齊藤京子主演で話題『恋愛裁判』が向き合う、アイドル文化の功罪 小説版で描かれる、真衣の心情
元日向坂46の齊藤京子が主演で公開中の映画『恋愛裁判』は、アイドル・グループでセンターを任されたメンバーが、タイトル通りの状況に立たされる内容である。
アイドルの恋愛の可否は、ふるくから議論されてきたテーマだ。アイドルを疑似恋愛の対象としているファンは、金銭を支払って会話などができる接触イベントに参加している。アイドルの恋愛が発覚した場合、その種のファンは裏切られたと感じるし、恋愛禁止は暗黙の了解とされてきた。過去には「異性と交際しない」と記した契約書に違反したとして、事務所と裁判沙汰になったアイドルもいた。そうした例を踏まえ、アイドル関係者たちへも取材して『恋愛裁判』は作られている。企画・監督の深田晃司が三谷伸太朗とともに脚本を担当したが、文春文庫から深田によるノベライズも刊行された。小説版には、映画とはやや違う面白さがある。
小説版は、大筋では映画の物語を踏襲している。だが、主人公・山岡真衣の視点で語られる小説版は、出来事の経緯や心の揺れなど、映画で直接描かれなかったものも書かれているのが興味を引く。なかでも、恋愛に走った直後の真衣の行動や心情、それに対し事務所が裁判を起こした理由が映画より詳細に語られており、より理解しやすくなっている。ただ、文庫の裏表紙の紹介文には「小説版オリジナルストーリー」とある。物語の大枠は映画と共有しつつ、小説には独自の展開があるのだが、それについては後述したい。
主人公の真衣は、所属するグループ、ハッピー☆ファンファーレ(ハピファン)でセンターをしているが、自分に自信がない。いわゆる絶対的センターではないのだ。その彼女が、アイドルとして問題とされる行動を起こす。文庫本の全面帯も含め、映画『恋愛裁判』では、法廷に立つ真衣の姿がメイン・ビジュアルに使われている。彼女の恋愛の是非が問われるわけだが、ハピファンで恋をするメンバーは、真衣だけではない。一方、リーダーは、恋愛など許さないと頑な姿勢を示す。同じグループでもアイドルに賭ける思い、恋愛についての考え方、自分の感情をどうあつかうかなど、一人ひとり差があることが表現されるのが面白い。
この物語は、ほかにもいろいろな差の描写を積みあげていく。真衣は、偶然再会した中学時代の同級生・間山敬が気になる存在となるのだが、ある事件をきっかけに急接近する。ポイントは、敬が大道芸人であることだ。路上でパフォーマンスする彼は、投げ銭をもらう。小説で真衣は、「ああ、この人はお客さんとこんなにもシンプルな関係を結べているんだ」と思う。それに対し「ファンがわたしたちと〈絆〉を結ぶためにはもうちょっと複雑な、お金を介したいくつもの仕組みが用意されている」とアイドルである自分との違いを考える。こうした内省は、映画では言語化されなかったところだ。事務所にプロデュースされたグループの一員であるアイドルと、一人でやることを決めて客から対価を直接もらう大道芸人。その差は、真衣が敬に魅かれる理由であると同時に、わかりあえない一因ともなる。
恋愛禁止に関しては、たとえ契約上の禁止が無効とされたとしても、ファンがどう思うかという問題は残ってしまう。アイドルをとり巻く現実を真衣は突きつけられる。裏切られたと感じたファンが、以前の推しを害する側に反転するかと思えば、推しを必死で守ろうとするファンもいる。そこにも差はある。
裁判で真衣と対立することになる事務所のハピファン担当女性マネージャーは、かつてはその事務所でアイドルをしていたと設定されている(映画で演じたのは唐田えりか。彼女が不倫騒動でバッシングされ、芸能活動を一時期休止したのは知られている。物語と通じる要素がある人物のキャスティングである)。元アイドルのマネージャーは、真衣のありえたかもしれない未来だろう。一方、真衣が、アイドルになることを夢見る小学生と話す場面もある。それは彼女が、アイドルになる前の自分と再会するような意味を持つ。
裁判で真衣は、恋愛禁止の契約について自己責任を問われる。だが、契約時の彼女はまだ15歳であり、アイドルになるため契約しなければならないと思いつめていた少女が条項を冷静に読めたはずがない。成人として責任を追及される現在の真衣とはズレがある。その点が浮き彫りにされた後、先述のアイドル志望の小学生との対面があるのだ。小学生は、やがて契約時の真衣のような少女に育つだろう。物語は、そのように予感させ、読む者を複雑な気持ちにさせる。
さて、「小説版オリジナルストーリー」についてだが、裁判が進行するなかで真衣がする最終的な選択は、映画と同じだ。しかし、その直前に映画にはないエピソードがあるため、同じ選択でも受ける印象にかなり差がある。小説版は、アイドルをとりまく環境を映画以上に批判的に書いており、登場人物をよりシリアスな状況に置いているのだ。
ニュー・シングルのセンターをはじめとする各人のポジションをメンバーに伝える際、事務所はビデオ撮影し、彼女たちの表情を記録する。これは映画にもある場面だが、小説では、社長の「大事なのはストーリーなんだ」の持論にしたがってメンバーを撮影する箇所が増やされている。一方、かつての真衣は、センターで歌い踊っても自信がなく、エゴサーチで批判を見つけては気にしていた。だが、裁判を通して彼女は、自分がどうしたいかを考えるようになる。弁護士は、真衣の思いを幸福追求権、自己決定権などと説明するが、それは誰かのストーリーではない「わたし」をつかむことだといいかえられるだろう。この物語では、恋愛以上に「わたし」がテーマになっているといってもいい。
『恋愛裁判』は、様々な差、ズレを描き、違う立場を一方的に断罪することは避けている。小説版は「ストーリー」作りへの批判のトーンは高いものの、メンバー、ファン、事務所スタッフそれぞれの事情は踏まえている。功罪両面あるアイドル文化を単純化はしていない。そのなかで唯一、真衣が痛みを伴いつつ「わたし」をつかむことが肯定されている。アイドルの恋愛というよくある議論に対し、実直にむきあった物語といえるのではないだろうか。