チェス映画は刺激的なものになり得るか? 壮絶な頭脳戦を描く『完全なるチェックメイト』の挑戦

 これだけ沢山の映画が作られている時代にもかかわらず、チェスをテーマにした映画は少ない。二人の人物が静寂の中で向かい合って、盤上で駒を動かすという行為は、映画として描くには極めて地味な光景である。それどころか、動かされるだけであるその駒をフレームの中心に捕らえるということは、映画に必要なモーションを著しく不足させてしまう。駒は予想外の動きをしないので、例えチェスのセオリーから逸脱した駒の動かし方をしたところで、予想外の動きをしたのは人物であり、観客の視線は盤上ではなく、駒を動かす人物に辿り着くため、チェスという競技を選択する必要性がなくなってしまうのだ。

 そのため、チェスは一種の小道具として扱われてばかりだ。物語をかき回す作用を持つ作品としてすぐに思い浮かぶものは、2001年に世界的大ヒットを飛ばしたクリス・コロンバスの『ハリー・ポッターと賢者の石』ぐらいだろうか。クライマックスの極めて重要なシーンにチェスが登場し、主人公たち3人よりも大きい駒を魔法の力を用いて動かすというシーンがある。そのシーンが映画として成立したのは、相手の駒を取った時に、自分の駒が突然動き出し、相手の駒を粉砕するというサプライズがあったからに他ならない。もちろん、人間の手の中に収まる大きさの駒を使った実際のチェスにおいて、そんなことは到底起こりようがない。

(C) 2014 Lions Gate Entertainment Inc. All Rights Reserved. Photo
Credit: Tony Rivetti Jr.

 一方で、チェス映画の代表格として挙げられるフセヴォロド・プドフキンとニコライ・シャピコフスキーの『チェス狂』でさえ、序盤にチェスの試合があるものの、大筋ではスラップスティックコメディが展開しているし、2000年に公開されたマルレーン・ゴリスの『愛のエチュード』は、あくまでもナボコフ調で綴られたラブストーリーの要素のひとつとしてチェスの世界選手権が描かれるばかりである。

 こうした流れが必然的に映画と観客とチェスとの距離感を広げていったのではなかろうか。しかし、我々が『アマデウス』を観てモーツァルトの人となりを理解したり、『炎の人ゴッホ』を観てゴッホを知っていくように、特定の文化を理解するためにはそのもっともポピュラーな人物を描き出した作品の存在が必要である。では、チェスにおける最もポピュラーな人物は誰か。間違いなくボビー・フィッシャーしかいないだろう。

(C) 2014 Lions Gate Entertainment Inc. All Rights Reserved. Photo
Credit: Tony Rivetti Jr.

 冷戦期に、アメリカ人として初めてチェスの世界チャンピオンになったボビー・フィッシャーは、2008年に64歳で波乱に満ちた生涯に幕を閉じた。その奇行の数々と、繰り返される失踪によって生ける伝説となっており、2000年頃には日本で生活していたそうだ。もっとも、チェスに暗い映画ファンにとっては、スティーブン・ザイリアンの『ボビー・フィッシャーを探して』で語られるチェス界の伝説としてのイメージしかないのも仕方ないことである。

関連記事