「フットボール批評」編集長から実用書ヒットメーカーへ 石沢鉄平「ないから作る」街場の編集論
Jリーグ開幕の空気を小学生として吸い込み、スポーツ雑誌をむさぼった少年は、やがて夕刊紙の競馬記者として十年を走り抜ける。35歳でいったん筆を置き、WEB『ジュニアサッカーを応援しよう!』に飛び込み、2019年には「フットボール批評」編集長に就任。ピッチ外の現象からピッチ上の現象へ大胆にフォーカスするも、雑誌は2023年春に休刊を迎える。
そこで“紙の終わり”に打ちひしがれるどころか、カンゼンの編集者、石沢鉄平はむしろ軽やかだった。「自分が読みたいのに、世に出回っていない本」をゼロから立ち上げる。そのスタンスで、実用書でもヒットを重ねる。代表例が『世界一やさしいウイスキーの味覚図鑑』だ。SNSで見つけたまだ無名だった書き手のブログに、“味覚を言葉にする”明快なフォーマットと文体の輝きを見抜いた。著者の良さを消さない構成、最初の打ち合わせでゴール設定を徹底共有、以後は極力いじらない。人づての出会いを何よりの燃料にし、街場と酒場で直感、本能を磨く。年齢とともに脳は衰える。だからこそ、鈍ったら潔くやめる覚悟を持つ。「延命しない」編集者の現在地と、若い世代へのエールを聞いた。
■サッカー好きの少年から夕刊紙の記者へ
ーー まず、編集者になる前のことを教えてください。サッカーが好きになったのはいつからですか。
石沢:小学生の頃ですね。93年のJリーグ開幕ど真ん中の世代で、サッカーどころの埼玉県与野市(現・さいたま市)に住んでいたこともあり、遊びも体育もサッカー。漫画は『キャプテン翼』、雑誌は「サッカーマガジン」はもちろん、スポーツ全般が好きだったので「Number」や「週刊プロレス」も読む少年でした。プレーは早々に自分の限界を悟って、観るほうに回ったタイプです。もちろん地元の浦和レッズを意識しつつも、当時から高校サッカー、大学サッカーなどアマチュアサッカーにも目を向ける感じでした。
ーー 書く道へはどう接続していきますか。
石沢:日本ジャーナリスト専門学校に入り、『内外タイムス』という夕刊紙のアルバイト募集に受かって、そのまま入社しました。担当は競馬です。美浦のトレーニングセンターに通って、調教師や騎手を取材して、週末に向けて原稿を書き予想する。その後『夕刊フジ』に転職して、約十年で記者の基礎は全部そこで身につきました。取材の仕方、文章の書き方、見出しの付け方、リードの書き方、キャプションの付け方――デスクに文章を直されて、怒りながら覚えた(笑)“基本の基”ですね。もちろん新聞は毎日締め切りがあるので、自然とスピード感も身についた感じです。
ーー 十年で区切りをつけたのはなぜでしょう。
石沢:極めてもいないのに自分で飽きてしまったのが大きいように思います。違うことをやりたくなって、何も決めずに退職しました。ウェブでたまたま愛読書が多かったカンゼンの求人を見て、WEB『ジュニアサッカーを応援しよう!』の外注ライターとして関わり始めたのが出版社への入口です。編集業務もやりながらでしたが、“基本の基”があったので、シームレスに入って行くことができたと思います。
■雑誌休刊からのマインドチェンジ
ーー そこから「フットボール批評」編集長へ。2019年、いきなりの大役ですね。
石沢:編集長が辞めることになって後釜を探していたようです。社長と幹部に喫茶店に呼び出されて「批評の愛読者だったんだろ、やれるよな?」と(笑)。前任の編集長の時代はJリーグやJFAの体制などピッチ外の批評が中心でしたが、私はピッチ上の現象へ比重を移していきました。ライバル誌も最新の戦術、戦略などに振り切っていたので、土俵を合わせつつ、自分なりの人脈と切り口で勝負したつもりです。ちなみにアーセナル特集はピッチ上の現象にシフトする前の号ですけれど重版をしました。ターゲットを明確化したことがよかったのかもしれません。
ーー ただ、2023年春に休刊。割り切ることはすぐにできましたか。
石沢:数字としては明らかに下降線。広告に頼らず売上で戦ってきた雑誌でしたから、ズルズル続けない会社の判断は自分も納得のいくものでした。時代の流れに抗い続けるより、次に進む。喪失感よりも“企画の場所替え”と捉えられたのは、夕刊紙で働いていた時代がまさに新聞離れの時代と重なっていたので、カラッとしたようなものでした。
ーー 書籍では実用書のヒットを連発しています。編集の核になる考えを教えてください。
石沢:「自分が読みたいもの、売っていないもの」をやる。2番煎じの書籍はあまりやりません。とはいえ、完全なゼロイチというより、「既に出ている要素を横と縦に組み替える」「Aを捨ててBに特化する」ほうが多い。サッカーで言えば指導者、関係者――居酒屋を含めて街場で会った人から面白い芽が生まれます。逆に、編集者同士の内輪の会はほぼ行ったことがありません。というか付き合い自体がありません。なので呼ばれないだけなんですけれど(笑)。
■最大のヒット作が生まれた経緯
ーー 『世界一やさしいウイスキーの味覚図鑑』は、まさに芽の見つけ方と育て方のお手本でした。
石沢:SNSのタイムラインで著者・朝倉あさげさんのブログが流れてきた。ウンチク中心の本が多いジャンルで、朝倉さんは“味覚”を大衆的な表現で言語化し、読み物としてもずば抜けて面白かった。フォーマットも既に出来上がっていたので、味覚アイコンをプラスするだけで、最小限の編集で見栄えを増幅するだけでした。企画会議は週一でシンプル。会社全体として類書のないジャンルは弱腰になりがちですが、「自分が読みたいもの」「自分がタメになるもの」という企画を持ち込みます。スピード感をもって、その勢いのまま形にすることを心がけています。『世界一やさしいウイスキーの味覚図鑑』は結果的に5刷までいきましたが、会社としては多分“トントンでいいくらい”だろうと思っていたはずです(笑)。自分もここまでのヒットは予想していなくて。だからこそ驚きも大きかったですね。
ーー 文章の直し方については、新聞記者出身ならではの“失敗”から学び直したとか。
石沢:最初の頃はつい原稿をいじりがちで、大幅な改変に激怒されたことがある。夕刊紙時代のデスクに「原稿を直されるのは人間にとって最も屈辱なこと」と言われ、腑に落ちました。やっぱり書籍というのは、著者のものなんですよ。だから今は、最初の打ち合わせでコンセプトとゴール設定を徹底的に共有し、道中は極力いじらない。とはいえ、舐められすぎても私がやっている意味がないのでそこのバランスだけは保つ。用語レベルの統一や法的・事実関係のチェックはやるけれど、言い回しは著者に委ねる。結果、余計なやりとりは減りました。
ーー 無名や初著者と組むことを恐れないのも特徴です。
石沢:初めての一冊に著者のエネルギーはもっとも宿る。売れるかどうかは置いておき、そのエネルギーを利用する。まだ世の中に出ていない才能の持ち主はそれほど山ほどいます。SNSも街場も、出会いの密度を上げるほど直感の解像度が上がる。自分なりの実感として結局行き着くのは“直感”と“人”だと思っています。実績が少ない人とやるときは、最初の構成メモをいつもより丁寧に作る。著者の強みを“型”に落とすための最短距離を一緒に探す感覚ですね。
■ヒット企画を生み出す秘訣
石沢:居酒屋で誰かと酒を飲む(笑)。緊張感をなくしすぎないように。特に初対面の人との会話はいちばん面白いですね。24時間365日シームレスに頭は動かしているつもりですが、そこまで苦ではない。自転車で通勤しているのも、天気とかいろいろなものを感じられるので悪くはないですよ。
ーー 企画会議を通すコツは?
石沢:結局、強引さでしょう(笑)。後は1枚紙に、タイトル・構成・読者層・類書との差異・意図・話題性を書く。企画が通った瞬間に著者にアタックするのも重要で、なぜなら自身の熱量も冷めるのが早いですから(笑)。といいつ、事前に関係者から著者を紹介されていることが多いので、だからこそ「強引にでも通しに行く」という感じになるんでしょう。
ーー 一方で、年齢による“硬化”も自覚している。
石沢:脳科学関連の本を読むと、思考はステレオタイプ化していくと説かれています。だから、鈍ったら延命しない。50〜55歳くらいでこの仕事を区切る可能性は常に考えています。直感と本能が鈍ったらやっていけません。眼も悪くなっていきますから。いまは年間10冊前後を編集していて、自分のために脳科学の本にも携わってみたいですね。
■読みたいものを信じる
ーー 若い編集志望者へのアドバイスをお願いします。
石沢:人と話すこと。できれば(体質が許せば)お酒を飲むこと。数字も大事だけれど、最後は自分の読みたいものを作る、自分のためになるものを作ること。会議で企画を通すのはポーズ的な(笑)強引さであり、スピード感。最初の合意形成を丁寧にやったら、あとは著者に任せるだけ。それで十分やれるでしょう。もう一つだけ付け加えるなら、トラブルの芽は最初著者に会ったときにほぼ見える。相性が悪い、中身がないと感じたら無理をせずにさようならと。お互いのためです。
ーー 雑誌編集から書籍編集へ。変わらない“編集の芯”は何でしょう。
石沢:変わらないのは、現場で見つけた面白いもの、人をスピード感を持って形にしていくこと。雑誌時代は“ピッチの現象”のメカニズムをどう言語化するかにこだわりました。今は“生活の現象”を言語化し、いかに大衆に接続できるのかを考えている。ジャンルは変わっても、やっていることは同じだと思っています。
ーー 最後に、これからの一冊に込めたい願いは?
石沢:「ないから作る、ためになるから作る」を続けるだけですね。こう言ったら読者の方には失礼かもしれないですが、迎合する気はなく、自分が読みたいものを大事にしています。脳神経が活性しなくなったら去るという覚悟を持ちながら、いまはまだ「自分が読みたいものが世に出回っていない憤り」が勝っているのかもしれません。