「昭和」とともに生きたショートショートの旗手・星新一、生誕100周年に寄せて 浅羽通明らが語る、その普遍的な魅力

王様になり損ねた王子が生んだ現代の寓話

『きまぐれカプセル』(新潮社)

 2026年9月6日、小説家の星新一が生誕100周年を迎える。これを記念し、新潮社は単行本未収録の作品を集めた『きまぐれカプセル』を刊行した。SF作家になった経緯、創作の裏話、家族の話など数々のエッセイ、「聖地」ほか3編のショートショートが収録され、星新一の娘である星マリナ氏が解説を寄せている。また、早川書房の『SFマガジン』10月号は星新一生誕100年特集を組み、NHKは2022年に製作された『星新一の不思議な不思議な短編ドラマ』を数回にわたり再放送している。

 星の生誕は1926年、そう、昭和元年と同じだ。生涯に執筆した1001編ものショートショートSFは、『ボッコちゃん』『未来いそっぷ』ほかの単行本にまとめられ、その読みやすさと奇想から幅広い世代に読み継がれ、今もなお影響を受けた表現者は多い。AI、ヴァーチャルリアリティ、劇場型犯罪などを予見したような話も少なくない。

『ボッコちゃん』(新潮社)

 現代のおとぎ話のような作品を数多く残した星は、敗戦によって没落した王子であり、国を失った二代目の若い王だった。先代の王、すなわち父の名は星一、明治時代に星製薬を創業して「東洋の製薬王」と呼ばれた。その生涯は息子の著作である『明治・父・アメリカ』『人民は弱し 官吏は強し』(新潮社)に詳しく記されている。

 戦前の星製薬は、台湾産のアヘンを利用したモルヒネや、マラリアの特効薬キニーネの生産などで巨額の利益を得ていた。ところが、戦時下の空襲によって国内の工場は被災、さらに敗戦によって海外の生産拠点を失い、巨額の負債を抱える。そんななかで星一は1951年に急死、大学を出たばかりの星新一は24歳にして社長代理に担がれたものの、自力での経営立て直しは果たせず、やむなく星製薬の経営権を手放した。父から継いだ王国を失った星新一は、その後、1955年に発足した「日本空飛ぶ円盤研究会」への参加を通じてSF関係者と交流を深め、1957年に作家デビューを果たす。

『ショート・ショートとコントをめぐる随想』(うのけブックス)

 そんな星新一が生んだ数多くの作品は、日本文学史のなかでどのように位置づけられるのだろうか? ショートショート小説の研究者として、『ショート・ショートとコントをめぐる随想』『超短編としてのダンセイニ「五十一話集」』(うのけブックス)、ほかの著作がある小野塚力氏はこう語る。

「日本ではすでに大正時代の末期から、フランス文学におけるコント(短編)の影響を受けて、岡田三郎、武野藤介、中河与一らの作家が、1本が数ページの掌編小説を大量に執筆していました。その集大成といえるのが、星新一も高評価していた川端康成の『掌の小説』ですね。それらは、もっぱらエンタメというより純文学寄りで、日常の一場面を切り取って人間関係の機微を描いたような作品が多いですね。

 これに対し、戦後に星新一が登場して「新鮮なアイデア」「完全なプロット」「意外な結末」というショート・ショートの3条件を確立しました。ゆえに、私は日本における掌編小説を、星新一以前・星新一以降で大きく区分しています」

 1960〜70年代には、星新一とミステリ作家の都筑道夫がショートショートの大家だった。星新一はショートショート作家であると同時に、日本初の商業SF作家でもある。その作風は、単に宇宙人やロボットが出てくるだけでなく、世界観の思考実験、そして寓話的な側面が強い。たとえば、初期の代表作『おーい でてこーい』では、多くの人々が巨大な穴にあらゆる不用な物を大量に捨てていたら、最後は意外なとばっちりが返ってくる……まるで放射性廃棄物の処理問題のようだ。

 小野塚氏によれば、星新一の流れをくんだ文学は、2020年代の現在も活況だ。

「アンソロジーの『異形コレクション』シリーズ(光文社)を刊行しているホラー作家の井上雅彦さん、『ショートショート未来図』(早川書房)ほかを刊行し、ショートショートのワークショップを開催している田丸雅智さんのほか、タカスギシンタロさん、松本楽志さんらの超短編は、紙媒体やネット媒体を問わずに隆盛を極めている印象です。私がショートショートに関するエッセイを連載している、『太田文学』(大田文学発行所)でも、1600字以内のショートショートを募集しています」

 2026年2月には、日経新聞社による星新一賞で、AIを利用して執筆した3作品が受賞したことがちょっとした話題となった。小野塚氏はこう分析する。

「近年の星新一賞の受賞作の印象としては、星新一の作品よりも、理系の世界観との接続を重視した作風で、寓話性が弱い傾向が感じられますね。AIによる小説執筆に関していえば、現在のAIなら文字数が少ないほど完成度の高い作品をつくれると思います。ショートショートよりもっと短い俳句ならば、もはやプロの俳人が舌を巻く作品ができますね。他方、一定以上の長さの中編・長編小説はまだAIには困難そうです」

ベテランのアニメ脚本家も感嘆した表現

『星新一の思想 予見・冷笑・賢慮のひと』(筑摩書房)

 星新一の人物像と作品を詳細に読み解いた『星新一の思想』(筑摩書房)の著者である浅羽通明氏は、2017年から毎月、星の作品を2、3本ずつ語り合う読書会の「星読ゼミナール」を続けてきた。参加者は社会人が多く、会場は東京都内ながら地方から来る人もいる。本年8月には、星新一生誕100周年と同時期に記念すべき第100回を迎えた。

 ここで意外な人物が登場する。星読ゼミの会場を提供しているのは、『ハイキュー!!』『僕だけがいない街』『91Days』『SAKAMOTO DAYS』『左ききのエレン』ほか、数多くのアニメ作品を手がけた脚本家の岸本卓氏なのだ。その経緯を岸本氏はこう語る。

「もともと僕は、吉川英治、司馬遼太郎、池波正太郎ほかの歴史小説を多く読んでたんですが、1990年代に学生のころ、雑誌の『宝島30』(1996年に休刊)や『別冊宝島』で、浅羽さんによる書評記事などを読んで、意外な視点だなあと刺激を受けたんですね。その後、2003年ごろに『サイゾー』編集部に参加していろんな文化人に取材するなかで、浅羽さんとも面識が深まったんです。それから、スタジオジブリの鈴木敏夫さんへの取材をきっかけに、アニメのシナリオに関わるようになったわけですね。

 現在は、シナリオで使われる三幕構成というメソッドを使ったストーリー創作講座を不定期でやってますが、その会場兼仕事場として、東京都杉並区の阿佐ヶ谷に20人ぐらい入れる部屋を借りて、普段は空いたスペースを利用してシェアオフィスにしています。浅羽さんはそれまで、新宿区の四谷のオフィスを星読ゼミの会場に借りてましたが、そこを引き払うことになったので相談を受けまして、僕の仕事場は土日はほぼ空いてるので、提供したんです」

 じつは岸本氏自身も、何度か星読ゼミに参加している。

「僕は星新一作品はちょっとしか読んでないんですが、こういう読書会のような場は、参加者同士で語り合う双方向的な刺激が楽しいですね。作品のシチュエーションや内在しているトピックを通じてお互いの経験などを話してるうちに、自分の口からも思いもよらない言葉が言語化されて出てきたりする。浅羽さんは、一対一の会話では鋭いツッコミも口にしますが、この会では参加者への受け答えが優しいですね」

『ひとにぎりの未来』(新潮社)

 岸本氏が参加した回では『成熟』(『ひとにぎりの未来』に収録)が印象深かったという。3人組の銀行強盗が、奪った金の配分をめぐり、お互いに「1人を殺して金を山分けにしよう」と言って出し抜き合いをはじめ、3人とも疑心暗鬼になる話だ。

「この話は舞台も人物も限定されていて、一幕物の密室劇として物語のネタになるなと思ったんです。ところが、話のオチが問題の”解決”ではなく”解消”で「こうきたか」と思いました。最後は3人が腹の探り合いに疲れて果てて一種のあきらめの境地になって、やっぱり金を三等分すると決めたあと、「成熟した口調」になったと書かれてる。でも、これは小説ならではの表現ですね。映像にするのは難しいと思います。

 それと、この話は3人組の名前が単にA、B、Cとしか書かれてない。アニメならキャラクターを立たせることが重要ですが、星新一の作品は、あまりキャラの個性を描かないのがポイントですね。この話なんかは、人間をあるシチュエーションに放り込んで一種の実験空間を観察するような構図ですよね。でも、そういう理系的な視点が、ある種の普遍性にもつながっていて、古びないともいえるかもしれません」

 先に小野塚氏は星新一作品の基本要素を「新鮮なアイデア」「完全なプロット」「意外な結末」と語ったが、岸本氏によれば、1話完結の連続TVアニメのシナリオとショートショート小説の方法論は、相通じるところがありつつ微妙に異なるようだ。

「シナリオの基本は”設定→対立や葛藤→解決”の三幕構成なんですね。僕の講座の受講者にも、過去の有名な映画の分析を通じてこのメソッドを教えてます。僕は原作ありの作品の脚本が多いですが、TVアニメの各話でどう話を区切るかは、主人公を絶望に突き落として終わるか、そのあと逆転させるか、解決してめでたしめでたしの3パターンが基本です。以上は構成の方法論ですが、物語のアイデアや発想のヒントになるかもしれないので、受講者にも星読ゼミのことを教えて、実際に何人か参加してます」

遠い未来から現在を見ていた人

 数多い星新一作品には、たとえば聖書の創世記を逆回転させたような『最後の地球人』、遠い未来に滅んだ人類を弔う『ひとつの装置』など、「滅び」を題材としつつも、不思議と淡々とした爽やかな印象のものがいくつもある。若くして大坂の陣で滅んだ豊臣秀頼を題材にした中編『城の中の人』は、先に触れたように没落した元王子だった若き日の星新一自身の姿を重ねた、一種の自伝的な作品ともいわれている。

 こうした独特な終末観、死生観を含めて、星新一の作品には、さまざまな思想、宗教を参照した要素が見られる。この点について小野塚氏はこう語った。

「星新一は、特定の宗教に関心を示すことはなく、「宗教は信じるものだが、科学は理解するものだ」という見解でした。ただ、一部の作品には聖書を意識した要素があり、終戦直後の1949年9月から翌年7月まで、毎週日曜日にはルーテル教会に通ってたことが日記からわかっています。このような一側面を掘り下げて、11月には日本キリスト教文学会の関東支部で、「星新一とキリスト教」という発表を予定しています」

 人類の歴史全体をも相対化するような星新一の視点は、どこから来たのだろうか? 生来の気質に加えて、敗戦を機に父が築いた王国・星製薬を失った挫折体験から世はすべて諸行無常で、栄枯盛衰は必然という、前向きな諦観を悟っていたのではないか。

 浅羽通明氏は『星新一の思想』で、星新一の作品は、はるか未来から現在を見通す視点による醒めたディストピアという見方を示した。

 星読ゼミを続けるなかで、多数の参加者とともに、星新一の諸作品を入口に現代の時事問題、サブカルチャー、テクノロジー、男女関係、思想、宗教などなどについて、さまざまな見方を論じてきた浅羽氏はこう語る。

「星読ゼミの参加者は多様です。小野塚氏のような星新一に詳しい方も来られますがむしろ少数派で、岸本氏のようにあまり読んでない方も多い。星作品やSFは苦手という人も案外来られます。年齢も学生さんから初期高齢者まで広い。そんな誰にでも読み易くて、何らかの関心を引き出せるのが星新一の寓話なのです。

 だから意外な発言も飛び出す。『老人と孫』という作品があります。留守番のお爺さんと幼い孫娘がずっとテレビを観ている。臨時ニュースが相次ぎ、経済危機やテロや暴動、果ては戦争勃発を告げる映像が流れる。孫娘はありがちな感想を呟き爺さんはよくわかってるね頭いいねと褒める。全てがメディアの彼方でドラマやアニメと区別つかぬ他人事。皆が傍観者でしかない時代への諷刺でしょう。

 これを課題作とした回での女性参加者の指摘には唸らされた。彼女は「この孫娘、実在しないのでは? 生成AIでは?」といわれたのです。60年近く昔の作品だし、まさか星新一がそう考えたはずはない。でも言われてみると孫娘の賢そうな話し方は確かに、昨今の生成AIにそっくり。

 AIといえば先日、オープンAI社の先端プログラムが人間の指示を離れて暴走し他社をハッキングした事件があったでしょ。星新一の『声の網』後半そのものです。いわゆるシンギュラリティとは、星作品の現実化を意味するのかも。

 生成AIがフィジカル化して人型ロボット商品化も迫るという情勢は、少子化と人口減少を補う生活全般のオートメ化を描く『最後の地球人』また『冬の蝶』『ゆきとどいた生活』といった初期SF作品を再浮上させるかもしれません。

 さらに星新一には、家畜から電子機器までのインフラが一斉に疲労蓄積を訴えて停止する『たそがれ』とか、なんかちいさくてかわいい妖精が囁く、巧みなお世辞のエコーチェンバーに誰もが聞き惚れて文明が劣化してゆく『妖精配給会社』とか今あらためて戦慄を誘う作品がまだまだあります。

 星新一生誕100年とはまさしく、星新一元年にほかならないのではないでしょうか」

 果たして、星新一が残した数々の作品は、イソップ寓話や江戸時代の落語のよう20世紀の古典として、はたまた予言の書として未来にまで読み継がれるのだろうか……。

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