クリスマス公開中の恋愛映画、『きみといた2日間』と『COMET/コメット』を観る
クリスマスに観るのが適切かどうかはさておき、世の中には男女が延々と会話し続けるだけという類の映画が存在します。かつてはフランス映画のお家芸だった男女の会話劇。主な議題は、もちろん「愛(ラブ)」です。しかし、その手の映画の中心地は、リチャード・リンクレーター監督の『恋人までの距離(ディスタンス)』(1995年)以降、徐々にアメリカへと移ってきたように思うのです。(※メイン写真は『COMET/コメット』のもの)
ヨーロッパの長距離列車の中で偶然出会った男女が意気投合し、おしゃべりしながらウィーンの街を歩き回るだけ、という『恋人までの距離(ディスタンス)』。しかし、これが滅法面白かった。初対面の男女が、どんなことを話しながら、互いの「距離」を縮めたり、あるいは離したりするのかを延々眺め続けるのは、なかなかどうして意外と面白いものです。なんか勉強になるし。というか、「脚本」の本質的な面白さって、プロットではなく、そんな細部にあるのではないでしょうか。もちろん、その後、本作の邦題が、原題に忠実な『ビフォア・サンライズ』に変更され、その9年後に同監督、同キャストによる『ビフォア・サンセット』(2004年)が、さらにその9年後に『ビフォア・ミッドナイト』(2013年)が作られるなんて、当時は夢にも思っていなかったけれど。
ということで、本稿では、クリスマス対策として、そんな「ひと組の男女の会話劇」の流れを汲むと思われる、現在日本公開中のアメリカ映画を2本、ご紹介したいと思います。まず一本目は、ニューヨークを舞台とした映画『きみといた2日間』。なんとなくロマンチックな感じのする邦題がつけられた本作ですが、その内容は原題の“Two Night Stand”がストレートに表しているように、いわゆる「ワンナイトスタンド(一夜限りの情事)」ならぬ「二夜限りの情事」を描いた作品です。映画を観終えた今となっては、「“ネット恋活”から始まるこの冬いちばんのラブストーリー」というキャッチ・コピーに、やや首を傾けたくなる気分がないわけではないですが、まあ間違ってはいないか。ちなみに監督は、『卒業』(1968年)などで知られる名匠マイク・ニコルズの息子であるマックス・ニコルズ。本作が長編初監督作となるようです。
恋も仕事もうまくいかず、ルームメイトとの関係もギクシャクしているメーガン(アナリー・ティプトン)は、半ば自棄になってパートナー探しのウェブサイトに登録。そこで見つけた男性アレック(マイルズ・テラー)の家に、いきなり押し掛け、一夜の契りを交わします。しかし、翌朝メーガンがひっそり彼の家を出ようとしたところ、外は大雪。アパートの正面玄関が、開きません。そこでやむなく、彼の家でもう一晩過ごす羽目になる、という物語。行きずりの関係とはちょっと違うけど、互いによく知ることのないまま身体を重ねたあと、まさかこんなにも長時間過ごすつもりは毛頭なかった。というか、それっきり、もう二度と会わない可能性すらあった男女のぎこちない会話が、ある種の密室状態の中、延々と繰り広げられるのです。
自分のことは棚に上げながら、所詮パートナー探しのウェブサイトに登録しているような「男/女」ということで、どこか相手をみくびった言い回しになりがちなふたり。しかし、その会話はやがて、恋人でも友だちでもないからこそ、歯に衣着せず率直な、ある意味「本音」の話になってゆくのです。日頃、納得のいかない出来事から、周りの人間には正直に話せなかった自分の過去の話まで。このへんの展開は、意外にも『ブレックファスト・クラブ』(1985年)を彷彿とさせるところがあるのですが、そうこうしているうちに、やがてふたりもその事実に薄っすらと気づき始めるのです。なぜかいつもより、本音で語っていないか? というか、これって、もしかして恋なのか?
いささか唐突なようにも思えますが、その感覚、分からないでもない。これだけSNSが一般的なものとなった昨今、身近な関係よりも、むしろネットの「薄い」関係の他者のほうが、よっぽど気楽に話せるし、普段は言わない本音を語ってしまったりするもの。その挙句、他では得難い「濃い」関係ができてしまうことって、意外とあるものです。この映画では、その様子が、まるでリアルなドキュメントのように描き出されてゆくのです。そう、最初に身体の関係を持ってしまったとはいえ、初対面の男女が、どんなことを話しながら、互いの「距離」を縮めたり、あるいは離したりするのか。もちろん、そんなふたりがお互いの心に気づくのは、いつだって少々遅いのですが。