藤島ジュリー景子が明かす、「嵐」苦境の時代とブレイク秘話 「最初は本当に売れませんでした」
小説家の早見和真氏が、ジャニーズ事務所の元社長、藤島ジュリー景子氏にインタビューした話題の本『ラストインタビュー 藤島ジュリー景子との47時間』(新潮社)。同書では、これまでベールに包まれていた旧ジャニーズ事務所の内情がはじめて詳しく語られている。ほぼ全編が早見氏とジュリー氏との一問一答のやり取りで構成されているのも特徴だ。
ジュリー氏自身がプロデューサーを務めた「嵐」にまつわるエピソードも随所に取り上げられている。
以下、『ラストインタビュー 藤島ジュリー景子との47時間』より、デビュー直後の「嵐」の苦境の時期と、ブレイクのきっかけについての問答を抜粋してお届けする。(編集部)
「嵐」苦境の時代とブレイク秘話
「出来上がった『嵐』を見て、ジュリーさんはしっくり来ましたか?」
「私はこれしかないと思ったんですけど、最初は本当に売れませんでしたね」
「そうなんですか? デビュー曲の『A・RA・SHI』も?」
「いま振り返ればものすごく売れているんですよ。九七万枚もシングルが出て、週間ランキングも一位を獲っている。でも、直前にデビューしていた『KinKi Kids』が『硝子の少年』を一七九万枚も売ったのをはじめ、ことごとく記録を塗り替えていたので。それと比較されて、売れていないイメージを持たれてしまった。セカンド以降はガクンと売り上げも落ちましたし」
「調べてみると、たしかに二作目以降は一気に売り上げが落ちているんですよね。どうテコ入れしようと考えたんですか?」
「だからもう俳優としてがんばらせるしかなかったんです。とにかく次々と役者の仕事を入れるようにして、なんとか現状を打破させようとしましたけど、それでもダメだった。九九年にデビューして、二〇〇五年の十月期に松本が『花より男子』に出るまでは本当に、売れない、売れないの繰り返しだったという印象です」
「事務所内の雰囲気も含め、当時は逆風の中にいるという感じでした?」
「うーん……。でも、いま振り返れば、誰かを追いかけているときの方が楽しくはあったんですけどね。守ることの方がはるかに大変。その意味で言うと、この頃の『嵐』については楽しいことしか記憶にないくらいです」
「たしかに頂点を極めて維持するより、頂点を目指して戦っているときの方が楽しそうですもんね。こわいものもなさそうですし」
「そうですね。仮にそのときに敵がいたとしても、その人とファイトすることだって、追いかけているときの方が楽しいじゃないですか」
「あえて聞きますけど、それはいま『SMAP』のことを指して言っているんですか?」
「もちろん『SMAP』もそうですけど、なかなか超えられない存在は他の事務所にもたくさんいました。CDの売り上げひとつをとっても『GLAY』さんなんかにはまったく敵わなかったですし。『「嵐」がなかなか一位を獲れないのはこの人たちがいるからだ』みたいな、そういう超えられない壁のような人たちが次々と出てくるんです」
「巡り合わせもありそうですよね」
「基本的に『「嵐」は弱い』と思われているから、みなさん発売日をぶつけてくるんです」
「そんなことがあるんですか」
「なので、ぶつけられたときにいかにして勝つかということばかり考えていました。でも、えげつないことをしてしまったら彼らが傷ついてしまうじゃないですか。だから、そうではない方法は何かと考えて」
「えげつない方法って、たとえばどういうことですか?」
「たとえば同じCDを十種類のジャケットで販売するとかですね。そういうことをせずにこの人たちを勝たせる方法は何かって。握手会などもすごくやっていたんです」
「それ、僕より下の世代の『嵐』ファンの女性が言っていました。『ジャニーズのタレントであんなに握手会をしたグループは他にいない』って」
「本当によくやりました」
「印象に残っている握手会ってありますか?」
「『さいたまスーパーアリーナ』での公演前かな。そのときもどなたかと売り上げを争っていて、ひっくり返さなくちゃいけない状況でした。ちなみにそのときの『さいたまスーパーアリーナ』はチケットを完売させられなかったんです。空席がたくさんありました」
「『嵐』にもそんな時期があったんですね」
「ありました、ありました。もうずっとです」
「ちなみにそれはCDを手売りしてということですか?」
「そうです。CDを手売りして、握手する」
***
チケットを取ることさえ困難な現在からは想像もつかないが、そんな「嵐」にも、ついにブレイクの時が訪れる。
***
「松本さんの『花より男子』はどういうキャスティングだったんですか? あんなに大ヒットするというイメージは最初からあったのでしょうか?」
「これにはいろいろと裏話があって、表にも出ているので言っていいと思うんですけど、本当はその枠で『のだめカンタービレ』が用意されていたんです」
「うん? 『花男』ってTBSでしたよね?」
「そうです」
「つまり、当初はTBSが『のだめ』をやろうとしていたということですか? 実際はフジテレビでやりましたよね」
「そうだったんです。いろいろな理由から、たしかクランクインの一ヶ月ほど前に『のだめ』の企画がポシャってしまって。それで急遽『花男』をやることになって、キャストも新たに集められることになりました」
「松本さんは『のだめ』の方のキャストにも入っていたんですか?」
「いえ、入っていません。その頃の松本はまだ『ごくせん』くらいしかやったことがないという状況でしたから。そんな穴埋め的な企画ではありましたが、名指しで呼んでくれた以上はやるべきと判断しました。あんなに大ヒットするなんて夢にも思っていませんでした」
「待ちに待っていた『嵐』のブレイクの瞬間ですよね。メンバーのみなさんも、本当に口をそろえて『嵐のブレイクは「花男」だった』とおっしゃいます」
「はい」
「そのブレイクの手応えみたいなものはドラマの放送時から感じられたものなんですか?」
「そうですね。これはとくにのちの映画版の主題歌になった『One Love』のときに感じたことではありますが、映像と音楽がこんなふうに相乗効果を生むんだなということにおどろいた記憶があります」
「この時期の『嵐』の出来事でもっとも感慨深かったことってなんですか?」
「それはやっぱり東京ドームでの初公演でしょうね」
***
こうして一躍、人気グループとなった「嵐」。同書では、「嵐」がブレイクしたことによる事務所内の変化、旧ジャニーズ事務所における「東京ドーム公演」の特別さ、そして、「活動休止」についての思いも詳しく触れられている。
■書誌情報
『ラストインタビュー 藤島ジュリー景子との47時間』
著者:早見和真
価格:1,980円
発売日:2025年7月18日
出版社:新潮社