強を教える教師という地に足のついた仕事はあるが、片手間で脚本を書いてシナリオライターの夢も見続けている。前述した日本のドラマのような「文化系男子」にはくくれない。
2点目は、恋愛が非日常的なものか、日常的なもののひとつかの違いである。 『電車男』、『モテキ』に共通するのは、恋愛が非日常的で、祝祭であることだ。第1話冒頭では恋愛に縁がないが、運命的な出来事によって、女子に恋をし、人生がバラ色に変化する。その結果、ドラマの中では恋愛の夢心地な部分も疑似体験できる。
一方、『LOVE』では恋愛の夢をほとんど見させてくれない。ガスにとって、恋愛は、日常生活の一部に過ぎないものとして描かれるからだ。まず、ガスが登場する最初のカットで、ごく普通のカップルの、何気ないやりとりが描かれる。そこから、本作では恋愛が特別なものではないことが提示される。ガスにとって、同じ趣味の友だちと過ごすのも、仕事をするのも、恋愛的なやりとりをするのも、平常心でのぞむものである。その日常的な出来事の中に、ジャド・アパトーらしく下ネタギャグが挿入されるのだが。