菊地成孔の欧米休憩タイム〜アルファヴェットを使わない国々の映画批評〜 第4回(後編)

菊地成孔の『ビューティー・インサイド』評:新しい「ゲイ感覚」に駆動される可愛い映画

とさて、話はいよいよ韓国ですが

 ここ数年のテレビドラマの傾向というのがあって、主人公が心の病を抱えているんですね。それで必ずその主治医が出てくるんです。もちろんメジャーの局が製作するオーバーグラウンドの、日本で言うTBSやフジテレビのドラマの主人公の大半が、ここ数年にわたって心の病を抱えており、そしてその考証も見事で、しかも傑作ぞろいなんですね。

 韓流だとか嫌韓とか言っている人々は余り語らない所ですが、韓国はベトナムに派兵していました。要するにベトナム戦争に参加していた訳ですね。首都のソウルに米軍基地があり、おなじ「同盟国」としても米軍との繋がりが日本より遥かに深いんですね。ていうかまあ、日本は軍を持たないので、そもそも成り立たないんですが、韓国には韓国軍がある上、米軍もある。

 この二つは協力関係にならざるを得ず、ベトナムには我々が思っているよりも遥かに多くの韓国軍兵士が派兵されていました。<戦争が精神分析を定着させるという定式>は、そもそも北朝鮮と停戦中であり、経済的にも非常に不安定である韓国は、ベトナム戦争というキツい一発によって、ある意味でのアメリカナイズ、つまり日本より遥かに精神分析がカジュアルになったんです(因に、軍事政権と革命、経済的な不安定が定常化している南米も精神分析大陸です)。

マニアは「シガ」と呼ぶ画期的作品から始まる(ネタバレの連続注意)

 <韓国テレビドラマ史>等と構えると非常に長くなるので、神経症/精神病という軸でさらっと眺望するに、画期をなしたと言われる作品として『シークレット・ガーデン』という傑作ドラマがあげられます。

 2010年オンエアのこの作品では、ヒョンビン演ずる主人公がデパートのオーナーで大金持ちなんですが、出社してから社長室に入るまで、エレベーターに乗らず、エスカレーターで移動し、つまり社員全員と顔を合わせる事から社員から慕われます。

 しかしそれは、パニック障害持ちで、エレヴェーターに乗れないからなんですね。そしてその<なぜエレベーターに乗れないのか?>ということが、物語の重要な鍵になります(それを超えた、もっとデカいネタ=超コミカル。が作品を駆動するのですが)。医療考証も、それに基づいた脚本も見事な傑作です。

 この成功を受け、13年の『主君の太陽』は、巨大ショッピングモールの社長と、霊能力がある女性のラヴストーリーですが、社長は子供の頃に誘拐されたトラウマから識字障害を持っていて本が読めません(先を急ぐためさらっと記述しますがこれも大変な傑作)。

 以下、傑作ぞろいですが、同年の『君の声が聞こえる』の主人公もやはり、幼少期のトラウマから失声症になり、やがてテレパスの能力が身に付きますし、14年の『ピノキオ』は、「嘘をつくと自律神経の反射でしゃっくりが出る=嘘をついても必ずバレる」という、<ピノキオ症候群>という架空の神経症を設定し、「そんな主人公がナーナリストに成ったら?」という大ネタを発案しています(女性主人公のパク・シネは、本作にも「ある日の男性主人公の姿」として一瞬登場し、主人公の病気を知っている唯一の友人男性に「お前、その姿のうちに、一回だけセックスさせろ。ダメだったら裸になるだけで良い」という素晴らしい台詞を言わせます)。

 決定打となったのは15年の『大丈夫、愛だ(ケンチャナ・サラン)』という作品で、このドラマは2000年代の韓国テレビドラマのグレードを何段階も上げたと言われています。「イケメン売れっ子ホラー作家と、自らもセックス嫌悪症を持つ女性精神科医の恋」という設定は一見やりすぎですが、主人公は統合失調症で、存在しない少年時代の自分と行動を共にします。このドラマも相当高いリテラシーの医療考証を使って、つい最近まで緩解は不可能とまで言われていた統合失調症を直していきます。

 その後、いよいよ多重人格を扱った作品が2作オンエアされます。

 16年の『ジキルとハイドに恋した私』は、タイトル通り2つの相反する人格の分裂を扱い、起爆である『シークレット・ガーデン』のヒョンビンが兵役を終えた復帰第一作だというのに、失敗作と看做されていますが、同年オンエア(日本では4月にDVDBOXリリース)の『キルミー・ヒールミー』は所謂『 24人のビリー・ミリガン』型で、7つの人格を1人の役者が演じ分け、多重人格モノの傑作とされています。

 こうした、「人格分裂」に収束して行くミドルスパン(約7年間)のトレンドが、本作「ビューティー・インサイド」と100%無関係だとはとても言えません。

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