映画『Michael/マイケル』への批判「物語が薄い」は妥当な評価か? 自伝『ムーンウォーク』の証言から紐解く
ライター・編集者の速水健朗が時事ネタ、本、映画、音楽について語る人気ポッドキャスト番組『速水健朗のこれはニュースではない』との連動企画として最新回の話題をコラムとしてお届け。
第41回は、大ヒット中ながら賛否もある映画『Michael/マイケル』(以下、『マイケル』)について。
映画は広く知られたマイケル像をなぞるだけではない
映画『マイケル』は、物語が薄いという意見を見かける。だが、こちらはそんなことを考える暇もなく楽しめた。おもしろかったのは、むしろ物語そのものである。
少年時代のマイケルがリビングの窓越しに、外で遊ぶ同年代の子どもたちを眺める場面から始まる。毎日を歌やダンスの練習に費やす彼には、同世代の友だちがいない。映画は、家族、とりわけ父親の支配下に置かれていたマイケルが、そこから自由を獲得する話である。では、どうやって支配から抜け出すのか。家族の外に自分の協力者を見つけていくのだ。
最初の協力者が、ジャクソン5を見いだしたモータウンの社長、ベリー・ゴーディである。
少年時代のマイケルが、初めてスタジオでボーカル録音に挑む場面がある。歌いながらステップを踏むため、マイクが靴の音を拾ってしまう。ゴーディから踊らないように注意されると、マイケルは靴底を床につけたまま、身体だけを動かして歌い続ける。止められても、身体はどうしても動いてしまう。その様子を見た父親は、録音をやり直させようとする。だが、今度はゴーディがそれを制し、好きにやらせようと言う。父親の判断が絶対ではない。主人公と観客が、それを知る場面である。
ゴーディはさらに、10歳のマイケルをミキシング卓の前に座らせ、イコライザーの使い方を教える。自分の声のよい部分を持ち上げるための装置だ。自分の声のよい部分を、技術を使って増幅しろ。それが、ここでゴーディが教えたことである。その後も映画では、音量やラウドネスを上げる場面が繰り返される。人生の大事な場面でボリュームを下げるな。この姿勢がその後の物語を貫いている。
少年時代のマイケルが、父親からベルトで叩かれる場面がある。のちに、その場面の意味が回収される。
マイケルが自由にソロ活動を続けるためには、ヒット曲を生み出さなければならない。アルバム『スリラー』の制作に入る直前、マイケルは父親をマネージャーから解任してしまう。父親は激怒し、かつてと同じようにベルトを手にして彼を脅そうとする。その場面に、「Beat It」を制作する過程が重ねられる。
父親による「beat=殴る」という行為に対し、「beat it=立ち去れ(ほっとけ?)」という言葉が降りてくる。さらに、2人のやり取りからドラムのビートが組み上がっていく。「Beat It」の制作場面にユーモアがなければ、少年時代の虐待は、単に悲惨な過去を示す描写に見えていただろう。父親に「立ち去れ」と告げる歌が生まれることで、あの場面の意味も変わってくる。
もちろん、これは史実どおりの楽曲誕生秘話ではない。実際にマイケルが父ジョセフとの仕事上の関係を断ったのは1979年とされるが、映画はその出来事を1981年に移している。父親からの独立と「Beat It」の制作を結びつけるために、時系列を組み替えたのだろう。映画はあくまでフィクションだ。事実の羅列とはほど遠い。
映画のマイケルは、大人になっても子どもの感覚を引きずり続ける人物として描かれる。イマジナリーフレンドやディズニーのキャラクターに囲まれた姿は、本人の自己認識というより、ファンやメディアが長年つくり上げてきた「永遠の少年」というマイケル像に近い。ただし、映画はその広く知られたマイケル像をなぞるだけではない。家族の外に協力者を増やし、自分で仕事を動かしていく人物としての顔も描いている。
ゴーディに続いてマイケルの味方になるのが、警備を担当したビル・ブレイと、弁護士のジョン・ブランカである。ブレイはマイケルを車で家の外へ連れ出し、まず家を出ることだと助言する。ブランカは、黒人歌手のミュージックビデオの放映に消極的だったMTVに、「Billie Jean」を放映するよう圧力をかける。
父親に命じられて歌っていた少年は、外の大人たちを味方につけ、自らの目的を実現するためのチームをつくり上げていく。映画のマイケル像が、映画がつくったものであるのと同様、ゴーディやブランカの描き方もそうだ。評価の分かれる人物たちがマイケルの自由を助ける協力者として配置される。
興味深いのは、ゴーディがスタジオの機械、ブレイが自動車、ブランカがテレビという、それぞれ異なるテクノロジーを使ってマイケルを助けることだ。3人は別々の装置を通して、マイケルを父親が支配する家の内側から、より大きな世界へ連れ出していく。
ベリー・ゴーディが証言する、ビジネスマンとしてのマイケルの才能
「作曲、歌、プロデュース、演技、演出と多岐にわたって能力を発揮してきたマイケルだが、実は思慮深さも兼ね備えていた。自分の身を守るために、キャラクターを演じてきたこともある。ステージの自分と、普段の自分、あるいは会議中、契約中、企画中、プロモーション中など各々のシーンに合わせたキャラクターを作り出し、演じていたマイケル。そんな彼は輝かしい? その通り。天才? まさにその通りだと思う。すべては自分の考えでやってきたこと」(『ムーンウォーク マイケル・ジャクソン自伝』田中康夫訳)
これは、マイケルの死後に復刊された自伝『ムーンウォーク』に、ゴーディが寄せた巻頭言である。マイケルは周囲の言うままに従う人物ではなく、自ら判断し、制作だけでなく契約や宣伝にも関わっていたとゴーディは書いている。
なぜ、ゴーディはそこを強調したのか。マイケルから受け取った評価への返答でもあったのだろう。マイケルも自伝のなかで、ゴーディを単に金儲けのうまい経営者としては描いていない。作曲やアレンジ、音楽制作の才能を持つ人物として評価している。なかなか珍しい評価と言えるだろう。
マイケルは、経営者と見られがちなゴーディの音楽家としての顔を語った。ゴーディは、気ままな天才と見られがちなマイケルの思慮深さとビジネス感覚を語った。2人は互いに、世間的なイメージの裏側にある部分を認め合っていたのだ。
2人に共通していたのは、ブラックミュージックが世界のポップミュージックの中心になり得ると、早い段階から信じていたことだ。ゴーディは、その未来に向けてモータウンの仕組みをつくった。マイケルはそこから出発し、さらに大きな市場へ進んだ。2人ともビジョナリーだったのだ。
映画の話をしているうちに、いつの間にか現実のマイケルの話へ入り込んでしまう。それも評伝映画の楽しみ方の1つだろう。暗部に踏み込んだ作品ほど深いと安易に評価されること自体、評伝映画をめぐる批評の紋切り型に見える。
映画『マイケル』は、史実を大胆に組み替えながら、フィクションとしてのマイケルの物語を提示している。ファンやメディアがつくり上げてきた「永遠の少年」というイメージを使いながら、そこに別の見方もいくつも重ねているように見えた。
■公開情報
『Michael/マイケル』
全国公開中
出演:ジャファー・ジャクソン、ジュリアーノ・ヴァルディ、コールマン・ドミンゴ、ニア・ロング、ケンドリック・サンプソン、マイルズ・テラー、ローラ・ハリアー、ケイリン・ダレル・ジョーンズほか
監督:アントワーン・フークア
脚本:ジョン・ローガン
製作:グレアム・キング、ジョン・ブランカ、ジョン・マクレイン
配給:キノフィルムズ
提供:木下グループ
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公式サイト:https://www.michael-movie.jp
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