杉江松恋の新鋭作家ハンティング 落語家のドキュメンタリー・ノヴェル『俺とシショーと落語家パワハラ裁判』
こんなものを書いたのか、と感心した。
フリーランスの落語家・三遊亭はらしょうが初の著書となる『俺とシショーと落語家パワハラ裁判』(彩流社)を発表したのである。題名は小説っぽくないが、「エピソード0 序」に「これは実話をもとにした小説である」と書かれている。小説ということでいいだろう。世の中には私小説というジャンルもあるのである。
三遊亭はらしょうは、新作落語の革命児であった故・三遊亭円丈の弟子である。私がその存在を知ったころは、はらしょうと名乗っていた記憶がある。円丈から破門されて三遊亭の亭号を取り上げられたからだ。このときに所属していた落語協会に廃業届を出している。なので協会側から見れば落語家として認定する義理はない。だが、円丈との師弟関係が解消されたわけではなく、破門直後に師匠からは許されている、という。これは本人談である。落語家としてではなく、色物弟子としてやり直すことになり、ピン芸人のはらしょうになったのだ。
その後しばらくして気がついたら三遊亭はらしょうになっていた。そしてドキュメンタリー落語という、自分自身が見聞したことなどを噺にする形式の芸人になっていた。神田に連雀亭という二ツ目(真打は一人前だが、そこにまだ届かないクラスの芸人)だけが出る小さな寄席がある。そこに出演するようになったので、落語家としても認められたのだと思っていた。そして2025年になってこの本が出た。
本書は、二つの師弟関係が描かれている。一つははらしょうと円丈をモデルにしたもので、後にはらいそとなる西遊亭はら磯とその師匠の西遊亭大磯が登場する。もう一つは、はらしょうにとっては落語協会時代の、すぐ下の後輩にあたる吉原馬雀を軸としたものだ。名前は流家日南から五条夕鳩に変わる。流家流転門下から五条鳩吉門下に移籍したからだ。
これは極めて異例である。プロ落語家の世界は真打が基準になってできている。真打は一家を構え、弟子を取ることが許されている。もちろん師匠はいる。でもその師匠から破門されることがあっても、プロ落語家であるという地位は揺るがない。
真打の下に、前述の二ツ目、前座とその見習いという身分がある。この人たちは、師匠である真打なしにプロ落語家を名乗れない。一家を構えていないから、どこかに身を寄せる必要がある。非常に弱い立場なのだ。
2022年、上に書いた吉原馬雀は、自分が師匠から恒常的な暴力を受けていることを公表した。師匠に対してパワーハラスメントの責任を問い、慰謝料を請求するための民事訴訟を起こし、所属する落語協会に対しても人権を無視した旧弊の慣習を是正し、監視するための委員会設置など改善を求めた。題名にある「落語家パワハラ裁判」とはこのことを指している。流家流転のモデルなど、詳しいことは少し検索すればわかるし、この本を読めば書いてあることなので省略する。私は現・吉原馬雀とは面識があったので、この騒動と裁判の行方に関心を持って追いかけていた。友人である馬雀、作中の夕鳩側の立場からではあるが、事実関係をきれいに整理して、ドキュメンタリー・ノヴェルとしてしっかり書いていると思う。流家流転側から見れば別の意見があるはずだが、そこは知らない。
『俺とシショーと落語家パワハラ裁判』を取り上げようと思ったのは、別に暴露本としての関心からではない。これが物語としておもしろかったからであり、それぞれの場面が喜劇として上出来だったからだ。このあと小説を書き続ける意志があるのかどうかは知らないが、三遊亭はらしょうの書く文章はいいのである。書いたほうがいい人材だ。
話の構成がまずおもしろい。前半部で作者は、自分をモデルにした西遊亭はら磯の苦難を書く。修業生活中のはら磯は、義務として師匠・大磯について前座としての仕事をする。ところが大磯は、事あるごとにはら磯に激怒し、彼を破門しようとするのである。破門はもちろん落語家としての未来を奪われることだから、なんとしてもはら磯は避けたい。あれこれと策を練って逃れようとする。それはいったん成功したように見えるが、円丈は、いや大磯は甘くなかったのである。
長野の仕事に出かけた大磯のおともをしたときに事件は起きる。詳しくは書かないが「峠のかま飯対だるま弁当」事件というようなことが起きて、ついにはら磯は破門を宣告されてしまう。懸命に、そして誠実に大磯に対してはら磯は釈明をする。読んでいて、そうだ、はら磯の言う通りだ、と加勢したくなるくらいにそれは正しい。一足す一が二になるくらい当たり前のことを言っているのだから当然だ。しかし大磯はそれを否定する。もうどうしようもなく破門である。論理という段階ははるかに過ぎてしまっている。
最終的には、ある電話を大磯がはら磯にかけろと言ったか言わないかが問題になる。言ったのである。はら磯が懸命に説明すると「俺は……お前に電話をかけろと言ったかもしれない」と言い出す。わかってくれたか、と安堵しかけるはら磯に師匠は宣言する。
「でも……言ってないんだ!」「そういう世界なんだ!」「破門だー!」
見事である。この言葉を聞かされて正気を失わなかったはら磯は立派だ。
——待ってくれ! 生きてる人間の頭では理解できない展開だ。ひょっとしたら俺はもう死んだのか? 一体どんな返事をするのがベストなのだ。いや、もうこの状況でベストもワーストもない。ただ、こっちが黙っていると四次元空間に飲み込まれてしまう。
はら磯がここからどうやって自身を救出したかは、読んでのお楽しみである。