古川日出男の複雑怪奇な「パンデミック」論 『京都という劇場で、パンデミックというオペラを観る』評

 奇祭を言葉にしてどれだけ伝わるのか心許ないが、いちおうやってみよう。

 歌い演じられるのは、こんな物語である。主人公となるのは、夜毎夜毎に「黄泉がえりの井戸」から冥府へと通い、閻魔の庁に勤めたとされる平安人の小野篁(タカムラ・オノ)。どういうわけか、あるとき、篁は突如として、コロナ禍の現代京都に出現してしまう。憶えているのは、よみがえる直前に謎の人声によって託された「懐に頼れ」「船岡に登れ」「二度登ろうとして、二度めは登るな」という3つの謎の伝言だけ。その真意を探るうちに出会ったのが、金閣寺に火を放たんとする謎の青年、三島ならぬ、二島由紀夫である。鴨川で見つけた巨大なオオサンショウウオを追って井戸に飛び込むことになった二人は、いろいろあって地獄めぐりをする羽目になる。混乱する二人を救うのがなんと、ヨガと水汲み、英会話とヘッドスパをルーティンとする紫式部(レディ・ムラサキ)であった。『源氏物語』という壮大な虚構を世に産み、多くの人々を惑わせた咎で、地獄に突き落とされたという紫式部との邂逅は、混沌をさらに加速度的に増長してゆく。

 ここから終幕に向け、本書の熱量はますます高まるのだが、ひとまず落ち着こう。壮大過ぎるあまり、荒唐無稽にすら見える本書の思考だが、ある共通点を指摘できるのではないかと思う。ウィルス、幽霊、演劇、貨幣など、扱われる題材はさまざまに移り変わるが、そこで問題にされているのは、おそらく次のような不思議なのだ――当たり前だけれども、「京都」は「劇場」ではないし、「パンデミック」は「オペラ」ではない。にもかかわらず、われわれはそのように見立て、両者を二重視することができる。いわば、実在に対し、不在を幻視できる。

 本書で古川は京都という死屍累々の古都を見つめ、そこで死んだ人々の姿を、そこで死んだ物語の記憶を、幻視する。デビュー作『13』(1998年)の主人公が、視覚障害(「色弱」)の左目で「色の幽霊」を捉えたように。古川による現代語訳(2016年)が原作のアニメ『平家物語』(2021年)の語り手の少女「びわ」が「右目で未来を見ることのできる」能力を宿していたように。その右目に未来を、左目に過去を、あるいは右目に世界史を、左目に日本史を映しながら、その「まなざしのあわい」に、交叉点に、辻に、未曾有の人類史を編み上げることを試みるのである。

 著者の思考が、怒涛の展開の果てにいかなる地平に辿り着くのかは、実際に本書を手に取って確かめてみてほしい。アイデア次第では、こんなにも大胆不敵なことが実現可能なのだ、ということにきっと度肝を抜かれるはずだ。

■書籍情報
『京都という劇場で、パンデミックというオペラを観る』
著者:古川 日出男
価格:2,970円
発売日:2024年6月18日
出版社:河出書房新社

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