東野圭吾の作品は時代を超えて読み継がれる“永遠の記憶”になるーー国民作家となるまでの軌跡を振り返る
デビュー作がいきなり大ヒットし、最初から活躍する作家がいる。一方、長き雌伏の時を経て、人気が爆発する作家もいる。そして東野圭吾は、明らかに後者であった。このあたりのことも含めて、作者の作家としての軌跡を語ってみたい。
東野圭吾は一九八五年、第三十一回江戸川乱歩賞を『放課後』で受賞し、作家デビューを果たした。乱歩賞応募三回目にしての栄冠である。女子高を舞台にした学園ミステリだが、作者がミステリに目覚め創作を志した切っかけとなった作品が、学園を舞台にした小峰元の乱歩賞受賞作『アルキメデスは手を汚さない』であることを考えると、それなりの影響があったのかもしれない。デビュー作に続く『卒業』は、仲良し大学生グループの中で殺人事件が起こる。これも学園ミステリといっていいだろう。ただし作者は学園に拘泥していたわけではない。女子大生コンビを主役にした本格ミステリ『白馬山荘殺人事件』や、高校野球を題材にしたスポーツ・ミステリ『魔球』など、早くから多彩な方向性を示していた。
そもそも初期の作者は『放課後』を始め、密室や密室状況を扱った作品が少なからずあり、本格度が高かった。また、『放課後』ではアーチェリー、『卒業』では剣道が物語の中で使われている。『魔球』が第三十回江戸川乱歩賞の最終候補作だったことも考えると、スポーツも作者のこだわる題材であったのだろう。さらにいえば作者はウィンター・スポーツが好きであり、それがスキー・ジャンプを扱った『鳥人計画』へと結実。さらに後に、スキー場を舞台にした『白銀ジャック』から始まる「雪山」シリーズに繋がっていった。
さて、少し話を戻し、あらためて『卒業』に注目したい。というのもこの作品が、「加賀恭一郎」シリーズの最初の一冊であるからだ。といっても加賀は刑事ではない。大学生グループの一員であり、素人探偵として謎を解くことになる。作中で加賀は大学卒業後の進路先を、警察と教師のどちらにするか悩んでいたが、結局、教師に決めた。しかし一九九二年の『眠りの森』で、刑事として登場。恥ずかしながら加賀のことを忘れていたので、教師を辞めて刑事になったといったような文章に出会うまで、同一人物だと気づかなかった。
そういえば「ホテル・コルテシア東京」を舞台にした「マスカレード」シリーズも、主人公のひとりである警視庁捜査一課の新田浩介が、第五弾の『マスカレード・ライフ』で転職。コルテシア東京の保安課長になった。こうした探偵役の人生の曲折からも、彼らを血肉のある人間として捉える、たしかな眼差しが感じられた。
また話がズレた。『眠りの森』以降、作者は加賀をシリーズ・キャラクターとして起用するが、第三弾『どちらかが彼女を殺した』、第五弾『私が彼を殺した』では、犯人を明らかにしないまま物語が終わるという、とんでもない趣向を実行。シリーズとしてどうこうではなく、そちらのことが話題になった。加賀のキャラクターが固まったのは、おそらく第七弾『赤い指』だろう。メインのアイデアはシンプルだが、使い方が巧みで、サプライズのインパクトは抜群。しかもそれにより、家族や人間について深く考えさせられた。ここからシリーズは、『新参者』『麒麟の翼』『祈りの幕が下りるとき』など、傑作・秀作ばかりになる。特に『麒麟の翼』は、行動の選択に犯罪を入れるような人間の、人格がいかにして作られるのかを描き切り、読んでいて身震いが止まらなかった。
この調子で書いていると、いつまでたっても終わらないので、作者の人気作家への道をたどることにしよう。個人的に、作者が人気作家になると確信したのは、原発ジャックを奇抜な方法で実現した一九九五年の『天空の蜂』であった。これは凄いと興奮したものだが、あまり評判にならず、ずっこけたものである。そして、本格からSFやファンタジーまで多彩な作風を誇っていることにより、かえって作家のイメージが掴みづらくなって、なかなか人気作家になれないのではないかと思ったりもした。
そんな作者に対して、再びこれで人気が出るだろうと確信したのが、「小説すばる」一九九七年一月号から連載の始まった『白夜行』である。ミステリというジャンルで、ふたりの人間の人生を描いた、圧巻の名作だ。連載中から私も、周囲の人たちも、これが本になったら、一気に人気作家になるだろうといったものである。ところが、実際に人気が爆発したのは、『白夜行』連載中の一九九八年に刊行された『秘密』であった。母親と娘の心の入れ替わりを扱ったストーリーは、もちろん優れたものである。だが、『秘密』で人気が出るのなら、それ以前の作品でもいいじゃないかと、複雑な感情を抱いてしまった。何がヒットするかというのは、本当に分からないと、このとき実感したのである。
ここから作者は、人気作家の道を歩み始める。マイナス・ポイントだと勝手に思っていた多彩な作風も、プラス・ポイントに転じる。どのような読者の要望にも応えられる作品があるからだ。かくして旺盛な執筆をしていた作者を、さらなるステージに引き上げたのが、二〇〇五年の『容疑者Xの献身』である。短篇集『探偵ガリレオ』『予知夢』に続く、「ガリレオ」シリーズ初の長篇だ。天才物理学者・湯川学を名探偵役としたシリーズは、トリック主体の本格ミステリだ。しかし『容疑者Xの献身』は、分かってみれば単純なトリックの扱いに抜群の腕の冴えを見せた。その一方で、人間の心に深く踏み込み、深い感動を呼ぶ物語になっていた。作者は初期から人間を描くことを心掛けていたが、ある時期から明らかに深度が増した。そのひとつの到達点が『容疑者Xの献身』であったのだ。作品は大ベストセラーとなり、第百三十四回直木賞を受賞。以後作者は、国民作家というべき存在へとなっていく。また、海外にも翻訳され、多数の読者を獲得。国際作家にもなっていったのである。
他にも、『分身』『レイクサイド』『流星の絆』『ナミヤ雑貨店の奇蹟』、あるいは「ブラック・ショーマン」「クスノキの番人」「五代努」シリーズなど、取り上げるべき作品は多いが、すでにご存じの人も多いだろうから省略させてもらう。順調に新刊を出版していた作者だが、二〇二六年七月二十三日、大腸ガンのため死去。突然の訃報に、多くの人が驚き、悲しんだ。そして間を置かず、遺作となった『永遠の記憶』が刊行される。「ガリレオ」シリーズの第十一弾だ。『ガリレオの苦悩』から登場した警視庁捜査一課の女性刑事・内海薫が、買い物中のスーパーで刺されるという衝撃的な発端から、ストーリーは意外な方向に転がっていく。これ以上は書かないが、シリーズのファンならば必読の内容だ。あまりにも見事なフィナーレに心が震えた。東野圭吾の作品は、遺作のタイトルそのまま、時代を超えて読み継がれる〝永遠の記憶〟になることだろう。
■書誌情報
『永遠の記憶』
著者:東野圭吾
価格:2,310円(税込)
発売日:2026年8月5日
出版社:文藝春秋