前田エマにとって学校とは? 「制約」と「留学」の中から見えてきた大事なこと
■韓国留学で得た経験
――そして、30代での韓国留学の話も印象深いです。
前田:大学生の頃、ウィーンに留学したことがありました。その大学には、いろんな年代の人が集まっていて、社会人経験を経てから学びに来ている人もいました。そういう人たちとの出会いがあったので、大人になってから学ぶというのは、人生の中の一つの選択肢として、頭の片隅にずっとありました。
コロナ禍に韓国カルチャーにハマり、実際に韓国に留学してみようと決めました。大人になった今なら自分で学校を選べるし、仕事との両立も自分でコントロールできる。あの頃の学生生活とはまったく違う形で取り組めることに、とてもワクワクしました。
実際に韓国に行ってみると、年齢の近い日本人の女性と出会う機会が想像以上に多かったんです。日本から距離を置き、一度リセットして新しいことに挑戦したいと考えている。そういう人たちと出会えたのは、本当に良い経験になりました。
――留学時の語学学校ではどんな気づきがありましたか。
前田:まず「私って勉強できないんだなぁ」と改めて思いましたね(笑)。それでも、授業でさまざまなテーマについて話し合うと、20代の頃だったら自分の意見がなかったであろうことに、自然と言葉が出てくることがありました。年齢を重ねたからこそ言葉にできることがあるんだと思いました。
そして何より「学校という場は多様だな」と感じました。語学学校だったこともあって、国籍も職業もバックグラウンドもさまざま。授業への向き合い方も人によってまったく違いました。アジア圏だけでなく、ヨーロッパやアメリカ出身の人も多かったし、ルーツは韓国にありながら韓国語をほとんど話せないという人もいました。そんな環境で学んだからこそ、「過去の学生」というテーマに向き合うときに、ヒントになったことがたくさんありました。
――韓国留学を通して、どんな学びがありましたか。
前田:韓国留学の前後で韓国文学に魅了され、さまざまな作品を読みました。その影響がこの本にも色濃く表れていると思います。日本で人気のあるエッセイは、何気ない日常を描く作品が多い。自分の半径3メートルの出来事に焦点を当てているような印象があります。一方、韓国のエッセイは、同じく日常を描きながらも、そこに歴史や社会の問題が自然と出てくるんです。自分の生活とそれらは密接につながっていて、切り離すことなんて決してできない。そんな感覚を覚えました。韓国には日本の文学の読者も多いのですが、日本の作品のどんなところが好きなのか尋ねると「日本の作品を読むと癒される。韓国は文学でも現実社会でも、辛く苦しいことが多くて、疲れてしまう時がある」と言っていました。
日本にも、何気ない日常と社会的・歴史的なテーマが結びついた作品はありますが、売り出される際に大きなジャンルで区切られ、その途中でこぼれ落ちてしまうものがあるような気がします。様々な出来事は繋がりがあり、区切ることなんてできないはずなのになあと、たまに悲しくなります。
また、社会に対して何か違和感を感じた際に、何か言いたいと感じても、「ちゃんとわかっていないなら書くべきではない」という空気が強いような気もします。もちろん書く側にはそれなりの責任があると思います。ですが、もう少し小さな個々人の話から、様々な問題について語ってもいいと思うんです。
韓国で思い知ったのは、若者も一人ひとりが自分の温度で社会的テーマに関心を持ち、それが当たり前のこととして受け入れられている。その姿勢って、民主的な社会で生きる上での当然の権利だと思うんです。選挙の投票率の高さを見ても、それを感じました。日本では政治の話や、他国で起こっている戦争の話なんかをすると「意識高いんだね(苦笑)」みたいに受け取られてしまうコミュニティもある。 このエッセイ集では、高校の私立無償化や原爆、9.11といった社会的なテーマを、自分なりの温度で正直に書こうとしました。
衣装協力:PERNA(ペルナ)
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