江戸時代の猟奇殺人、「物の怪のせい」は通用したか? 『江戸の刑事司法』和仁かやに聞く、役人たちが抱いた裁きの葛藤
「市中引き回しの上、打ち首獄門!!」――時代劇で悪役が裁かれスカッとするお馴染みの場面だが、その一方で、言い渡される判決の過酷さにも驚かされる。首を刎ねたうえ衆目に晒す刑罰は、現代人の感覚からはかけ離れている。近代化の以前、江戸時代の日本では、残酷で非合理的な法制度がまかり通っていたのだろうか。
そうした疑問に答えるのが『江戸の刑事司法——「御仕置例類集」を読みとく』(ちくま新書、以下本書)だ。本書は江戸時代の判例集「御仕置例類集」に収録された実在の事件を手掛かりに、当時の刑事司法の仕組みやプロセスを解説している。現代の感覚からすれば残酷な刑罰を下す役人たちの思考過程を追体験できる一冊だ。そのなかでは、当時の役人たちの、今と決して変わらない人間くさい一面も垣間見える。著者で早稲田大学法学学術院教授の和仁かや氏に本書の読みどころを聞いた。
ルールと現実のギャップに苦しむお役人たち
――本書を一読して、従来の「江戸のお裁き」のイメージがかなり変わりました。判決を下す役人たちは、必ずしも磔などの重い刑罰を好んでいなかったようですね。
和仁かや氏(以下、和仁):そうですね。時代劇などのインパクトが強いこともあり、江戸時代には過酷な刑罰が当然視されていたと思われがちです。しかし、実際には、江戸幕府の役人たちは死刑に対してかなり消極的です。制度上も磔や獄門のような重い判決を下すのは容易ではなく、実務上の最高責任者である老中へのお伺いなどが必要でした。役人にとっては、複雑な手続が煩わしいはずですし、生命刑を言い渡すことに重圧も感じていたと思われます。
――現代でも死刑判決には極めて慎重な判断が求められます。その点は現代と似ていますね。
和仁:もちろん刑事司法のシステムは、現代とまったく別物です。本書では江戸幕府唯一の成文法典であった「公事方御定書」が成立した18世紀半ば以降の事案を取り上げていますが、公事方御定書は中国の明代に成立した「大明律」(通称・明律)に大きな影響を受けており、近代法とは根本的な理念や構造が異なります。
それにも関わらず、役人たちの法的思考や量刑判断には、現代と共通する感覚がしばしば顔を覗かせる。こうした現代との共通点や相違点が混在しているところが、当時の刑事司法の面白さだと思います。
――本書では江戸幕府の判例集である「御仕置例類集」に収録された事件が取り上げられています。御仕置例類集とはそもそもどのような文書なのでしょう。
和仁:御仕置例類集は、明和八(1771)年から嘉永五(1852)年までの記録を計五回に渡って編纂した判例集です。実際に発生した事件の判決とその判決に至るまでの評議の経過などが記載されており、量刑判断の基準になっていました。
御仕置例類集が求められた背景には、誤解を恐れずに言えば、公事方御定書に「欠陥」が多かったからでもあります。公事方御定書には犯罪に対する刑罰が規定されていましたが、その規定が具体的すぎると同時に、網羅性に乏しい面がありました。たとえば現代で言うところの殺人罪では、誰が誰を殺したか、またどのような手段を用いた犯行かなどが事細かく分類されて、それぞれに対応する刑罰が規定されていました。これには判決を下す役人の裁量権を狭めて、独断専行を防ぐ意図があります。しかし、あらゆる犯罪が条文通りに発生するわけではないので、新たに登場した犯罪類型をカバーできない欠点がありました。
また、役人たちの量刑の感覚との乖離もありました。もともと公事方御定書に定められた刑罰は、当時の役人たちの感覚からしても総じて重すぎるものでした。さらに、時代を経ると人々の刑罰に対する意識も移り変わっていきます。現代社会でも50年前と現在では、犯罪や刑罰に対する意識が変化していますよね。江戸時代にも、そうした社会意識の変遷がありました。公事方御定書は条文の確定から100年近くに渡って一度も改廃や追加がなされなかったので、量刑の感覚とのギャップは時間が経つごとに開いていきます。
しかし、いくら感覚から乖離しているとはいえ、成文法典である公事方御定書を無視するわけにはいきません。そのため、御仕置例類集の判例を参照して、重すぎる刑罰規定とのバランスを取りながら量刑判断をする必要がありました。そのプロセスや論理の組み立て方は形式主義的で、いかにも「お役所仕事」といった様相です。ルールと現実のギャップに頭を悩ませて、説明のつく理屈をひねり出さなければいけないのは、いつの時代にも共通する役人の常なのかもしれません。
「犯罪の原因は貧困」と理解していた松平定信
――しかし、そうした役人たちの形式主義が、権力による刑罰権の濫用を抑制している面もあったのではないでしょうか。
和仁:おっしゃる通りです。公事方御定書や御仕置例類集は一般に公開されていない秘密法典だったため、量刑の仔細な検討は、近代法的な「法の下の平等」を実現するためではなく、老中をはじめとした幕府の上層部への説明のために行われていました。それが結果的に、逸脱的な判決や重すぎる量刑を防いでいた面はあります。
ただし、必ずしも役人的な形式主義だけで判決が下されていたわけではありません。御仕置例類集の記述を確認すると、貧困や虐待など、やむにやまれぬ事情から発生した犯罪については、背景を考慮して量刑を軽くするなどの処置が取られています。当時から「情状酌量」の発想があったと分かります。
――本書の第三章では「処罰か福祉か」というタイトルで、貧困を背景にした犯罪の事案を解説しています。犯罪抑止の観点から福祉的な政策を推進する発想は当時すでに存在していたようですね。
和仁:犯罪の要因として貧困に着目する傾向は、江戸幕府による治世が安定しはじめた17世紀後半から徐々に強まっていき、18世紀ころには政策に大きな影響を与えていました。特に18世紀後半は、将軍のお膝元である江戸で「天明の打ちこわし」が発生するなど、貧困を背景とした世情不安が高まっていた時期です。こうした情勢を憂慮した老中の松平定信は「寛政の改革」を推進し、戸籍を喪失した無宿人や前科者などを収容して職業訓練などを通じ社会復帰を促す「人足寄場」を設置しています。厳罰一辺倒では多発する犯罪を抑止できないと、江戸幕府の役人たちも深く理解していたわけです。
――松平定信というと「白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき」の狂歌で知られるとおり、厳格なイメージが広く知られています。
和仁:定信に厳格な一面があったことは確かだと思いますが、老中の就任以前には奥州白河藩主の実務経験もあり、政治や社会の複雑さも十分に理解していました。人足寄場などの福祉的な政策も現実主義的な立場から取り組んでおり、一般に流布する堅物で融通の効かないイメージだけで語るのは、必ずしも定信の実像を反映していないと思います。
「ある図録」が残酷な刑罰のイメージを定着させた?
和仁:要因はいくつかあると思います。先ほども述べましたが、公事方御定書の条文やお白洲(法廷)の様子はもとより、刑罰をめぐる議論などは一般に非公開であったため、刑事司法の実態が庶民には伝わりにくかったのが要因の一つでしょう。また、当時の刑事司法を担っていた下役人たちは多くが世襲だったため、江戸幕府が瓦解して明治政府が樹立されて以降は世襲が途絶えて、裁判実務に関する知見や専門性が断絶してしまいました。
それに加えて、後の時代に大きな影響を与えたと思われるものの象徴が「徳川幕府刑事図譜」です。徳川幕府刑事図譜は江戸時代の治安維持活動や刑罰を描いた図録で、現在もメディアで磔や獄門が紹介される際にしばしば引用されます。血の噴き出る処刑の描写や罪人が拷問に苦しむ様子が収録されていて、一見すると確かに残酷な印象です。
しかし、徳川幕府刑事図譜が刊行されたのは明治26年。明治政府が樹立されて以降に制作されており、冒頭には英語での序文も付されています。つまり、徳川幕府刑事図譜には外国向けに江戸時代の後進性をアピールすることで、明治政府の近代化の成果を際立たせる意図が多分に含まれています。条約改正問題を抱えていた明治政府の政治的意図が反映されているわけですが、それが現代に至る江戸時代の刑罰のイメージを固定化した側面は大きかったと思います。
――明治維新で政治体制が刷新されたとはいえ、政治や社会のすべてが変わってしまったわけではないのですね。
和仁:法制史的な観点でいえば、江戸時代の司法制度が近代法を受容するうえでの素地となったのは確かだと思います。例えば、御仕置例類集の判例を確認すると、判決を下すうえで罪人が犯罪を故意に行ったのか、過失だったのかを非常に重視しているのが分かります。「故意」や「過失」は明治以降に定着した近代法の概念ですが、それに類似した議論は江戸時代にも役人たちの間で広く行われていました。江戸時代の裁判実務を担っていた役人たちの系譜は、少なくとも制度的には途絶えてしまったものの、その根底に流れていた法意識や法的思考が、近代法を受容する際の土壌になったのは間違いありません。
犯人の責任能力が問われた「江戸の猟奇殺人」
――現代との共通性でいえば、本書の第四章では現代でいう「責任能力」が問われた事案について解説しています。
和仁:天明六(1786)年に現在の大阪府で実際に発生した親殺しの事件です。ある村に母、兄、姉、弟の四人家族が仲睦まじく暮らしていたのですが、ある日、弟が突如として異様な精神状態に陥り、兄に母を殺害するよう指図します。兄は指示に従い、母を殺害したうえに遺体を斬り砕くという凶行に及び、さらに兄と姉が共同して母の骨肉を拾い集めたという事件です。
兄弟たちは大坂町奉行所に逮捕されますが、殺害を指示した弟は犯行の理由を「物の怪に取り憑かれたからだ」と供述し、取り調べの最中も訳の分からないことを口走り続けます。その末に、兄弟は判決を待たずに獄中でともに死去しました。当時、兄弟たちが住んでいた村では、周辺の山々で怪奇現象が起こるという噂が実際に流れており、祟りだと恐れて里に移り住む家族も多かったとのことです。
では、この一連の事案を江戸幕府の役人たちは、どのように評価し、どのような判決を下したのか。その過程を本書で解説しています。
――ホラー映画さながらの猟奇的事件ですね。現在の刑法では心神喪失者の罪を問わない旨が規定されていますが、当時にも同様の法制度があったのでしょうか。
和仁:公事方御定書では現在でいう心神喪失の状態を「乱気」「乱心」と表現し、減刑の対象としています。例えば、殺人については原則として生命刑が定められていましたが、犯行時の乱心が確認され、かつ被害者遺族から助命嘆願があるなどの条件が揃えば減刑の対象となりました。
また、当時は自分が仕える主人を殺害する「主殺し」や本事案のような親殺しが、儒教的な倫理に著しく反することから磔などの重い刑罰が規定されていましたが、乱心が確認された場合には生命刑のなかでも比較的軽い死罪に減刑されました。現代の感覚からすれば、磔も死罪も生命刑であることに変わりはありませんが、乱気や乱心が減刑の根拠として認められていたのは確かです。
――当時から責任能力の有無を量刑に反映させる制度が存在していたのですね。
和仁:そうですね。しかも、乱気の認定にはかなりの慎重さが求められました。というのも、公事方御定書や御仕置例類集は一般に公開されていなかったものの、「乱心による犯行は減刑される」という事実は、当時の庶民たちに広く知られていました。そのため、罪人が詐病により刑罰を免れようとするケースが多々あり、役人たちは証拠や証言を綿密に収集したうえで乱気を認定しなければいけませんでした。
本事案においても、大坂町奉行所は兄弟たちの普段の暮らしぶりや犯行時の状況について、非常に詳しく証言を集めています。当時は、精神鑑定などの医学的見地を踏まえた司法手続は存在しませんでしたが、だからといって役人たちの主観や独断で責任能力の有無を判断していたわけではありません。本事案の裁判の過程を追うと、当時の重罪である親殺しを本当に減刑してよいのかという役人たちの迷いや葛藤がよくよく伝わってきます。
――なるほど。では、兄弟にはどのような判決が下されたのでしょうか。
和仁:それはネタバレになってしまいますので、結末は本書に譲らせてください(笑)。ただし、本事案は現代と当時の法制度の差異を考えるうえで格好の材料だと考えています。乱気の認定以外にも、殺人の実行犯である兄と犯行を指示した弟の量刑に差を設けるかなど、現代の法律に照らし合わせても興味深い論点が少なくありません。現代とは異なる法制度や価値観のもと、役人たちは猟奇的事件にどのような判決を下すのか。当時の役人たちの思考過程を知りたい方は、ぜひ本書をご確認いただきたいです。
「自分の頭で考える」では法的思考は鍛えられない
――本書の内容は和仁さんの大学での授業でも用いられているようですね。学生たちの反応はいかがでしょうか。
和仁:最近では、かつてほど時代劇の存在感がありませんが、漫画『鬼滅の刃』でも裁判のシーンが登場するなど、漫画やアニメを経由して「江戸のお裁き」を知る学生が多いようです。反応としては「こんなに緻密に判決を下していて意外」というものが多いですね。やはり、前近代には裁判や刑罰も非合理的だったというイメージは、若い世代にも根強いのかもしれません。
――しかし、ここまでのお話を振り返っても、必ずしも「江戸のお裁き」が非合理的だったとは言えないようです。
和仁:御仕置例類集を読み解いていくと、やや強引な結論や論理的に危うい議論は散見されます。磔などの刑罰や拷問による取り調べなど、現代的な価値観からすれば容認できない制度も少なくありません。なので、「江戸のお裁き」が、現代と同等に合理的で洗練されていたとは到底言えません。
しかし、時代や法制度、世の中の価値観など、さまざまな前提が異なる社会において、裁判を司る役人たちがどのようなことを考えていたのかを知るのは、「法律とは」「刑罰とは」といった法にまつわる根本的な問題を問い直すうえで極めて有効です。
昨今、社会のさまざまな場面で「自分の頭で考える」というフレーズが紋切り型的に用いられます。しかし、この社会において自分の頭だけで思考する場面はむしろ稀です。妥当な結論を導き出すには、何らかの制約や枠組みのもと思考しなくてはいけません。
では、どのように固定観念などを解きほぐしながら、物事を思考する力を養えばよいかというと、「異なる前提に立って考える」ことだと思います。江戸時代と現代では、さまざまな前提が異なります。しかし、だからこそ、当時の役人の立場に立ってみて、量刑の妥当性や条文との整合性を検討することで、現代でも通用する強靭な法的思考が養われるのではないでしょうか。そうした観点でも、本書を読んでいただけると著者として嬉しい限りです。
■書誌情報
『江戸の刑事司法ーー「御仕置例類集」を読みとく』
著者:和仁かや
価格:990円
発売日:2025年11月8日
出版社:筑摩書房
レーベル:ちくま新書