『いつ恋』『わたしを離さないで』が、ドラマ好きから高く評価される理由
あなたは現在放送中のドラマ、『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』(フジテレビ系、以下『いつ恋』に略)と『わたしを離さないで』(TBS系、以下『わたし』)を見ているだろうか。
『いつ恋』は若者の貧困と東京生活の辛さ、『わたし』は臓器提供のために生まれたクローン人間という重苦しい設定が敬遠されたのか視聴率では苦戦しているが、その一方で見ている人の満足度は高い。私の友人・知人のいわゆる“ドラマ識者”たちの間でも評判がよく、私自身も各メディアで称賛してきたが、終盤を迎える今、それが間違っていなかったことを実感している。
その魅力は、『いつ恋』は有村架純、高良健吾、『わたし』は綾瀬はるか、三浦春馬、水川あさみというメインキャストというより、「純粋なドラマ内容だけで評価できる」ほどの優れた脚本。
両作は重苦しい世界観のため、視聴者は基本的に「主人公を自分に置き換えて見よう」「ヒロインに共感したい」という発想を持たない。必然的に「私だったらどうなんだろう……」ではなく、「この子はどうなってしまうんだろう」と“見守る側”の立ち位置になる。共感ではなく応援。自分を主体として見るのではなく、主人公を主体として見る傍観者なのだ。
『いつ恋』『わたし』が「面白しくない」と感じる人は、おそらく自分が主体になりたい人であり、だから「自分は重苦しくて見ていられない」という感想で終わってしまうのではないか。しかし、少し見方を変えて傍観者にさえなれれば、これほど面白い作品はない。
どちらも“特定の誰かが敵”ではなく、「“見えない巨大な敵”に立ち向かう」という難しい状況だからこそ、魂から絞り出すようなセリフが次々に紡がれていく。脚本家が「その難しい状況や魂のセリフをどう受け取りますか?」と視聴者に投げかけているのだ。
最近の連ドラは、「見るからに正義」と「見るからに悪」の対立構図、テロップやナレーションの多用など、わかりやすさ重視の作品が大半を占めているが、それは「こう見ればいいんだよ」と視聴者を誘導していることの証拠。その点、『いつ恋』『わたし』は、「きっとこうだろう」「いや、やっぱりこっちかも……」と視聴者の思考回路を動かそうとしている。