【連載】豊﨑由美 × 佐々木敦『海外文学(ガイブン)レスキュー隊!』#01〈後編〉 ブレット・イーストン・エリスの新刊を読む

 書評家・豊﨑由美(通称トヨザキ社長)と批評家・佐々木敦が、海外文学(通称=ガイブン)をテーマにした新たなトークイベント『海外文学(ガイブン)レスキュー隊!』を、4月24日(金)より三鷹市のイベントスペース「SCOOL」にてスタートした。

 原語で読む一部の読者を除き、翻訳によって初めて日本の読者に届く海外文学は、日本の出版状況においてマイナーな存在とされてきた。しかし近年、その状況はさらに厳しさを増し、2026年4月現在、海外文学を取り巻く環境は一層の危機に直面していると指摘されている。

 こうした状況を踏まえ、本イベントでは、翻訳・編集・出版を担う関係者へのリスペクトを込め、隔月ペースで海外文学の新刊レビューを中心とした定点観測的なトークを実施。イベント後はリアルサウンドブックにて、定期的に記事化していく。

 第1回の後編では、佐々木敦の一推し作品であるブレット・イーストン・エリス『いくつもの鋭い破片』についてと、クリストファー・プリースト『不死の島へ』について。

ブレット・イーストン・エリス『いくつもの鋭い破片』

左、豊﨑由美。右、佐々木敦。

佐々木:僕のイチ推しはブレット・イーストン・エリスの長篇『いくつもの鋭い破片』です。原題は『THE SHARDS』で、原著は2023年に出版されました。エリスの本が日本で出るのはかなり久々だったので楽しみにしていました。エリスはデビュー作『レス・ザン・ゼロ』から何度も自分をモデルにした(かのような)小説を書いてきたんですけど、『いくつもの鋭い破片』はいわば決定版で、著名な作家となった〈僕〉があることをきっかけに過去の記憶を呼び戻し、今までどこにも書いていなかったハイスクールの最終学年の頃、年にすると1980年から1981年にかけての出来事を綴り始めるという内容です。

豊崎:作者自身もそうですが、〈僕〉は執筆時に57歳になっているんですよね。そんな歳になった経験豊富な作家が、ハイスクール時代に体験したことを初めて書きましたという設定。

ブレット・イーストン・エリス『レス・ザン・ゼロ』(中央公論新社)

佐々木:〈僕〉が通っているのはロサンゼルス(この小説の表記だとロス・サンジェレス)のバックリー高校という実在の名門校で、彼は最終学年の最もイケてるグループに属しています。学校のクイーンでクールな美人のスーザン、その彼氏でスポーツマンのトムとは親友で、自分もデビーというセクシーな美人と付き合っている。そして〈僕〉は小説家を目指している、というか自分はすでに小説家であると自認していて、周りもそれを知っている。作中で彼は第一作を書きはじめていて、そのタイトルが『レス・ザン・ゼロ』なんですよね。

 10代ですから性的な欲望も満々で、もちろんデビーとはセクシャルな関係にある。でも実は〈僕〉はゲイ寄りのバイセクシャルで、スーザンのこともトムのことも性的な意味で好き。自分がゲイであることを周囲には隠してるんですけど(でもスーザンには微妙にバレてる)、一人称小説なので読者には分かるという書き方がされています。

 ロバート・マロリーというものすごい美少年が転校生として〈僕〉の前に現れて、物語が動き出します。ロバートはどこか謎めいていて、こいつには何か裏があるんじゃないかと思わせるものがある。そんなとき〈僕〉の身辺で、ペットがいなくなったり、知らない間に誰かが侵入して家の中の何かが変わっていたりといった不可解な出来事が起こり始め、世間では〈曳き網使い(トローラー)〉と呼ばれるシリアルキラーが連続事件を起こして大騒ぎになる。何人もの女の子が行方不明になり、後に死体となって発見されるんです。そうやって事件がどんどん起きていく中で、〈僕〉は小説家ならではの想像力を暴走させて、脳内で転校生のロバートと殺人鬼のトローラーを同一視していく……というのがあらすじです。

ブレット・イーストン・エリス『アメリカン・サイコ(上)』(KADOKAWA)

豊崎:私は翻訳されたブレット・イーストン・エリスの小説は長篇も短篇も全部読んでいます。その上で言いますと、彼の最高傑作は『アメリカン・サイコ』だと思っています。ビジネスマンでありサイコキラーであるパトリック・ベイトマンの日常と殺人を60の断章でつづった小説で、その行状のあまりの酷さには、もう笑っちゃうよねという感じの小説なんですけど、殺人行為を抜かすとベイトマンという人物は実にのっぺらぼうなんですよ。お坊っちゃん育ちで、高級品を身につけ美味しい料理を食べるという均質化されたセレブにすぎない。

 殺人を犯すときだけ個性が発揮されるベイトマンを、エリスは情感を欠いた直線的な語り口で描いていき、彼の精神崩壊が進めば進むほど語りのスピードも上がっていきます。その書き方が実に巧みで、断章の長さがどんどん短くなっていく構成も見事なんです。それに比べると『いくつもの鋭い破片』の語りはなんだかエモいし、なによりスティーブン・キングにそっくりなんですよね。最もキングっぽいなと思ったのは情報の先走りで、後になって明らかになる出来事を何の説明もしないまま、だいぶ前の方でポロッと出すということをわざとやる。読者は「何これ?」と首を捻り、どういうことなのか知りたくてページをめくる指が止まらなくなるというのが、キングの語り口の巧さで、エリスも今回、それをかなり意識的に取り入れています。

ブレット・イーストン・エリス『いくつもの鋭い破片』(文藝春秋)

佐々木:デビュー作の『レス・ザン・ゼロ』が最たるものでしたが、ストーリーと言えるものがなく、スナップショットみたいにシーン毎に起こる出来事を書いていくのがエリスの小説の特長ですよね。スナップショットの一つ一つが面白い上に、シーンを積み重ねていくことで全体としてある種の空気感が醸成され、同時代の感覚が表現されていく。でも『アメリカン・サイコ』はバッチリとストーリーがある小説で、結果的にこの作品がエリスを最も有名にしました。『いくつもの鋭い破片』は『アメリカン・サイコ』以来のストーリーで読ませる小説で、僕は夢中になって上下巻を一気読みして、「ブレット・イーストン・エリス健在なり!」となりました。

豊崎:でも、この小説には首を捻りたくなるところがいろいろあるんですよ。たとえば、〈僕〉が気に入って付き合っていたマットという少年がいます。金持ちと美男美女しか出てこない夢のような小説なので、マットもサーファーでかっこよくて、家にプールがある超お金持ちなんですけど、その彼があるとき死体で見つかる。それが警察によって簡単に自殺案件にされてしまうのが、納得いきません。体にはアザが、頭には深い切り傷の痕があったのに。

 どうして作者のエリスはこんな脇の甘い書き方をしているのかというと、『いくつもの鋭い破片』に書かれていることは書き手の主観が大きく作用した〈ナラティブ〉だからなんですよね。訳者の品川亮さんも巻末の解説で書かれていますが、57歳の〈僕〉は信用できない語り手なんです。ちょっとガイブンから離れるけど、『崖の上のポニョ』ってあるでしょう?

佐々木:『ポニョ』?(笑)

豊崎:映画の『ポニョ』って映像はすばらしいんだけど、なんの整合性もないデタラメな話じゃないですか。あれは、主人公の男の子(宗介)が住んでいた町が津波にあって、町の人たちがみんな死んでしまった中、ただ一人生き残った彼が中年になって、精神病院のベッドで拘束衣を着せられて眠っているときに見ている夢だというのが私の解釈なんですけど、この小説も似ているな、と。実際の語り手である57歳の〈僕〉は、10代だったころの〈僕〉のことが愛おしいわけで、その語りにはナラティブならではの欺瞞が横溢しているんですよ。でも作り話だけだと心痛むものがあるから、時々は本当にあったことを混ぜている。自分を守るために語っているお話と本当に起こった事実が混然となって区別しにくいところが、この小説の最もテクニカルなところです。

佐々木:エリスの過去の作品の冷徹でクールな語り口とは大きく違っていて、今回はとにかくエモくてヤバみがあるのは、むしろ57歳の〈僕〉が高校時代を回想して書いているからなんですよね。しかも、過去の自分に起こった出来事を回想しているので、そこには記憶違いや嘘や虚構などが意識的無意識的に混じっていく。実際、〈このナラティブを選ぶと〉という言い方が文中に何度も出てくる。あるナラティブを選んだら他のナラティブには行けないから、事実から外れていったとしてもしょうがないよねと。

豊崎:そんなことをしているから、ロバートにも言われちゃうんですよね。「それはお前のナラティブだろ?」って。

佐々木:そう。ロバートを一番の悪役にするナラティブを〈僕〉は選んでいる。でもそこにはロバートへの愛と欲望が隠されているわけで。

豊崎:つまり最も素朴な読み方をすると、『いくつもの鋭い破片』の出来事はすべて57歳の〈僕〉が書いた虚構で、それを現実のエリスが小説として発表しているとも解釈できるんですよね。

佐々木:今の話を聞いて、大江健三郎の最後の長編小説『晩年様式集(イン・レイト・スタイル)』を思い出しました。大江さんはある時期から、というか最初からかもしれませんが、ある種の私小説みたいなスタイルになっていったじゃないですか。『イン・レイト・スタイル』の結末では、女性の登場人物たちによって逆襲されるんです。『いくつもの鋭い破片』も、特に最後の方で何人もの登場人物が〈僕〉に対して反旗を翻す。おかしいのはお前だ。お前のナラティブは変だと。〈僕〉はそれに対して本当は手も足も出ないんだけど、なにせ語り手なので、作り話によって自分を守ることができてしまうんですね。ゼロ年代の舞城王太郎や佐藤友哉のような「ファウスト」系の小説にも似た感触の自意識メタフィクションで、メフィスト賞の応募作を読んでいる感じさえしました。そんな作品をアメリカのベテラン作家が書いているのが面白い。

豊崎:ものすごいお金持ちの世界を今書いているというのもいいですよね。持てる者と持たざる者の違いがもうあからさまで。親ガチャとか言って社会を批判している日本の若者はこの小説を読むといいと思います。向こうの金持ちは本当に規模が違うから。ここまで経済状況がかけ離れていると嫉妬する気にもなれない(笑)。

佐々木:今のアメリカ文学では決して主流とは言えない白人男性作家の作品であり、貧乏な人は誰一人出てこないし、お金持ちの高校生は基本的にみんないい子。そんな中で〈僕〉だけ性格がねじ曲がっているのは、やっぱり小説家だからなんですよね。還暦近くになってもこういう小説を書いてますというのがエリスらしくていい。

豊崎:きっと『いくつもの鋭い破片』のような半ば私小説をこの先も一生書いていくんでしょうね。でも、ブレット・イーストン・エリスの老境小説は読んでみたいかも。この人は老人になったらどういう心境の変化が起こって、自分大好きな感じがどう変わっていくのかなって。

佐々木:次回作が出たら翻訳されてほしいですよね。まだ訳されてない過去の長編も。

豊崎:でもまずは『アメリカン・サイコ』が絶版になっている方が問題なんですよ。『アメリカン・サイコ』を今の若い人たちが読めないというのはおかしい。出版文化の恥だと思います。

もう一冊/クリストファー・プリースト『不死の島へ』

佐々木:では残りの時間で、今日持参した他の小説について話していきましょう。前半でチラッと話に出たクリストファー・プリーストの『不死の島へ』がここにあります。プリーストは早いうちから日本に紹介されていて、最初の邦訳として長編『逆転世界』が出たのが1983年でした。

豊崎:今は創元SF文庫ですが、当時はサンリオSF文庫でした。

クリストファー・プリースト『不死の島へ』(東京創元社)

佐々木:プリーストは多作な作家で、ある時期から「ドリーム・アーキペラゴ(夢幻諸島)」シリーズというのを書き始めるんです。その中から『夢幻諸島から』というオムニバス短編集と『隣接界』という長編がすでに邦訳されているんですけど、この『不死の島へ』はそれらより早い1981年の作品で、夢幻諸島が登場した最初の長編になります。それがやっと邦訳で読めるようになりました。

 僕はプリーストがもともと好きなんですけど、『不死の島へ』は本当に面白かった。どういう小説かと言うと、実はさっき話した『いくつもの鋭い破片』とつながるところがある。この作品の主人公も、真実と虚構が入り交じった形で過去の自分を書いていくんです。1976年に20代の終わりを迎えている語り手のピーター・シンクレアは、いろいろと不幸が重なって家族も恋人も仕事も家も失ってしまい、いきなり人生がどん底になります。すると親の知り合いの金持ち老夫婦が、イギリスの外れにある別荘に住んでいいと声を掛けてくれる。別荘の修繕と管理をしてくれれば、家賃はいらないというんです。

 そしてピーターはひっそりと暮らし始めるのですが、そのうちにアイデンティティクライシスに陥り、自分とは一体何かみたいなことを考え始めてしまう。そうして、自分についての文章を書き始めるのですが、最初は現実に即した回想記だったんですけど、二回三回と書き直していくうちに虚構になっていき、その中に登場するのが「ドリーム・アーキペラゴ(夢幻諸島)」。

 ピーターが書いた話の中の世界は現実とはまるで違って、イギリスのような国は「ファイアンドランド」、ロンドンのような街は「ジェスラ」と呼ばれています。そして南と北の大きな国同士が、戦争のような状態になっているという世界です。その二国の間にドリーム・アーキペラゴと呼ばれる無数の島が浮かぶ海域がある。そこにはコラゴ社というバイオテクノロジーの会社があって、人を不死にする技術を確立しているんです。ただ、手術を受けるにはお金と手間がものすごくかかり、お金持ちばかりが不死になるのは不公平なので、当たれば誰でも手術を受けられる宝くじが売られる。そして、ピーターが書く話の中のピーターは、たった一回買ってみた宝くじに当たって、ドリーム・アーキペラゴに向かうんです。で、ここが面白いところなんですけど、作中のピーターも小説を書き始めて、それは現実のイギリスの話なんです。

豊崎:小説内のピーターは不死の手術を受けられるようになってから小説を書き始めるのではなく、それまで書き溜めていた小説を持ってドリーム・アーキペラゴを訪れるんですよ。不死の手術を受けると記憶が白紙になってしまうので、術後のために自分自身のことを書き記しておくのを勧められるんですけど、ピーターはこれでいいと自分が書いていた原稿を持っていくんです。

 わかりやすく整理すると、『不死の島へ』は3つのレイヤーから成り立っている小説と言うことができます。一つ目のレイヤーはピーターがリアルだと思っている現実世界、二つ目は夢幻諸島のあるピーターの想像の中の世界、そして三つ目がその両者が混じり合う世界です。その三つのレイヤーが章ごとに複雑に入れ替わっていくという構造になっていて、それさえ掴んでしまえば、読み解くのは難しくない小説です。そして最も大事なことは、『いくつもの鋭い破片』の〈僕〉と同じように、ピーターも信用できない語り手なんですよ。とにかく自分のことしか考えない好ましからぬ人物で、そういう意味でも、『いくつもの鋭い破片』の主人公と重なるんです。

佐々木:どちらも文章を書く人ですしね。

クリストファー・プリースト『夢幻諸島から』(早川書房)

豊崎:序盤にこういう文章があるんです。〈文章を綴っているわたしがいる。思い出すことのできるわたしがいる。そしてわたしが書いているわたしがいる。物語の主人公だ。事実に基づく真実と想像に基づく真実と違いが頻繁にわたしの心に去来した〉。この小説のキーとなる文章で、主人公は徹底して自分に都合のいいことを書いている。読み進めば読み進むほど嫌いになる不愉快な主人公なんですけど、高度な物語構成力はさすがプリーストで、一つ目と二つ目の世界が混じり合う三つ目のレイヤーの出し方なんかはとりわけ巧みです。

 私は『不死の島へ』の先に『夢幻諸島から』を読むのがいいと思うんですよね。ドリーム・アーキペラゴの島々を訪れる旅行者のためのガイドブックの体裁を取った短編集で、楽しくて読みやすいし、しかも不死の手術が当たる宝くじの話もでてきます。

終わりに

佐々木:ということで第1回を終わりたいと思います。一番最初にした話に戻りますけど、ガイブンがもっと読まれるようになるには、我々には何ができると思いますか?

豊崎:ガイブンに限らず小説を読む人を増やすのが一番だと思います。私が生まれて初めて読んだ海外文学は4歳のときのグリム童話なんですけど、三つ子の魂百までで、それがすごく面白かったから今に至っているんですね。だから、本が好きじゃない人はまだそういう“一冊目”に出会っていないんだと思うんです。その人が人生最初の面白い一冊に出会えるようなきっかけづくりが、書評家とかこういうイベントの存在意義だと思います。

佐々木:純然たる小説好き以外の入口から来たガイブンの読者には3つのパターンがあると思うんです。まずは舞台となる国に関心がある人、次にその国の言語や文化を勉強している人、そして日本語の翻訳者のファンです。特に翻訳者の人気は、今ものすごくガイブンの波及に作用しているんじゃないかと思うんですよね。どんなきっかけだったとしても、日本の枠から出て面白い小説を読みたいという人が増えてくれるといいなと思っています。

■関連情報
次回の『海外文学(ガイブン)レスキュー隊!』は渋谷にて7月開催予定。
詳細は近日発表します。

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