『サウルの息子』ネメシュ・ラースロー監督インタビュー

「人類が破滅に向かう危機を感じている」カンヌグランプリ受賞作『サウルの息子』監督インタビュー

ネメシュ・ラースロー監督

 第68回カンヌ国際映画祭グランプリ受賞、第73回ゴールデングローブ賞外国語映画賞受賞、そして第88回アカデミー賞外国語映画賞ノミーネートーー。ハンガリー出身の38歳無名新人監督が、初長編監督作『サウルの息子』で世界を興奮の渦に巻き込んだ。舞台は1944年10月、アウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所。ゾンダーコマンド(ナチスにより収容所の中から選抜された、死体処理に従事する特殊部隊)として働くハンガリー系ユダヤ人のサウルが、息子の遺体を正しく埋葬しようと、人間としての尊厳を貫き通そうとする2日間を描き出す。リアルサウンド映画部では、昨年11月に来日したネメシュ・ラースロー監督に取材を行い、本作に込めた思いや撮影背景などについて、話を訊いた。

「エキストラの数は、予算の上限ギリギリの400人ほど」

『サウルの息子』

ーー長回しなどの撮影スタイルが非常に特徴的で惹きつけられたのですが、撮影も大変だったのではないでしょうか?

ネメシュ・ラースロー監督(以下、ラースロー):そうですね。撮影では、難しくないように普通に見せることを意識したので、すべてのシーンが非常に大変でした。どのシーンが難しかったは答えにくいですが、敢えてひとつ挙げるとするならば、水の中に入っていくシーンですね。本作には、中盤とラストに水のシーンが2つあるのですが、機材的にも動き的にも音的にも、水を使うシーンはどちらもとにかく大変でした。

ーー水といえば、エンドロールの最後のほうで、雨がしたたる音が聞こえたように思いました。

ラースロー:よく気付きましたね。あれは実際の雨の音なんですが、私はそこをとても意識しました。その理由のひとつはコントラストです。映画の中では、死体を燃やすシーンだったり、焼却炉が出てくるシーンだったり、“火”が頻繁に出てきます。その“火”に対する“水”=“雨”という意味で使いました。何かを表現したかったというわけではありませんが、私の本能的な部分が働き、火があったら水がないといけないという、そのようなバランスを考えて入れました。

『サウルの息子』

ーー“涙”という意味も込められているのでしょうか?

ラースロー:“涙”としても解釈はできますが、どういう解釈をするかというのを言ってしまうのはスマートじゃないので…。でもあの最後の雨のサウンドは、人によっては火を鎮火する水というように思う人もいれば、涙と解釈する人もいるし、それはもう人それぞれです。映像がぼやけていたりフォーカスがあっていなかったり、現実なのか夢なのか、狂っているのか狂っていないのか、映画の世界そのものがすごいあやふやで、ハッキリとはわかりません。そのような状況の下、ひとつ枠を作るという意味で、火や水といった元素は非常に重要なポイントで、映画の世界を占める役割も果たしています。

ーー“映像がぼやけている”という話が出ましたが、そういったぼやけた映像の中でも、死体役のエキストラなどは、細かい動きをされていたように思います。

ラースロー:エキストラも非常に重要な脇役でした。ぼやけている映像の中で、後ろのほうで動いてもらうという形だったので、普通は「適当にその辺りを動いてください」という指示が多いと思うのですが、私は今回、監督経験のある友人に頼んで、エキストラ用の監督をしてもらいました。彼には、エキストラの方たちに、誰がどこでどのように動くかを脇役並みに指示してもらいました。ぼやけていたり、半分しか見えていなかったり、フォーカスが合っていなかったりというシーンでも、背後ではみんなしっかり忠実に動いている。そういう見えていない部分も、全部ちゃんと動かすということに気をつけました。エキストラの数は400人ほどだったのですが、予算的にはそれぐらいが限界でしたね。

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