『遺産争族』から榮倉奈々を考える
万国の榮倉奈々至上主義者よ、団結せよ!『遺産争族』の見どころはここだ!
向井理が言う「甘えるな!」
榮倉奈々が答える「甘えるよ!」
その瞬間の榮倉奈々の腕白そうな表情。それがもう、榮倉奈々至上主義者にはたまらないのですよ。テレビ朝日系の木曜ドラマ10月期といえば、過去3年間は米倉涼子主演の『ドクターX〜外科医・大門未知子〜』シリーズがバカみたいな高視聴率を取っていた枠だけに数字的にはちょっと物足りないのかもしれないけど、放送第1回目からドラマ・ファンの間で「おもしろい!」と評判の『遺産争族』。まぁ、脚本は井上由美子(『白い巨塔』『昼顔〜平日午後3時の恋人たち〜』など)ですからね。題材とうまくハマった時の井上由美子の脚本は途中で息切れすることなく最後まで「おもしろい!」はず。というわけで、いかにもテレ朝らしい野暮ったい(でも、そこがいい)演出も含めて安心して楽しめるドラマなのだが、榮倉奈々のファンとしてはもうその長い手足の一挙手一投足にドキドキしっぱなしなのですよ。
と、書き始めて感じる、スマホやパソコンのスクリーン越しの読者からの冷めた視線。最近もあったんですよね。あれは今年の頭、40代女性向けのファッション誌の映画連載で『娚の一生』についてのコラムを書いた時。いきなり一行目から「榮倉奈々が好きだ!」と始めたところ、長年一度もNGを食らったことがない女性編集者から「これは、ちょっと……」と言われてしまった。その時にも改めて感じたのは「榮倉奈々の支持層って一体どこにいるんだろう?」ということ。ティーン誌のモデル時代から榮倉奈々の愛くるしさに慣れ親しんできた同年代の女性? それとも、俺みたいなオヤジ層? そういえば以前、20代男の知り合いから「榮倉奈々のファンにこれまで会ったことがない」という言葉をまさにそのままいただいたこともある(「俺だよ、俺」と言い返しましたが)。まぁ、少なくとも支持層が40代女性じゃないことはちょっと考えればわかる。あの時は正気を失っていた。
しかしながら、ここ数年、榮倉奈々ほどテレビドラマと映画、どちらにも偏ることなくその両方にコンスタントに出演し続け(それもほとんどが主演か二番手)、大ヒットもないけど大コケもなく(この時代それだけで立派)、コンスタントに結果を残し続けている女優がいるだろうか? こういうのは数値化するのが難しいけれど、「出演作」の数と「コケてない作品」の比率を掛け合わせて数値化したら、実は日本のトップ女優の一人として君臨しているのではないか。しかも、さりげなく。この「さりげなさ」が榮倉奈々のすごさだ。ちなみに、ほんの数ヶ月前まで、自分の中での女優トップ3は堀北真希と北川景子と榮倉奈々だった。それがどうして「ほんの数ヶ月前まで」なのかは察してもらいたい。今や、榮倉奈々は最後の希望でもあるのだ。
アイドル、シンガー、モデル、グラビアタレント、アナウンサー……こういう仕事を長年していると、ありがたいことに取材などで直接的に、あるいは仕事の現場で間接的に、いろんな職業の「容姿の美しさ」を自身の商品価値の一つとしている「女性のプロフェッショナル」の実物を目にすることがある。で、これは同じような立場の人なら誰もが同意してくれると思うけれど、個々の好みは別として、ジャンルとしての頂点は間違いなく「女優さん」。これはもう、美しさの平均値でいったら圧倒的。で、他の職業の女性と女優さんの何が一番違うかって言ったら、「表情」なんですね。他の職業の方が、写真だったり、ステージで歌う姿だったり、ランウェイを歩く姿だったり、水着姿だったりがキマればOKなのに対して、女優というのは顔の「表情」のちょっとした変化だけで周囲の景色を変えることができる、そんな魔法使いのような人だけに許された職業なのだ。
最初に榮倉奈々の表情を「腕白」と表現した。27歳の成熟した女性に対して相応しい言葉ではないかもしれないが、これ、「ボーイッシュ」というのとはちょっと違う。「ボーイッシュ」というとちょっと作為的に感じてしまうけれど、榮倉奈々の場合はもっと根源的な、生まれつき世界と融和している感じというか、まるで元気で健康な小学生の男の子のように世界に祝福されている感じというか。そう、言葉を変えると「イノセンス」かもしれない。ただ、女性に「イノセンス」というと処女性みたいなものと安易に結びつけられがちだが、そういうのとは全然違うのだ。わかるかなぁ?(「わかんねーよ」という声が聞こえてきます)