ゲッツ板谷「自分のケツをバンバン叩きながら書いた」 12年ぶりの小説『ともだち』に込めた想い
『板谷バカ三代』などの爆笑コラム集で知られるゲッツ板谷が、前著『ズタボロ』以来12年ぶりとなる小説『ともだち めんどくさい奴らとのこと』(徳間書店)を発表した。ファンにはおなじみの幼馴染キャームや漫画家・沖田×華、そしてうどん県でできた新たな親友・合田くんなど多彩なキャラクターが登場する、大人同士の友情を描いた物語だ。インタビューでその魅力を掘り下げる。
「最後のほうは書いててちょっと怖かったですね」
ゲッツ板谷(以下、板谷):最初にこの小説を書こうと思ったのは、11年前ぐらいですね。初めて香川に行って、合田くんっていう統合失調症の人に会ったんです。俺のTwitter(現X)を見て、香川に来るっていうので、うどん屋で俺のこと張ってたらしいんですよ。それがすごいしゃべるんです。友人にキャームってのがいてすごいしゃべるんだけど、その三倍くらい。それで、「俺とお前は今日会ったばっかなのに、なんでそんなしゃべんの? こっちがしゃべる隙もねえじゃねえか」っつったら、急にテンションがバーンと落ちて、「しゃべってないとみんな帰っちゃうんですよ」って(笑)。「なんてこいつは正直なやつなんだ」と思って友達になって。その合田くんのことを書こうと思ってたんです、最初は。
——なるほど。
板谷:だけどそれだと「そこそこ笑えるし涙も誘えるけど、それでもシングルヒットだな」と。その後で後輩の漫画家の沖田×華を香川に連れて行ったときに「合田くんと沖田の二人の話にしよう」と閃いて。でも書いてるうちに、「でも、たぶん二塁打ぐらいだろうな」と。それで迷ったときにさっきも言ったキャームのことを書こうかと思いついたんです。キャームのことはなんでも書けるけど、あいつは傷つくだろうから、ある程度までしか踏み込めない。それでもいいや、と思って書いていたら、キャームが死んじゃったんですよね。それで最初から書き換えて。なんだかんだ言って2、3回は書き直してます。
——その世代の違う三人について描かれた、文字通り『ともだち』の小説です。後半に入ると、ゲッツさんが沖田×華さんに教えてもらったことがきっかけで発達障害の知識を持つようになります。幼馴染の親友であるキャームさんともしばらく距離を置いている時期でしたが、実は彼も発達障害なんじゃないかと考えるようになる。
板谷:書いているうちにだんだん、実は俺も発達障害なんじゃないか、とも思うようになってきました。最後のほうは書いててちょっと怖かったですね。
——沖田さんは、2010年に『ニトロちゃん』(光文社文庫)という作品を描かれてますよね。ゲッツさんが『ともだち』の原型を書き始められる前のことでした。そこから、ご自身のアスペルガーや発達障害のことについてたびたび作品にしていらっしゃいます。
板谷:そのころ沖田と話していて、「私、発達障害のことを描いています」って言うから、友達にそういう方がいて、その人について描いているのかと思ったんですよ。そしたら「いや、私が発達障害ですから」って。「いやいや、だって俺、お前ともう12、3年友達なのに、全然普通じゃん」っつったら、「いや、全然普通じゃないんですよ、実は。私、十三個障害がある」って。それでびっくりして沖田に、「お前の発達障害について教えてくれよ」とインタビューしたんです。その内容は『ともだち』にも書きました。
——発達障害に関する認知度も昔と今ではかなり違います。『ともだち』は、ゲッツさんが、発達障害についての見聞を深めていく過程が後半の要になっていますよね。前半は、合田さんを初めとする濃いキャラクターがぐいぐい迫ってくる展開、そこから後半になると変わって、ゲッツさんが「自分の知っている人も発達障害だった。自分にそれを見せないために努力していたんだ」ということを知って衝撃を受ける。それが小説の山場だと思うんですよ。普通というものがあるとしても、それは自分が思ったほど多くはない、じゃあ普通ってなんだろうか、ということを探しに行く小説でもあると思いました。タイトルを『ともだち』としたのは最初からだったんですか。
板谷:いや、違う。最初はね、『めんどくさ超合金』っていう(笑)。なんで超合金かっていうと三人の名前なんです。話の中ではキャームはチョームという名前で、本名が超善寺直樹。それで「超」。合田くんは「合」で、沖田は金野有華(かねのありか)で「金」。それを合わせると超合金になる。「ああ、いいタイトル思いついたな」と思ったら編集者さんが、「ちょっとそれは」って。
——編集者の気持ちはわかります(笑)。
板谷:タイトルって、一回詰まるともう地獄なんですよね。前に書いた小説の『ワルボロ』(幻冬舎文庫。三部作の第一作)っていう、自分の不良のときの話を書いたのがあるんですけど、あれも「立川ヤンキータウン」とか20個ぐらい考えても、全然決まらなかった。そのうち当時の担当編集者から「板谷さん、今日決めないと本当ヤバいですよ」って電話がかかってきた。で、そのとき俺はタバコが好きでマルボロを吸ってたんです。で、タバコを探しながら「マルボロ、マルボロ……ワルの話だから『ワルボロ』?」って言ったら、電話機のほうから「それだーっ!」って(笑)。今回もまったく決まらなくて迷っていたら、吉本(ばなな)さんが帯の推薦文を先に書いてくださったんですよ。その流れでLINEのやり取りをしていたら吉本さんが「最後亡くなってしまうけど、キャームさんとめちゃめちゃ楽しく遊んでいた時期というのは板谷さんにとって宝物ですよね」と言ってくださったんです。そう思うとキャームがいたし、沖田も、合田くんもいるし、それを全部に考えると『ともだち』なんだな、と思って。それで決めました。
——なるほど「ともだち」というキーワードありきで始めた作品じゃないんですね。ちなみに、自分の付けられたタイトルでいちばん当たりだと思ったのはなんですか。
板谷:『情熱チャンジャリータ』(角川文庫)です。チャンジャリータなんて言葉はないんですよ。妹の子どもが小さい頃にワーッと泣いていたとき、一瞬「チャンジャリータ!」って聞こえたんですよ。それ使っちゃおう、「チャンジャリータ」だけじゃアレだから、「情熱」を付ければいいじゃねえかと(笑)。
「これ書くのに十年ぐらいかかったんですよ」
——『ともだち』を読んで感心するのは、ゲッツさんが頻繁に香川県に行ってさぬきうどんを食べていることなんです。
板谷:俺、ライターの初期は『パチンコ必勝ガイドルーキーズ』という雑誌で、毎月一県ずつホールを周っていたんですよ。でもパチンコの取材なんてほとんどしないで、現地のうまいもんばっかり食ってたんです(笑)。
——懐かしい。「五つ星ホールを探せ!」連載ですね。
板谷:4年間ずっとやっていたから、日本全国のうまいものは一応わかってるんですよね。もともと、うどんは全然好きじゃなかったんです。でも、さぬきうどんだけはわかんなくて、どこが本場なの、って。それでたまたま九州で取材をしたとき、小豆島に巨大な観音像があるのを見に行ったんですよ。帰りにフェリーまで時間があったんで、近くのうどん屋で潰そうということになって。そこで食べたうどんが、すんげえうまいんですよ、マジで。今までラーメンもそばも食ったけど、そんなもんの比じゃないくらい。
半年後くらいにそっちのほうに行ったからまた食べたら、その「めちゃくちゃうまい」って言ったうどんをまた追い抜いた味があったんですよ。「えーっ」と思ってもう一軒行ったら、またそれがうまい。そうなると、うまいうどんのピラミッドみたいなのを作んないと気が済まないから香川行ってみよう、1週間香川でうどん食おうと。でも1週間じゃ全然わかんないですね。最初の1年間は6回行きました。1日だいたい3、4杯。最近は1年に1回だけなんですけど。11月に必ず一週間ぐらい行ってるんですよ。あくまで俺基準ですけど、一番うまい店は3軒突出してますね。それがわかってだいぶ落ち着きました。
——作中には三軒の店名も出てきますね。ゲッツさんにはお友達や身辺のことを書いたコラムの著作がたくさんあります。いちばん有名なのが『板谷バカ三代』(角川文庫)でしょうか。今回も親友のキャームさんをモデルにしたチョームというキャラクターが出てきますが、全体を通しての書き方はコラムじゃなくて小説のそれになっています。最初の方の物語に入っていく情景描写など、明らかに小説の文章だな、と思いました。
板谷:でも、第一章の車で立川から香川へ向かうところなんかは、後で読み返してみて「テンション低いな。ちょっと失敗したな」と思ったんですよ。それで第二章では沖田(金野)のジャーンってすごい話、三章目はキャームをバーンと入れてっていう感じで盛り上げて。
——そうですか。でも第一章は落ち着いた私小説みたいな始まり方でよかったですよ。
板谷:これ書くのに十年ぐらいかかったんですよ。こんなにドツボにハマったことはなかったです。本当は2年前に書き上がってたんですよ。でも版元とうまくいかなくて、『週刊SPA!』連載のときに担当してくれた新保(信長)さんに相談したんです。そうしたら「とりあえず原稿見せてください。ちょっと今忙しいんで1ヶ月半待ってください」って言われて。1ヶ月半後に会ったらもう俺が渡した原稿がほとんど真っ赤になってました。
——原稿のチェックが赤字で入っていて。
板谷:それで「正式に編集依頼を引き受けます」って言ってくれて。新保さんは出版社も探してきてくれたんですよ。徳間書店に決まって、担当についた編集者が、昔『アサヒ芸能』で連載をしたときにメインじゃないけど手伝ってくれた人だったんですね。そういう縁があったことも、新保さんが引き受けてくれたのと同じくらい嬉しかったです。
——その『アサヒ芸能』連載の途中に脳出血で倒れられてしまったんですよね。
板谷:そうですね、2006年に。担当編集者から「あと3、4ヶ月ぶんぐらいの原稿が終わったら本になるかもしれない」って言われたから沖田に、「本になったら印税は半分にするから、お前もちょっと小金持ちになるじゃねえか」って。そしたら、俺が血管切っちゃって連載はもちろん終わり。沖田はその頃お金になる連載を全然やってなかったんですけど、俺がそのころ持っていたホームページに、ノーギャラなんだけど漫画を描いてくれて。「ありがてえな」とか思ってたんですよね。