あの文豪がファンタジー世界に転移……無能な主人公が世界を救う『異世界失格』に文学ファンがハマる理由

 生前から幾度も自殺未遂を繰り返し、挙げ句に昭和23年6月13日、山崎富栄という女性と共に玉川上水に入って命を絶った。そうした末路や、芥川賞の受賞を邪魔したのではと思い込んで川端康成を刺すと書き、その後に受賞させて欲しいと懇願するような無頼な生き様に惹かれておおぜいのファンがいる大文豪のエッセンスが、『異世界失格』のセンセーに息づいて文学好きの目を奪う。

 太宰治そのものとしていない理由は分からない。見渡せば異世界転生ものの小説として、高橋弘『太宰治、異世界転生して勇者になる ~チートの多い生涯を送って来ました~』(オーバーラップノベルス)が存在している。入水自殺をしようとしたら異世界に飛ばされてしまった太宰治が、こともあろうに魔王となっていた川端康成を倒そうとして、「水属性魔法LV99」「薬物耐性LV99」「川端康成特攻LV99」といったスキルを武器に戦う。実に太宰治らしい。

 三島由紀夫賞作家の佐藤友哉による『転生! 太宰治 転生して、すみません』(星海社FICTIONS)は、異世界ではなく現代に転生してきた太宰治が、メイドカフェなどの文化を経験したり芥川賞のパーティーに突撃したりといったハチャメチャな行動を取る中で、現代の文学に足りないものがだんだんと浮かび上がってくる。こうした例を見ると、実名で描くことに大きな支障はなさそうだ。それでも架空の「センセー」という存在にしたのは、太宰治個人的なエッセンスを持ちながらも、若くニヒルでカッコ良いヒーロー像を生み出そうとしたからなのかもしれない。

 センセーは、自分と心中しようとして、いっしょに異世界に飛ばされてきたかもしれない「さっちゃん」という女性を探そうとする。それがセンセーの旅の始まりであり、理由になっている。そしてセンセーは、意外な場所でさっちゃんの消息を知る。手首をつないでいた紐が切れてしまっているのは、そのまま2人の関係を表しているのだろうか。それとも繋がる時がくるのだろうか。世界の命運とも関わる展開をどのようなシチュエーションで迎え、そしてセンセーが作家としてのスキルをどのように発揮するのかが気になって仕方が無い。

 そこでは、2人のドラマとして共に未来を歩もうとするのか、それとも……。気になる人は11巻まで刊行されている単行本を読み、配信サイトの「やわらかスピリッツ」で連載を追いかけるも良し。神谷浩史がダウナーなセンセーを完璧に演じているTVアニメを見ながら少しずつ展開を確認していくのも良いだろう。いつか訪れるエンディングで、センセーが何を選ぶかで、その存在に対する見え方も変わってくるだろう。

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