紀伊國屋書店、なぜ海外展開に成功した? オーストラリアで30年かけて培った、独自のポジション
2026年の1月に新宿本店で開催されたオールナイトフェス「KINOFES2026」が大きな話題となった紀伊國屋書店。本好きにとっての聖地とも言える書店だが、実は海外でも大きなプレゼンスを見せている。同年の4月9日にはオーストラリア国内で2店舗目となるシドニー北部の郊外のChatswoodエリアへの出店を果たした。そこで今回、紀伊國屋書店の海外およびオーストラリアでの経営戦略について、オーストラリアエリア支配人の矢田諭氏とシドニー営業所長の杉本早紀氏に話を聞いた。
日本人コミュニティ向けの書店から、インターナショナルな書店モデルへ
――はじめに、紀伊國屋書店さんが海外展開をはじめた経緯を教えてください。
矢田:実は紀伊國屋書店の海外展開は、いくつかのフェーズを経て今があるんです。弊社は1969年に初の海外店舗をサンフランシスコに出し、1990年代中頃までは基本的に日本人のお客様をターゲットに展開していました。海外に日系企業が進出して日本人のコミュニティができると、必然的に日本食スーパーなどの日系サービスが進出してきます。その流れで日本の書籍、雑誌に触れたいというお声をいただき、日本型書店のモデルでアメリカ国内や、シンガポールなどに出店しました。
しかし90年代後半に、インターネットの普及で紙媒体の価値が薄れてしまったことに加え、アジア通貨危機の影響で幾つかの日系企業が事業縮小や撤退を余儀なくされ、各国の経済にも大きな打撃がありました。結果としてこれが日本語書籍中心の書店モデルを転換する契機になります。タイの店舗を皮切りに、シンガポール、マレーシア、オーストラリアと各国で連鎖的に英文書中心の商品構成への転換が進みました。それが書店モデルとして成功し、地元のお客様からご支持をいただき、ショッピングセンターさんからも、「そういう書店がうちにも欲しい」とお声をいただくように。こうしたお声が増えてきたことで、UAEやカンボジアなど新しい国へのさらなる進出につながりました。
このようなフェーズを経て、今はさらに別のフェーズに入っているように感じます。英文書、日本語、中国語、各国言語の書籍に加えて、雑貨や文具の販売を強化するなかで、この数年、書籍プラス文具・雑貨の組み合わせでコンテンツの世界観をより広く提示するような販売スタイルに挑戦しています。これが、新しいお客様を獲得していこうという機運につながってきていますね。加えて、基本的には日本発のマンガやアニメなどのコンテンツの販売事例が多いのですが、ときにはムーミンやミッフィーなど時代を超えて愛される世界のキャラクターや、韓国発のコンテンツを特集するなど時代や場所にとらわれないインターナショナルな書店モデルへ変化しているようにも思います。こういった経緯ですからどの時代にフォーカスするかで海外展開の戦略や、事業価値は大きく違って見えるかもしれません。
――なるほど。やはり時代ごとにお客様から愛されてきたことが大きなきっかけになっているのですね。今回は、オーストラリア・シドニーで2店舗目をオープンしましたが、私も開店初日に伺い、すごい盛り上がりを肌で感じました。今後も海外に店舗を増やすことには前向きでいるのでしょうか?
矢田:シドニーのChatswood店は、たくさんの方に喜んでいただけているようでよかったです。店舗については、各国の経営判断の中で出店するチャンスがあれば、それを日本本社に相談し、承認されることで出店という段階を踏みます。ですから、それぞれの国ごとに考えがありますし、一概に店舗数を増やすことだけを目指しているわけではないんです。オーストラリアに関して言うと、広い国土の中でいまはシドニーにしかお店がないので、他の都市に進出したいという展望は持っています。
狙いは、独立系書店とチェーン書店の中間のポジション
――昨今は、海外の人にとって「日本」がブームになっている感覚もあります。特に旅行先としての需要はかなり高まっていると思いますが、こうした日本ブームが経営の追い風になっていると感じることはありますか。
杉本:シドニーの街を歩いていても日本の人気漫画のTシャツを着ている方が多かったり、日本食レストランが増えてきたりと、日本との心理的な距離は近くなっていると感じますね。日本に親しみを感じてくださっている方が多いのかなと思います。
もう少し踏み込むと、日本が“ブーム”というよりは、旅行やコンテンツの受容を通して日本文化に対する解像度が上がったことで、より日本らしい「本物の日本文化」が理解され、日常に浸透してきたのだと思います。例えば日本に旅行して日本の味に親しんだオーストラリアの方々が、オーストラリアの日本食レストランにもその味を求めてお店の選別が起き、よりクオリティの高い日本食が増えていくという構造ですね。日本と心理的な距離が遠かった時代のオーストラリアでは、日本の味とはかけ離れた日本食を提供するレストランやどこかほかの国で作られた日本っぽい雑貨をさもMade in Japanのように売るお店もあったと聞いています。そんな中で、紀伊國屋書店は、「日本発のブランドで、日本のものをしっかり売っている」という信頼感が支持される理由のひとつになっていると感じます。
――なるほど、旅行や、文化の浸透も影響しているのですね。
杉本:そうですね。特に書籍に関しては、日本人作家の作品がたくさん翻訳されて世界に出ていくことで、元々日本語でしか触れることができなかった作品に英語で触れられるようになり、日本の作品を英語で楽しむ人たちが増えていると思います。その結果、海外の方の日常の選択肢の中に日本のものが普通に入ってくるようになった、という感じですね。
それはオーストラリアの書店でも同じことを感じています。食事の選択肢の中に、ハンバーガー、パスタに並んで日本食が入るように、シドニーの地元の書店チェーンであるディモックス(Dymocks)やQBD Booksなどに並んで、紀伊國屋書店が選択肢にポンと入っている。ディモックスの本棚にも英米の作家にまじって普通に日本の作家が並べられている。“ブーム”というのは一過性のものですが、それよりもしっかり根付いてきているような印象があります。
――オーストラリアの書店チェーンにまざって選択肢のひとつになるということは、地元の書店としてオーストラリアで当たり前に受け入れられているということだと思います。そこまでの信頼を得るのは並大抵のことではないですよね。
矢田:はい、信頼を得るには時間がかかると思います。紀伊國屋書店はオーストラリアでの書店経営を30年続けています。1996年に小さいお店を出してから、2002年に今のシティ(シドニーの中心業務地区)に移り、それからずっと続いています。シティの1店舗で20年以上やって、最近ようやく2店舗目を出店しました。
最初は“よそ者”だったのでしょうが、年月の蓄積の中で徐々にローカル書店だと認識してもらえているように感じますね。実体としてはグローバル書店チェーンなのですが、我々のポジション取りとしては、チェーンと独立系書店の中間にあたるような、あえてどっちつかずなところを目指しています。グローバルチェーンの商品調達力を活かして、地元の書店では手に入らないようなものを仕入れて個性を出しつつ、「シドニーの書店」として経営を続けることで、地元のお客さんから愛されるような書籍・商品のキュレーションを心がけていますね。そのバランスが重要で、ユニークなだけでなく地元の書店として支持されることにも目を向けたことが今の事業の成功に繋がっていると思います。
――コツコツと年数をかけて続けていたことが花開いているのですね。
矢田:どの国で店舗を出しても、立ち上げ初期にはそれなりに苦労をするわけです。そこからずっとお店を継続し、辛抱強く続けていく中で、徐々にその国に浸透していくんですよね。そしたら、いつの間にか地元の書店であるかのように見てもらえる。海外での出店にも関わらず、紀伊國屋書店のバイトの面接に来る現地の方の中には、「子供の頃から通っていました」、「子供の頃は紀伊國屋書店で児童書を買い、今は自分に子供ができて紀伊國屋書店でまた児童書を買っています」と話してくださる方もいます。そうやって世代を超えて愛してもらえるのは嬉しいことですね。
――先ほどの話で、独立系書店とチェーン書店の中間のポジションを狙うというのは、とても面白い取り組みだと感じました。紀伊國屋書店さんはGlobal Book Crawl 2026という独立系書店を中心としたイベントにも参加しており、まさに狙い通りのポジションに位置しているのを実感しました。
矢田:Global Book Crawl 2026は「参加しませんか」と他の独立系書店からお声がけいただいたことがきっかけで参加できることになりました。ですから弊社のポジションがインディーなのかチェーンなのかという部分はオーストラリアの中でまだ曖昧なのだと思いますね。それをあえてカメレオンのように変化させることで、こうしたイベントにも参加できています。加えて、オーストラリアには、あえてローカルなものをサポートしようという雰囲気があり、コーヒーならスターバックスではなく地元のコーヒー屋さんを、書店でも同じようにチェーンではなく、独立系書店を選ぶという動きもあります。ですから、独立系書店として見てもらえることでの強みも感じているんですよ。
その一方で、経営実態がグローバル書店のチェーンではあるので、どうしたって100%ローカルの書店にはなれないんです。そこで、今回シドニーで2店舗目をChatswoodに出店するにあたり、既存のローカル書店VSグローバルチェーン書店の構図にならないよう意識はしました。出店するショッピングモールには他にも2店舗のローカルチェーン書店さんがいますし、Chatswoodから1駅離れたところには、Constant Reader Bookshopという独立系書店さんがある。そうした中で、我々がカットインしてお客様を奪うようには見られないよう、衝突しないような選書や商材のバランスは意識しています。それぞれが違う価値を提供することでオーストラリアの出版業界を盛り上げられたらいいなと思うんです。
――ローカル書店へのリスペクトがあるからこそ、長く愛される書店になるのですね。先ほどのお話の中に、グローバルチェーンの商品調達力を活かすというお話もあったかと思いますが、オーストラリアの紀伊國屋書店さんは、英文書に加えて、日本語書籍、日本語学習用書籍、漫画の原書、翻訳版、ライトノベルの翻訳版、中国語の書籍……と店舗内を見回すだけでもカバー範囲がとても広いと思います。海外で求められているニーズの中で、一番フックになっているものを教えてください。
杉本:オーストラリアに関して言うと、この国は地理的にどこの国からも遠いんですよ。ですから、物を輸入するのにとてもコストがかかる。他の国と比べて輸入のハードルが高く、事業の参入障壁が高いように思います。その中で弊社が持つロジスティックチャネルを活かして世界各国から商品を仕入れることができるのはアドバンテージになります。日本から書籍はもちろん文房具も仕入れ、イギリス、アメリカ、そして中国、台湾からも仕入をしています。オーストラリアのローカルのお店ではまだ誰も仕入れていない書籍や商品を定期的に提供することで、「これが新しい商品ですよ」と紹介できる。これが感度の高いお客様にとって定期的に来店していただける動機につながっていると思います。
日本に住んでいると例えばコンビニで毎週・毎月など早いサイクルで新商品が入荷するので、いつ行っても新しい発見がある。それってすごいことだと思います。オーストラリアでは、スーパーマーケットでも文房具店でも、毎週のように新作が出るようなワクワク感はなく、週ごとにセールなどで価格変動があるものの、いつも同じような商品が並んでいます。書店では毎月新刊が並びますが、紀伊國屋書店はオーストラリアの外から仕入れる商品があるおかげで、他の書店とは異なる新商品をより多く提供できていると思います。そこはショッピング体験として、オーストラリアの通常のお店よりもワクワクした気持ちでご来店いただけると思いますね。
「タイムレス」がキーワードに
――話は変わりますが、オーストラリアの大学や学校など、教育機関とも書籍を通じたお取り組みをしているとか。こうした事業についても聞かせてください。
杉本:事業の中に営業所という部門があって、普段は大学図書館などに日本語書籍や中国語書籍を卸したり、日本語の学術書や教科書などを取り扱ったりしています。最近は漫画も注目されるようになってきて、オーストラリアの小学校から、「図書館に漫画を置きたいけれど、子どもたちに適した漫画がわからない」というご相談もいただきました。実際に、地元の公共図書館・学校図書館共に、利用者からの漫画のニーズは増えているようです。こうしたご相談は、まさに私たちにとっての得意分野になります。図書館の司書さんは、漫画の中にバイオレンスなシーン、性的なシーン、グロテスクなシーンがないかなど、子どもたちに読ませても問題のない作品なのかを気にかけています。学校によって基準は様々ですが、選びたい内容というのが決まっていますので、こうした内容をヒアリングして適切な漫画をキュレーションするのは、まさに我々の得意領域といえます。日本の漫画に対する一定の商品知識がありコンサルテーションができますので。書店経営のおかげで漫画といえば紀伊國屋書店というイメージがつき、そこから新しいお客様が広がるというのは、我々にとっても嬉しいことです。
――海外でも広く愛されている紀伊國屋書店さんですが、改めて、現在のオーストラリアで、これから注目を集めそうな日本の書籍のジャンルがあれば教えてください。
矢田:トレンドという意味では「タイムレス」がキーワードになってくるかと思います。例えば、日本でも人気の『NANA』(矢沢あい著)は、現在英訳されたものが25th Anniversary Editionとして特別な装丁で出版されることで再びブームになっています。本作自体は以前から単行本サイズで販売されていたのですが、25th Anniversary Editionとして新たな装丁で発売された時に、本当にたくさんの方が購入しているのを見て驚きましたね。『NANA』に限らず、日本でだいぶ以前に出版された漫画・小説が、翻訳や新装版を通して「新刊」としてオーストラリアの書店に並ぶというのは、とても面白い現象だと思います。例えば『NANA』、『ベルサイユのばら』(池田理代子著)が新刊として並ぶとなりに、今まさに英語版で刊行されたばかりの『呪術廻戦』(芥見下々著)の最終巻が並ぶ。さらにそこに『子連れ狼』(原案:小池一夫/作画:小島剛夕)のデラックスエディションがあって……というような光景は、海外の書店ならではと感じますね。小説だと、例えばホラーの棚では横溝正史や松本清張の作品と雨穴の作品が同じ新刊台に並んでいるんですよ。こんな風にタイムレスな不朽の名作が時を経て翻訳や新装版としてパッケージ化されることで、今の新作と並んで人気になるということがこれからも起こっていきそうですね。
――最後に、オーストラリアでの紀伊國屋書店さんの今後の展望について聞かせてください。
杉本:紀伊國屋書店というブランドをさらに育てていきたいと思っています。地元の方々に様々な面で「そういえば紀伊國屋書店があったな」と思い出してもらえるような存在になっていきたいですね。
営業所に関しては、大学での日本研究者や学校の図書室・公共図書館の方に、困ったときに営業所の存在を思い出して、ご相談いただけるような存在になれたら嬉しいです。広いオーストラリアでは、まだまだリーチできていないお客様がたくさんいらっしゃると思いますので、店舗のないエリアでも営業所事業やオンライン販売を通じて、そういったお客様にも届けばいいなと思います。
矢田:もちろん出店を通じてリーチすることも考えていますが、その一方で、短期間でたくさん店舗を出すというのは正直なところ難しいと思っています。ですから、まずはシドニーの中心地でこつこつやってきたように、時間をかけて丁寧にファンを作り、お店を運営しながら「自分たちのブランドとはなんなのか」をしっかり理解してくれるスタッフを育成して、ブランドを浸透させていくことが重要だと思います。
――書店事業については、出店も考えているということですが、具体的に新店舗のご予定はありますか?
矢田:まずは今ある店舗を、お客様からのフィードバックをもとにきちんとニーズに合わせた商品展開で伸ばしていくことが大前提だとは思っています。その上で事業展開としては、今後メルボルンにも出店する予定で具体的に進めています。現在はシドニーでしか事業展開できていないですが、まだ我々がリーチできていないエリアがたくさんあります。ゆくゆくはブリスベンなど他の都市への展開も増やしていきたいですね。