『ダンダダン』の面白さはSF・ファンタジーの“掟破り”にあり? 70~80年代の名作漫画との共通点

 7月3日(木)深夜0時26分より、TVアニメ『ダンダダン』の第2期の放送が開始する(MBS/TBS系列)。

 原作は、「少年ジャンプ+」(集英社)にて連載中の龍幸伸による人気コミック。主人公はふたり――そのうちの1人は、冴えない男子高校生の高倉健だ。のちに「オカルン」と呼ばれることになる彼は、そのニックネーム通りオカルト好きの少年だが(ただし、物語開始時においては、宇宙人の存在は信じているが、幽霊の存在は信じていない)、周囲と馴染むことが苦手で、昔からいじめの対象になっている。

 実は、彼のオカルト好きの要因はその“孤独”にあるのだが(友達のいない彼は、宇宙人に“助け”を求めていたのだ)、ある時、同じ学校に通う綾瀬桃(モモ)という少女と出会ったことで(モモはオカルンへのいじめをやめさせようとする)、彼の暗く冴えない日常は大きく変わっていく。

 本作のもう1人の主人公であるモモは、祖母が霊媒師であるため、オカルンとは逆に、幽霊の存在は信じているが、宇宙人の存在は信じていない。そこで、主人公ふたりは互いの主張(?)を検証するために――オカルンは「心霊スポット」として知られる封鎖されたトンネルに、一方のモモは「UFOの聖地」と呼ばれる廃病院に潜入することに。そして、前者は「ターボババア」という妖怪の呪いを受け、後者はセルポ星人という宇宙人に襲われるのだったが……。

孤独な少年少女が仲間と出会い、大きな敵に立ち向かっていく

 さて、いま述べたような怪異との遭遇がきっかけとなり、オカルンとモモは、それぞれ別の異能を発現させることになる。具体的にいえば、オカルンはターボババアの霊力を体内に宿すことになり、モモは超能力(念力)を使えるようになるのだった。

 物語は、その後も、オカルンとモモをさまざまな怪異が襲い、彼らの周囲にいる少年少女たちを巻き込んで、進んでいく。注目すべきは、この、オカルンとモモの仲間になっていく少年少女たちの存在で、彼ら彼女らも、主人公ふたりと同じように、心になんらかの傷を負っている若者なのだ(一見、周りとうまくやっているように見えるモモも、実は、両親の不在や、一時期、祖母と不仲になっていたことなど、心に闇がないわけではない)。

 そう、この『ダンダダン』という物語の、序盤の展開で最も感動的なのは、孤独なマイノリティたちが、信じられる仲間と出会い、共に大きな敵(怪異)に立ち向かうことで、ひとまわりもふたまわりも成長していく姿なのだといっても過言ではないだろう。

世間の人々は、なんだかんだでオカルトが好き?

 ところで現在、「2025年7月(5日)に日本で大災難が起きる」という“予言”が巷で話題になっているようだが、およそ四半世紀前の「ノストラダムスの大予言」の例を挙げるまでもなく、このことは、(信じているか信じていないかはともかく)いまも昔も多くの人々が潜在的なオカルト好きであることの証でもあるだろう。また、その他にも、「きさらぎ駅」などの都市伝説をはじめ、心霊ネタ、UFOネタ、UMAネタが、定期的にテレビの特番やネットのニュースなどを賑わせているのも、周知の通り。

 ちなみに、TVアニメ『ダンダダン』の第1期放送時のキャッチコピーは、「幽霊も、宇宙人も、いる!!」というものだった。つまり、この物語は、そうした、いつの時代でも大衆が潜在的に抱いている “未知なるものへの関心”に応えた、極めて普遍的なテーマをもったエンターテインメント作品であるといっていいだろう。

SF漫画の中でついていい“大きなウソ”は1つだけ

 とはいえ、だ。『ダンダダン』という物語は、テーマは普遍的だが、その“作り”自体はいささか掟破りなものだといえなくもない。

 というのも、昔から漫画業界では、「SF・ファンタジー作品の中で、ついていい“大きなウソ”は1つだけ」といわれているからだ(20代の頃、私はとある週刊漫画誌の編集部に勤めていたのだが、実際、この“教え”は先輩編集者たちから徹底的に叩き込まれたものだ)。

 要するに、ただでさえ“ウソの話”であるSFやファンタジーの物語の中で、“大きなウソ”がいくつも出てくると世界観そのものがブレる、ということなのだが(たとえば、『鬼滅の刃』の世界に、「鬼」ではなく、唐突に「宇宙人」が現れるような展開を想像されたい)、そういう意味では、ストーリーの序盤の時点ですでに、「宇宙人」と「妖怪」、さらには「超能力」と「地縛霊」という、本来は別々のジャンルの漫画の中で描かれるべき“大きなウソ”が4つも出てくる『ダンダダン』は、かなり掟破りな作品だ、ともいえる(その後も、「怪獣」から「巨大ロボット」にいたるまで、異なるジャンルの“大きなウソ”が次々と出てくる)。

 強いていえば、「幽霊もUFOも含めて、なんでもありな世界」というのが、この作品を支える“大きなウソ”なのかもしれないが、繰り返しになるが、それを違和感なく、1つの世界の中でまとめ上げるのは(つまり、別種のウソをいくつも並べて、統制のとれた世界を作り上げるのは)、かなりの力技だという他ない。

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