『沈黙の艦隊』発表から37年ーーなぜ世界情勢が変わった現代でも面白い? ゲーム的エンタメ性と反戦テーマの二面性
かわぐちかいじのコミック『沈黙の艦隊』は、これまでアニメ、ラジオドラマ、ゲームになり、2023年に大沢たかお主演兼プロデュースで実写版映画『沈黙の艦隊』(吉野耕平監督)が公開された後は、同映画に新たなストーリーを加えた配信ドラマ『沈黙の艦隊 シーズン1~東京湾大海戦~』が制作され、今年9月26日には実写版第二弾『沈黙の艦隊 北極海大海戦』も公開された。人気の物語といっていい。
ただ、1996年まで9年間にわたって「モーニング」に連載された原作コミックがスタートしたのは、1988年である。37年も前だ。『沈黙の艦隊』は、世界の軍事情勢と日本の立場をテーマにしているが、原作が発想された時代と今では、諸国の現実に大きな違いがある。それでも、物語に変わらない魅力が含まれているのだ。
日米の協力で極秘に建造された日本初の原子力潜水艦「シーバット」は、アメリカ海軍第7艦隊所属とされたものの、自衛隊出身の海江田四郎艦長の指揮で離脱し、この原潜は彼を元首とする独立戦闘国家「やまと」であると宣言する。米軍にとっては反乱だ。「やまと」は核弾頭を保有する可能性があり、海江田はそれを利用しつつ、自国がアメリカ、ソ連(現在はロシア)をはじめとする核保有国と並ぶ存在であるかのようにふるまう。そのうえで、現状の国連軍に代わる核を持った常設国連軍を創設し、恒久平和を実現するという目標を語る。
海江田たちを核テロリストと断定したアメリカやソ連が「ヤマト」を攻撃するのに対し、日本政府は海江田の提案に応じて「やまと」と同盟を結ぶ。それによって日米関係は悪化し、アメリカは日本への圧力を強め恫喝する。だが、たった一隻の「ヤマト」がアメリカやロシアの艦隊に大きな打撃を与え、それまでの国際的な軍事バランスに影響を及ぼしていく。
これが原作の大枠である。2023年以降の実写化も以上の設定の基本的な部分を引き継いでいるが、軍備拡張を進める中国と台湾の緊張、北朝鮮の核保有など現代の国際情勢を視野に入れた内容になっている。それに対し、アジアの状況が現在とは違う時代に描かれた原作コミックは、「やまと」および日本は主にアメリカ、ソ連と対峙する構図だった。また、連載が開始された1988年の日本は、バブル景気が好調で輸出拡大に伴うアメリカとの貿易摩擦が問題になってもいた。その件も物語には反映されている。
貿易摩擦に関連して、1989年にベストセラーになったのが、ソニーの盛田昭夫と衆議院議員だった石原慎太郎の共著『「NO」と言える日本 新日米関係の方策(カード)』である。同書で盛田と石原は、貿易や防衛などで様々な問題を抱える日米関係について、アメリカにNOといい、主張する日本であれと訴えた。この内容が売れたことは、アメリカから自立したいという、当時の日本にあった気分を象徴していた。『沈黙の艦隊』では「やまと」をめぐる軍事的な戦いばかりでなく、政教分離ならぬ「政軍分離」、核を持つ常設国連軍創設といった海江田の理念に同調した日本政府が、各国との交渉や国連の会議などで堂々と主張する。それこそアメリカにNOという場面もある。
また、1980年代末は、自衛隊の海外派遣の是非が議論され、国会でこのコミックが話題にされたりもした。『沈黙の艦隊』では日本と「やまと」の関係をどう考えるかをめぐり保守与党が分裂し、新党結成、総選挙となるが、原作連載中の現実の日本でも1990年代前半に大規模な政界再編が起きた。様々な点で『沈黙の艦隊』は、時代の気分を映した物語だったのだ。
同時に「やまと」とは、かつての日本の戦争を想起させる言葉である。戦艦大和は、大日本帝国海軍が誇る巨艦だったが、太平洋戦争でこの国の戦局を好転できないまま、米軍に撃沈された。いわば、軍事面での敗戦の象徴的存在である。地球滅亡の危機に立ち向かうため、この大和を改造して日本人乗組員たちが宇宙へ旅立つ設定だったのが、アニメ史に残るヒット作『宇宙戦艦ヤマト』(1974~1975年放映)だった。歴史的失敗だった大和が、姿を変え未来で活躍するフィクションを創造し、日本人の自尊心をくすぐる。『宇宙戦艦ヤマト』成功にはそのような背景がうかがえたが、『沈黙の艦隊』の「やまと」にもそれと重なる図式が感じられる。
原作連載当時に比べ今は、世界における日本の経済的地位は後退したし、各国の軍事状況も異なる。だが、日本の隣国であり北方領土を占拠し続けるロシアがウクライナに侵攻し、イスラエルがガザ地区を攻撃し続け、中国と台湾の緊張も懸念される現状がある。他方で、この国は、戦争の放棄と戦力の不保持を定めた日本国憲法の下で解釈改憲を繰り返し、自衛隊の活動を拡大してきた歴史がある。この曖昧な“自国軍隊”のあつかいをどうすべきなのか、日本が国防をどう考えるべきなのかという課題の根本は、原作連載スタート時から現在まで変わっていない。『沈黙の艦隊』は、そうした課題に対し、エンタテイメントの形をとった思考実験という側面がある。
この物語は、戦争を題材にしている。独自の理念を持った元自衛官の海江田が、部下たちを掌握し、最新鋭で核弾頭搭載可能な原子力潜水艦を使って大国に対抗する。それをよしとしないアメリカは、「やまと」と同盟を結んだ日本を再占領する意欲を示し、東京や大阪への核攻撃の可能性もちらつかせる。『沈黙の艦隊』が発表され話題になった際、反発の声も大きかった。核を保有するとされる「やまと」の設定は、核の相互抑止力・均衡を前提にした世界の軍事情勢に関する風刺ではあったが、大量殺傷能力のある核をゲームの駒にして遊んでいるという嫌悪感を誘うものでもあった。戦闘場面が多くを占める物語は、好戦的だととらえられもした。
しかし、「やまと」は潜水艦であるゆえに、戦闘は海中、海上が中心になる。それは軍人同士の衝突であって、地上に住む一般人が犠牲になることは基本的にない。戦闘や外交のなかで核はしきりに脅しに用いられるが、実際に弾頭が発射されることはない。だからこそ、『沈黙の艦隊』では、戦闘と並んで外交交渉が大きなウエイトを占める。
一方、物語では、たった一隻の「やまと」が艦隊を相手にどのように立ち向かうのかが、興味の焦点となる。音で相手の位置を察知する潜水艦同士の戦いにおいて、いかに相手を攪乱するか。敵艦のすぐそばにはりついたり、沈没船や氷を障害物として利用したり、敵味方が互いに作戦を工夫する攻防が面白い。一般人の犠牲が描かれず、戦うフィールドが海に限定されるうえ、水中という場に様々な制約があるため、ルールに基づいたゲームのような展開になる。戦闘をエンタテインメントとして楽しみやすい物語構成なのだ。
また、「やまと」も日本も、自らは攻撃を仕掛けず、あくまでも反撃という戦い方である。海江田は自衛隊から離れたものの、専守防衛という自衛隊の基本姿勢を維持している。そのうえ彼が、「やまと」の戦闘によって世界の軍事バランスを変えようとするのは、核を持った常設国連軍を創設し恒久平和を実現するのが目的だというのだ。海江田は、国家から軍事力のみを抜き出した戦闘国家「やまと」は領土的野心を持たないと述べ、政治と軍事は分離できると主張する。政軍分離が、核を持った常設国連軍創設を可能にするという理屈だ。
『沈黙の艦隊』は、ゲーム的で好戦的なエンタテインメントでありつつ、アクロバティックにではあるが反戦のテーマを語っている。この二面性が、物語を生き続けさせたのだ。