なぜ特定のファッションが「ダサい」とされるのか? 『何がダサいを決めるのか』平芳裕子 × 『Tシャツの日本史』高畑鍬名 対談

 ファッション文化論の研究者で『東大ファッション論集中講義』(ちくまプリマー新書)の著者でもある平芳裕子の新刊『何がダサいを決めるのか』(ポプラ新書)が発売された。タイトルのとおりファッションにおける「ダサい」を考える本である。なかでも大きく扱われるのは、パーカーとスーツの歴史だ。

 パーカーといえば、2024年末ごろにSNSで炎上した「パーカーおじさん」論争も記憶に新しい。ここ最近も「おじさんのハーフパンツ」が話題となり、SNSでは似たことが繰り返されているようにも思える。

 ひとはなぜなにかを「ダサい」と思い、さらにはそれをいちいち言わずにはいられないのか――。著者の平芳と、『Tシャツの日本史』(中央公論社)で「Tシャツはズボンにインすべきか否か」の歴史を縦横無尽に描いた“タックイン研究者”高畑鍬名による特別対談をお届けする。

「ダサい」をどう考えるか

平芳裕子

高畑鍬名:『何がダサいを決めるのか』では「パーカーおじさん」論争が取り上げられていますよね。あるYouTube動画で、女性コラムニストが「40近くになってパーカーとかを着ているおじさんは結構おかしいと思う」と発言したことで、SNSで様々な議論が巻き起こりました。それが執筆のきっかけだったのでしょうか。

平芳裕子:「パーカーおじさん」論争についてはあとで話すとして、この本を書いた直接のきっかけは、編集者の方から「ダサい」をテーマにした本を書かないかと提案をいただいたことでした。ただ、わたしはもともと「ダサい」という言葉は好きではないんです。これまでずっとファッションやおしゃれについて研究してきたなかで、むしろその言葉は封じ込めてきた。

 でも考えてみれば、流行やトレンドというのは既存のものを「ダサい」とすることでそれとは違うなにかを生み出していく運動ですよね。あえて「ダサい」の側からこれまで考えてきたものを見るのも新鮮かもしれないと思い、お引き受けすることにしたんです。

高畑:なるほど。本のタイトルを最初に見たとき、平野啓一郎さんの『「カッコいい」とは何か』(講談社現代新書)を思い出しました。その裏返しで「ダサい」とは何か、その正体を暴くのは難儀だぞと思ったのですが、よく見てみると「何がダサいを決めるのか」であって「ダサいとは何か」とはすこし違う。この角度の違いに意味があると思います。

平芳:おっしゃるとおりで、そこは意識しました。わたしは本質的におしゃれなものや絶対的にダサいものが存在するとは考えていません。おしゃれもダサいも、社会の状況や流行のサイクル、さらには対人関係といったいろいろな要素の組み合わせのなかで生み出されていく。高畑さんの『Tシャツの日本史』も、「Tシャツをボトムスにタックインするかタックアウトするか」のどちらがダサいかが循環しつづけてきたことをテーマにしていましたよね。

高畑鍬名『Tシャツの日本史』(中央公論新社)

高畑:そうなんです。Tシャツを通した「ダサいの日本史」でもあったのだなと。

平芳:じつは高畑さんの本は、ちょうどわたしが今回の本を書いている途中に出たんです。わたしの本はパーカーとスーツを大きく扱っているので、まずは「出たのが『パーカーの日本史』じゃなくてよかった」と胸をなでおろしました(笑)。そして、内容が気になりつつも影響されるとよくないと思い、自分の本をほとんど書き上げてから読んだ。すると問題意識としてはやはり重なっているところもあって、心強い気持ちになりました。

高畑:わたしも『何がダサいを決めるのか』を読みながら「そうそう、そうなんだよ!」と共感してメモをとりまくりました。あとがきに書かれている「『ダサい』は規範から逸脱し、自由になるための力」である、というスタンスもよくわかります。

 他方で、力点のちがいがあるのもおもしろい。わたしの本は、逸脱のほうをメインに据えています。何がダサいを決めるのか、一言でいえば、先輩がダサいことにつきる。つまり、後輩が次なるダサいを決めていくわけです。「先輩たちがカッコ悪いと思っていたファッションをあえてハッキングして、後輩世代がそれをカッコよくしてしまう。価値観が反転してしまって、そのことで先輩はうろたえる」という歴史を日本人はずっと繰り返してきたと。

 対して平芳さんの本では、TPOやふさわしさといった規範のほうにより力点が置かれ、その歴史が立体的に描かれています。とはいえ、「こう着ないといけない」というルールやマナーの話ではない。むしろ、その規範すらグラグラした変化を経ていることを示している。変遷を追うことで「いまわれわれが当たり前に感じているものは、たまたまこういう流れのなかにある。つまり、これからもどんどん変わり得るんだ」ということを教えてくれる。流行にうまく乗れないひとを苦しみから解放してくれる本だと思いました。そして、パーカーが象徴的ですが、今や当たり前のファッションが全然まだ当たり前じゃなかったころの歴史を知れたのは、シンプルに読書の喜びがありました。

平芳:ありがとうございます。知ることによって自信を持てる本にしたいと思っていたので嬉しいです。

 『Tシャツの日本史』にも解放感を感じました。この本はおしゃれに関心があるひとも楽しめるし、その一方でトレンドには興味がないけれどTシャツのデザインやロゴを楽しむのは好きというひとも楽しめる。世のなか全体を見渡すと、むしろファッションやおしゃれに関心がないひとのほうがたぶん多いと思うんです。

高畑:そうですね、大半のひとは自分自身には関心がない。自分のことは棚上げしたうえで、でも他人のファッションには興味がある。

平芳:そういうひとにファッションやおしゃれのおもしろさを知ってもらうにはどうすればいいかは、前著の『東大ファッション論集中講義』のときから考えていました。ただ、やはり東大の講義としてすこしアカデミックな方向からアプローチした本にはなっていた。なので、「なにかしらを勉強したい」「ファッションについて知りたい」という、どちらかと言うと“意識の高い”層を中心にアピールするかたちになったかもしれません。

高畑:たしかに「東大」「ファッション論」「集中講義」と、筆圧高めのワードが三連打ですからね、なかなか眩しい。

平芳:(笑)。そんな経緯もあって、今回は「この格好をしていったら変と思われるかな」というマイナス思考から出発することで、多くのひとに届けられればと思っていました。「ダサく思われたくない」というのはどんなひとでも自然に抱く感情ですから。

TPOに「年齢」は入っていない

高畑鍬名

高畑:平芳さんの本は「ダサい」を俯瞰で考える本ですが、その一方でベタに「ダサくならないためにこういう服を着ましょう」と教える実用書は世のなかに数え切れないほどありますよね。

平芳:そうなんですよ。わたしも本を書く際に参考のため調べてみてびっくりしました。

高畑:あれは悲鳴だと思うんです。「服のことなんか考えるのはめんどくさい! けど、ダサい人だとは思われたくない!」という引き裂かれた悲鳴が書店のファッションコーナーにはずらっと並んでいる。くわえておもしろいのが、男性向けの本からは露骨に悲鳴が聞こえてくるのに対し、女性向けの本はおおむねタイトルがポジティブなこと。

 この男女の対比は平芳さんの本にも現れています。『東大ファッション論集中講義』は女性ファッションの話が多い。これは近代以降のファッション文化が女性向けを中心につくられたからです。それに対して、『何がダサいを決めるのか』はおもにスーツとパーカーの話がされていて男性がメインの対象になっています。ちなみにそのふたつの歴史が重なるところにココ・シャネルが立っているというのも興味深いのですが、いずれにせよ性格が違う双子のような本になっている。

平芳裕子『東大ファッション論集中講義』(ちくまプリマー新書)

平芳:おっしゃるとおり、今回はどちらかと言うと男性読者を念頭に置いて書きました。最初にお話しいただきましたが、導入でも「パーカーおじさん」論争を取り上げています。じつはその後に今度は「カジュアルおばさん」はどうなのかという論争もあったのだけど、話題としては前者のほうが大きな反響を呼んでいた。女性のほうがファッション誌もアイテムも多く、おしゃれが身近にあるぶん批判に対する免疫もあるのかもしれません。

 ただ、そこでファッションやおしゃれは自分には関係ないと思っているひとたちに訴えかけないと、本当の意味での「ファッションの自由」には到達できないかなと。男性の場合、「仕事着はこれです」と社会が求める服装があってそれに縛られる状況が女性よりも多い気がします。

高畑:わかります。本でいろいろな指摘がされるなか、とくにハッとしたひとつが、「TPOという概念のなかに年齢は入っていないはずなのに、ひとはそれをすごく気にしている」という話でした。そういうふうに考えたことはなかったけど、たしかに言われてみればそうだなと。自分が40代に入って“若者”ではなくなってきたところなので、とくに響いたという部分もあると思うのですが。

平芳:そうなんですよね。ただ、もし「ファッションに年齢は関係ない」と言うひとがいたとしても、本当のところは……。

高畑:そんなの大嘘ですよ!

平芳:はい(笑)。やっぱり相手の着こなしと年齢の関係を気にするひとはいますし、それぞれの年齢に似合いやすいタイプの服もあるとは思うんです。でも、そういうイメージにとらわれすぎて自由に着られなくなるのももったいない。

 話を戻すと、「おじさんがパーカーを着るのはちょっとおかしい」「おばさんがカジュアルな格好をするのはダサい」と思うひとがいるということ自体は理解はできます。それに対して反発するひとがいるのも健全なことです。ただ、お互いを変に刺激しあって炎上のようなかたちになってしまうのはどういうことなんだろうと。炎上は終わってしまえば多くのひとが忘れるわけですが、ファッション研究者として「なぜひとはあそこまで他人の格好が気になるのか」を考えてまとめておきたかったという思いはありましたね。本では、関連して昭和から続く「ファッションチェック」の歴史も紐解きました。

高畑:現代のSNSでの論争が、戦時中のファッションチェックに重なっていくパートには痺れました。ポイントは「パーカーおじさん」論争で幸せになった人がいないことですよね。傷だらけのおじさんが生まれただけで。

平芳:本来、他人がなにを着ようが自分には関係ないわけです。でも、世のなかには他人の服装に文句を言いたいひとが思っていたより多い。それに対して、年齢が上の方が「いや、自分もパーカーだって着たいしそんなことを言われる筋合いはない」となるのも当然のことだよなと。

高畑:年齢で言えば、わたしの本では、若者文化に力点をおいた記述になっています。中学生や高校生って毎月のように体格や顔つきが変わるじゃないですか。最終的には、「流行よりも君たちのほうが速い」というメッセージを込めました。どんな流行より変声期のほうがすごい。若者は流行に振り回されることなく、気のむくままに服を着ればいいと。

 ただ、自分が40代になってみると、「もしかすると老化による変化も流行より速いかもしれない」と思うようになった。ある年齢を過ぎてからの体の変わり方とファッションはどう関わっていくものなのか。最近だと「50代になるとTシャツが似合わなくなる」なんて怖い話も目にするようになりました。

平芳:場合によってはですが、Tシャツのパリっとした健康的なイメージに対して体の変化が目立ってしまうということもあるのかもしれません。

高畑:そう考えると、晩年までずっとTシャツを着ていた谷川俊太郎や白洲次郎は真似しようのない特異点だったのかもしれない……。

平芳:ご本人が好きで着こなしていて、それをひとつのスタイルにしていくという道はありますよね。自分が着ていて気持ちいい服とか手触りがいい服、あるいは自分の気持ちがアガる服。そういったものはやはり他人になんと言われようと積極的に着て、自分の体の一部にしてしまえばいい。

高畑:その戦い方はいいですよね。

平芳:そうしていると、「どう思われるかな」というところを超えて相手に「このひとはTシャツを好きで着てるひとなんだ」「このひとはパーカーのひとなんだ」と認定させてしまうところまでいく。それくらいでいいのかなと。

女性にとってのスーツとTシャツ

平芳:特定の個人とファッションの関係という意味では、今回の本では高市首相のスーツ・スタイルに注目が集まる理由についても考えました。女性から見たスーツやTシャツについて考えてみるのもおもしろいと思います。

 スーツはもともと男性服でしたが、女性の社会進出にともなって女性用のアイテムとしても取り入れられるようになりました。ただ、男性用のスーツとまったく同じでなく、色味もバリエーションがあるうえにボトムスもスカートかパンツかの選択肢があります。それはいいとして、わたしがスーツを着るときにいつも思うのは、女性もネクタイができたらいいのにということなんです。

高畑:ああ、それは言われてみればそうかもしれません。

平芳:やっぱり白シャツの襟を締めてそこにネクタイをすると、ひきしまって顔が引き立つんですよ。そんな男性のスーツ姿を見ていると、女性用も首元になにかほしいなと。わたしは代用としてスカーフのようなものをネクタイ風につけたりすることがあります。ただ、本当は女性用のおしゃれなネクタイが一般的になれば解決するかなと思うんです。

高畑:男性が着るスーツは、ひとをカッコよく見せる機能がとても高いですよね。身体的な劣等感を持っていたとしてもスーツでカバーできる。

 それなのに、あるときからIT系の若い起業家などが身体をさらけ出すかのようにTシャツやパーカーをジャケットの下に着るようになった。カッコよくもあった一方で、一部からは「こっちがせっかくスーツで身体を隠してきたのに、それを暴くようなことをしてるんじゃない!」という動揺もあったのかなと思ったりしました。

平芳:ジェンダーの観点からTシャツについて言うと、スーツに比べれば男女関係なくニュートラルに着られる服だとは思います。ただ、完全にニュートラルではない。男性はTシャツを一枚で着られるのに対し、女性はそうではありません。やはり下着のうえに着るアウター的な位置づけなんですよね。なので、カジュアルなアイテムとはいえども、着こなしにおいてはどうやっておしゃれに見せるかがより意識されるアイテムかなと。

高畑:男性はシルエットが比較的単純なのに対して、女性はボディラインにも個人差があるので、Tシャツにも一人ひとりちゃんと向き合っていると思いますね。それぞれに芯があって、流行に対しても簡単にはうろたえない。逆に男性のほうはブレブレなので、ずっと悲鳴をあげている。そのぶん掘り下げがいがあったわけですが。

時間軸で見るファッション

平芳:最後に、あらためてファッションを歴史の時間軸で見るおもしろさについても話したいです。今回の本でも紹介したとおり、パーカーの歴史はわりと日が浅い。フード付きの服自体は昔からあったものの、アイテムとして「パーカー」が一般的なものになったのは最近のことです。

高畑:スタイリストの伊賀大介さんをはじめ、いろんなひととしゃべっていると、パーカーが「カッコいいもの」になったのは『E.T.』(1982年)以降だという話が出たりしますね。ぶかぶかのサイズ感も含めてパーカーがカッコよく見える一連のアメリカ映画があった。いわば「パーカー映画」の系譜を考えてみるのもおもしろいかもしれない。

平芳:わたしにとってのパーカー映画と言えば『ロッキー』(1976年)です。方向性としてはおしゃれの系譜から外れるかもしれませんが、主演のシルベスター・スタローンがパーカーを着てフィラデルフィア美術館の周りをランニングしているあの姿は強烈でした。貧乏から這い上がろうとする主人公がトレーニングするときに着ている、「日常的で飾らないアイテム」のイメージ。

 いずれにせよ、そこからひるがえって考えてみるとTシャツの歴史は長い。高畑さんが書かれているとおり、20世紀初頭には労働着として存在し、それが大衆着になり、さらにおしゃれアイテムへと格上げされていきます。しかも、今後もTシャツというアイテムが消えそうな気配はまったくない。そして、その寿命の長さにはタックインとアウトの循環構造も一役買っているのかもしれないと。

高畑:わたしの本ではその循環に話を集中させるために泣く泣くカットした話も多々ありました。Tシャツのデザインやプリント技術の話はしていないし、Tシャツにあわせるボトムスの話もしていない。ありがたいことに、おしゃれ好きの読者からは「ボトムスの話を抜きにしてTシャツ史を語るのはもったいないんじゃない?」という熱いリアクションもありました。たしかにTシャツもパーカーも、どんなボトムスをあわせるかで全体のシルエットが決まる。それによっておしゃれかどうか、時代にとって新鮮かどうかも変わってくる。いまの若いひとたちのトレンドとしては、笑っちゃうくらい太いパンツを履くのがあったりしますよね。

平芳:ちょっとオーバーサイズを着るくらいが流行っていますね。わたしもカッコいいなと思うんですけど、他方で「これって10年以上経った後から見るとダサく見えるんじゃない?」とも思います。いまダサく見えているものも昔はカッコよかったことを知っているので。

高畑:そうなんです。そんな暴力的なサイクルが流行の仕組みのおもしろいところでもある。

平芳:「流行は20年のサイクルで回っている」というのはファッション界でよく言われることですよね。それこそ90年代にわたしが大学院生だったころ、ある高名な服飾研究者から「最近のファッションデザイナーが発表している服が、わたしが若いころに楽しんだスタイルに似ている」と言われたことがありました。「ふーん、そういうものなのかな」と思ったものですが、自分が年齢と経験を重ねてみると実感として分かるようになった。

 もちろん、いまの若いひとが「流行ってこうやって変わっていくんだ」ということを知識ではなく実際に体感するのにも20年かかるわけです。でも、それを多くのひとがわかっているだけでも他人のファッションに寛容な世界に近づくのかもしれません。

高畑:わたしの場合、ここ数年でリバイバルしているY2Kファッションがその経験を与えてくれました。Y2Kがリアルタイムだったころ10代だったので、いまはじめて「流行の2周目」を目の当たりにしている。昔好きだったブリトニー・スピアーズがプリントされたTシャツをバレンシアガが15万円超えで出したりしているのを見て、「この気もちはなんだろう」という戸惑いとともに、「これがファッションか、長生きして良かった!」という興奮もあります(笑)。2周目はおもしろい。

平芳:それで言えば、2周目のときのテイストって1周目とまったく同じではないんですよね。やはりその時代に合わせたアップデートが行われている。前の時代のファッションが現代にフィットしたかたちでよみがえるさまも見どころです。

高畑:まさしく! Tシャツのタックインで言うと、かつては当然だったタックインがいま復活しているわけですが、首から下だけの写真を見せて「80年代でしょうか? それとも2010年代でしょうか?」とクイズにしたらたぶん多くのひとがわかるはずです。Tシャツの入れ方にも違いがある。とはいえ、なかには80年代のひとが「これはもう2020年代じゃん?」という現代的なタックインをしている「奇跡の一枚」もあったりもする(笑)。

平芳:(笑)

高畑:最近の動きでほかに注目しているのは、昨年ユニクロのスキニーパンツが廃盤になったことです。『何がダサいを決めるのか』ではMBさんが企画協力した漫画『服を着るならこんなふうに』(KADOKAWA)も登場しますが、あそこで言われているファッション理論は要するに「とりあえずユニクロの黒スキニーを履いておけば大きく外すことはない」というものでした。その黒スキニーがとうとうなくなった。

平芳:流行のピークを超えて、だんだん売れなくなってきたんですかね。

高畑:でも、ということは、ですよ? そう遠くない未来に、再び「来る」はずなんです。久しぶりに「消えた」ものですから。

平芳:たしかに! それはありそうです。あるファッションが消えて、忘れられたときにぱっと出てくるとそれがすごく新鮮に見える。われわれがそれぞれ見てきた「ダサいの歴史」ともつうじますが、ファッションの醍醐味はそういうところにもありますよね。

■書誌情報
『何がダサいを決めるのか』
著者:平芳裕子
価格:980円
発売日:2026年4月22日
出版社:ポプラ社

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