手塚治虫『火の鳥』から『鬼滅』『フリーレン』へ……脈々と受け継がれる「生命」の価値観を描くこと

『鬼滅の刃』が描く生きることと継承すること

 輪廻転生の思想なら、日本人は仏教の中の教えとして古くから慣れ親しんできた。そうした信仰心が近代化の中で薄れていく中で、手塚治虫は『火の鳥』を描いて生と死の問題を改めて描いてみせた。そうした思想が、手塚治虫の没後から四半世紀ほどを経て描かれた吾峠呼世晴の大ヒット漫画『鬼滅の刃』にも現れていると言えるだろう。

鬼となって永遠の生命を手に入れた鬼舞辻無惨は、弱点となっている太陽の光も克服し、不滅の存在になろうとしている。「私の好きなものは“不変”。完璧な状態で永遠に変わらないこと」。そう考えている無惨に対して、鬼殺隊を束ねる産屋敷耀哉は、「私は永遠が何か…知っている。永遠というのは人の思いだ。人の思いこそが永遠であり不滅なんだよ」と語りかける。

誰かを愛する喜びや、誰かを憎む悲しみが人から人へと受け継がれながら時を刻んでいく。それこそが人間というものだというメッセージが、後に続く者たちを信じて戦い続ける鬼殺隊の面々の姿とともに読む人に伝わって、今を一生懸命に生きようという気持ちにさせてくれる。

『葬送のフリーレン』の生きた証と残る価値

葬送のフリーレン(1) (小学館)

 山田鐘人原作、アベツカサ作画の漫画『葬送のフリーレン』も、永遠に近いほど長命なフリーレンや魔族と短命な人間たちの交流の中で、存在が誰かの記憶として受け継がれながら残っていく価値が描かれる。フリーレンのありあまる時間を使ってあらゆる魔法を極めようとするスタンスにも興味をそそられるが、だからといって老いぼれて死んでいった勇者ヒンメルを寂しいとは思わない。限りある命の中で何かをやり遂げる喜びがあれば永遠の命などいらない。『火の鳥 黎明編』の弓彦とも重なる人間としての生き方がそこにある。宿命の戦いとその答えは、形を変えて今も描かれこれからも描かれ続けていくだろう。

『火の鳥』には文明への批評があり、未来への洞察があり、政治や社会といったものへの風刺もあって、今の激動の時代に少なくない示唆を与えてくれる。展覧会をきっかけに改めて読み返してみて、そして浮かび上がる生命として存在している意味について考えてはどうだろう。

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