自然は本当に人を癒すのか? 園芸家・川原伸晃が提唱する、植物への「不真面目」な向き合い方

川原伸晃『植物哲学 自然と人のよりよい付き合い方』(講談社)

 東京都港区三田に居を構える観葉植物専門店のRENでは、「プランツケア」という珍しいサービスが提供されている。一般的な園芸店のように店頭で植物を売るだけではなく、植物の不調に悩む人へのアフターケアや、何らかの理由で植物を手放さなければならなくなった人、植物を枯らしてしまった人からその個体を買い取り、再生するといった取り組みを行なっている。

 このRENを経営するのは、園芸店の四代目として生まれ育った川原伸晃(かわはらのぶあき)だ。川原には、このサービスを実践する「哲学」がある。「植物をいかに大切に育てるか」という問いに悩み抜いた川原がたどり着いた答えが、「人は植物に対してもっと『不真面目』でいい」という考え方だった。

 このほど川原は『植物哲学』を上梓。そこには、「植物を増やすことは必ずしも人を幸せにしないのではないか?」「手つかずの自然など幻想ではないか?」「人間と自然は本当に対立関係にあるのか?」といった、園芸家ならではの問いが綴られている。自然と人のよりよい付き合い方とは何なのか、ビジネスパーソンであり植物の哲学者である川原に話を聞いた。

植物を語るには人文知も必要

川原伸晃氏

ーー本書の執筆動機について聞かせてください。

川原伸晃(以下、川原):わたしが2023年に刊行した『プランツケア 100年生きる観葉植物の育て方』(サンマーク出版)は、観葉植物をどうケアすればいいのか、その具体的な方法について書いた本でした。実践的なケアに関する説明の間に、「植物をめぐる哲学的なエッセイ」という短いテキストを入れていたのですが、いつかこの部分を膨らませた本を書きたいという気持ちがあり、『植物哲学』の執筆に至りました。

ーータイトルに「哲学」とつけた意図はなんでしょうか。

川原:人間と自然の関係について考えるとき、それは究極的には科学の問題ではなく、哲学の問題であると思っています。もちろん、植物について科学的な研究をすることは重要です。しかし、科学的に正しいとされる言説を世の中にそのまま適用しても、必ずしも人を幸せにはしないと思うんです。

 例えば科学の一つに農学という学問があります。植物をいかに健全に育てるか、というのがこの学問の基本的な考え方で、植物を扱ううえで重要であることに間違いはありません。ただ、わたしが経営するRENでお客さまから観葉植物の相談をうけるとき、農学的なアドバイスだけで解決できることには限りがあります。

 お客さまの中には育てることに飽きてしまったという人も多いし、引っ越しをするが新居に持っていけず処分先に困っている、また植物を枯らせてしまったことに罪悪感をおぼえる人もいます。暮らしの中に植物を取り入れても、育てることが負担になってしまうのでは意味がありません。そこでRENでは、手放したい人から植物を買い取る、下取りサービスを実施しています。買い取った植物はわたしたちがメンテナンスを施し、再販売します。これは農学の考え方からは基本的に生まれません。いかに植物で人の心を癒すことができるのか、ということは、科学的な言葉だけではなく人文的な言葉でも語る必要があると考えています。

 また、哲学において「植物」というテーマは傍流で、思弁的に扱われてきました。わたしたちの現実的な生活に応用できる考え方は少なかったのです。だったら自分で考えてみよう、自分なりの観点で植物哲学を提示してみようーーそういう思いもありました。

人は植物にもっと不真面目でいい

ーー具体的にどの哲学者に影響を受けましたか。

川原:もっとも影響を受けた人物を挙げるなら、東浩紀さんになります。わたしは本書の前書きで「人は植物に対して『不真面目』でいい」と書きましたが、この考え方は東さんの『観光客の哲学』から生まれました。プランツケアの下取りサービスも、ふらふらと出かけていく観光客の「不真面目さ」こそ、対立を乗り越え、偶然の出会いや新しい繋がりをつくるのだという議論から生まれたものです。東さんの哲学は、植物に対してあまりに真剣に取り組みすぎていた自分には救いとなりました。

 西洋の哲学者で影響を受けた人物を挙げるなら、ハイデガーになります。ハイデガーによると、人間の「気遣い」が世界を価値づけます。まず世界があって人間がいるのではなく、人間の「気遣い」こそが世界に意味を与えるのです。これは植物と人間の関係にも置き換えられます。人間が観葉植物を「ケア」することで、わたしたちが生きる世界に意味が与えられるのです。

ーー他方、本書ではナチスの自然観も取り上げられています。

川原:ハイデガーの哲学がナチスに繋がったことも忘れてはいけません。藤原辰史さんの『ナチス・ドイツの有機農業』(柏書房)を読んで衝撃を受けたのは、ホロコーストはナチスドイツの生命感覚の欠如に端を発するのではなく、むしろ過剰な生命観に由来するのではないか、という考察です。素朴な自然礼賛は人間軽視につながり、極端に走ると優勢思想に行き着いてしまう。すべての園芸家はこの問題を考えるべきですし、わたしも仕事を通して皆さんに伝えていきたいと思っています。

ーー本書では、「自然のためなら人が我慢すべき」という人たちを「園芸左翼」、「人が快適なら植物にケアは不要」という人たちを「園芸右翼」と整理し、川原さんご自身は「園芸二重スパイ」を自称されています。

川原:「園芸二重スパイ」は、哲学の言葉を借りるなら「脱構築」と呼べるかもしれません。伝統的に自然と人為は対立軸をしかれ、互いに敵視し、傷つけあってきました。わたしは園芸の仕事を通じて、この対立構造を解体したいのです。

 そのために、RENを経営しながらどのような活動をしているかというと、先ほど述べた下取りサービスのほかに、枯れてしまった植物を引き取って堆肥化する「グリーフケア」を実施しています。もちろん、植物を健全に育てたい人たちにはそのためのお手伝いもします。ですが、育てるのに飽きてしまった人、枯らしてしまった人たちに、後ろめたく思わないで欲しいのです。自然界では、朽ちた植物は生きた植物の養分となりますから。

ただ緑化すればいいわけではない

ーーほかにも本書では、都市の壁面緑化や屋上緑化といった、“園芸左翼化”とも呼べる現象が進んでいるとも指摘されています。

川原:都市に植物を増やすこと自体は否定しません。極端に緑が少ないところに植えることは大事なことです。ただ、無根拠にグリーンを増やせばいいという態度には疑問があります。むしろ植物を増やすことよりも、減らすことのほうが重要ではないか。実際、園芸家の仕事の中心は、植物を減らすことです。庭師さんの仕事のほとんどは剪定です。増えすぎた植物は減らさないといけない。

 人間が先天的に人工空間を自然空間に近づけたいと思う欲望のことを「バイオフィリア(自然愛)」と呼び、この考え方は現代の都市づくりや建築に影響を与えました。都市の過剰な緑化はそのせいです。しかし、人間がリラックスすることができる植物の量は、せいぜい視界の1割ほどだといわれています。人間には、自然の一部を嫌う「バイオフォビア(自然嫌悪)」という性質もあるのです。ジャングルのように周囲を緑で埋め尽くしたとして、それが結果的に人を癒すとは限りません。都市や建築にどんどん植物を増やしていきましょうという考え方には、議論の余地があると考えます。

ーー生活環境を植物で埋め尽くそうとする流れについて、もう少し詳しくお聞かせください。

川原:『植物哲学』の中では、ジークムント・フロイトの「タナトス」を使って説明しています。フロイトによれば、人は生まれながらに最初の状態、つまり死に戻ることを目標にしていると言います。わたしは園芸家として、人間が戻ろうとする原初とは、大自然に囲まれることだと解釈しています。これは自然浴をイメージしていただくとわかりやすいと思います。植物に囲まれることが希死概念に結びついているのだとしたら、いたずらに植物を増やすことは健全ではありません。もちろん緑化について否定するつもりはありませんが、こういったことを考えず、無根拠にただ植物を増やせばいいだろうという流れには違和感を感じます。

ーー園芸家の仕事は植物を減らすことである、という言葉にはハッとさせられます。だから本書で、「園芸とは『人にとって都合よく自然を制御する技術』」と書かれているのですね。

川原:そうですね。原義を参照しても、園芸とは「囲まれた土地での栽培」ということになります。「囲い」こそが園芸のアイデンティティなんです。一読すると、「植物に対してなんと乱暴な」と思われるかもしれません。しかし、植物はそんな生やさしい存在ではありません。減らし、囲い、“飼い慣らす”くらいでちょうど良いのです。『植物哲学』の中でわたしは、植物を「超越」と表現しています。植物には人間でいうところの知性に近いものが備わっているし、無限に増殖可能であるし、寿命と呼べるものがありません。様々な理由から、植物は人間にとって「超越」した存在です。

人類史は園芸の歴史だ

ーー本書では「人為なき自然は人を癒さない」という仮説があげられています。これは手入れされた観葉植物こそが人を癒す、という意味でしょうか。

川原:わたしは、いわゆる自然と、園芸家が手入れをした自然はある意味でほぼ等価であると考えています。職業柄、大自然の中に出かけていく機会はおおいのですが、わたしは見たことがない自然に相対するとき、どことなく既視感を覚えます。手入れされた庭や観葉植物とのフラクタル構造に気づくのです。

 もっと言えば、わたしが本書で伝えたかったのは、「手つかずの自然」というのは幻想だということです。言い換えるなら、「人間活動の影響を受けていない自然」は存在しないということになります。どういうことかというと、人類は誕生以来、森を切り拓いて文明を発展させてきました。もはや地球上には、「作為された自然」しかないのではないか。人類史は、まさに園芸の歴史なんです。もちろん否定されるべき環境破壊はあります。ですが、頭ごなしに人為を否定的に捉える必要はないと考えます。

ーー『植物哲学』というタイトルでありながら、人為を肯定しましょうという本なのですね。

川原:その通りです。この本の裏テーマは、人間讃歌です。自然に手を加えることはいけないことだと思い、過度にオーガニックに生きることは、自分を追い詰めてしまいます。園芸左翼化が進む現状は、自然に対して「人為」という仮想敵をつくり、自家中毒になっていると言えます。「作為された自然」しか存在しないと考えることができれば、わたしたち人間は植物と新しい関係を作ることができるはずなんです。

ーーだからこそ、人間はもっと植物に対して「不真面目」でいいということですね。

川原:世界的に見てもRENの取り組みは珍しいようで、国内外から講習を受けにきてくれる同業者の方も増えてきました。読者の皆さんは、安い観葉植物をお店で買って育ててみてもいいでしょうし、必ずしも植物を自分で育てる必要はなく、道端の雑草を見て考えることもケアの一つです。本書を読んで、植物との距離感について考えてもらえれば嬉しいです。

■書誌情報
『植物哲学 自然と人のよりよい付き合い方』
著者:川原伸晃
価格:2,090円
発売日:2025年10月16日
出版社:講談社
レーベル:講談社選書メチエ

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