1980年代ラブコメ勃興期、男子を熱狂させた漫画家・三浦みつる「ピチピチ学園コメディーなんて言われてた」

■まさかの『一休さん』の後番組に

――今、三浦先生のお話に出ましたが、『The・かぼちゃワイン』はアニメ化されました。インパクトのあるオープニング曲「Lはラブリー」も話題になりましたね。「L!LはLOVEのL、L!LはLIPのL~」というフレーズは一度聞いたら忘れられません。

三浦:連載始まって1年くらい経った時、テレビ朝日からアニメ化の話が来ました。東映動画(現在の東映アニメーション)、講談社、テレビ朝日、僕の4者で会議をしたんですが、『一休さん』の後番組と聞いて驚きましたよ。子どものためのアニメの枠で、これをやるんですか、大丈夫ですか、と何度も聞いたくらい(笑)。ちなみに、『一休さん』を作っていたスタッフがほとんどそのまま『The・かぼちゃワイン』を制作しているんです。

――ええっ、そうなんですか!

三浦:アニメーターもよく、こんなに毛色の違うアニメを作ったなあと感心しました。本当、プロだよね。先日亡くなられた増山江威子さんは、『一休さん』で伊予の局(母上さま)とナレーションを担当していたのですが、『The・かぼちゃワイン』でも寮のおばさん役をやっていただきました。

――健全な『一休さん』の後に、『The・かぼちゃワイン』を始めるのは、テレビ局側としてもかなりの冒険だと思います。今なら視聴者からいろいろ言われそうな気がしますが……

三浦:いい子向けのアニメが流行らなくって、世の中がエッチ系で数字をとっているから、テレ朝も勝負に出たんだと思いますよ。80年代はアイドル番組も多かったし、テレビ番組も過激でした。今では考えられないけれど、野球拳をゴールデンタイムでやっていたのですから。そういうものがまだ許容された時代だったのだと思います。

■「子どもに見せていいのかなあ」

――アニメ化にあたって、三浦先生はテレビ局やアニメ会社と揉めたりはしなかったのでしょうか。

三浦:アニメと漫画は別物で、基本的なキャラさえ変えなければいいと思っていたので、お任せしていました。ただ、1話目の試写会で、エルの声があまりにも色っぽ過ぎたので、そこだけは注文を付けましたが。なにせまだ中学生ですからね(笑)。あとは、脚本家も『サザエさん』などを書いているベテランですし、安心してお任せできました。

――アニメをテレビで視聴して、いかがでしたか。

三浦:これはお茶の間で親とはぜったい一緒には観せられないなぁ、こんなの夕飯食べているときに子どもに観せていいのかなぁと思いました。だって、僕自身も見ていて恥ずかしかったから……(笑) 。

――でも、アニメの反響は大きかったですよね。

三浦:それまではアンケートの順位が下で、終了の可能性もあったんです。次の連載を考えていた時にアニメの話が突然来たので、ありがたかったですよ。人気も上がり、単行本も重版がかかりましたからね。今のアニメと一番違うのは放送時間帯ですよね。僕らの頃はアニメといえば、夜7時代のゴールデンタイムにやっていたから、宣伝効果は絶大でした。

■女性読者からのファンレターにびっくり

――連載当時のファンの男女比はどんな感じでしたか。

三浦:少年誌だし、男中心だと思うでしょう? 意外に女の子のファンが多かったのです。ファンレターは女:男=9:1くらいで、ほとんどが女の子。男の子が手紙を書かないというのはあるにしても、この差は凄いですよね。僕は当時、「男に都合のいい女ばかり描きやがって!」と言われると思っていたし、内容だって今だったら炎上モノですが、当時は世の中全体がおおらかだったのかもしれません。

――ファンレターに書かれていたファンのコメントも気になります。

三浦:「エルが好き」「エルがかわいい」「なんで春助みたいな奴に惚れるんですか、もっといい男いっぱいいるでしょ!」とか、ありましたね(笑)。少女漫画にはこういうキャラがいなかったので差別化できたのかもしれませんし、10代の女の子でも母性を内面に持っていて、どこか共感できる部分があったのかな。

――憧れ、共感の対象としてエルが映ったと。

三浦:あるテレビ番組で、藤原紀香さんが『The・かぼちゃワイン』を好きなアニメに挙げてくれたことがあるのですが、彼女は10代の頃、身長が高いのがコンプレックスだったそうです。同じ悩みを抱えていた女の子たちは、きっとエルから“エール”を受け取っていたのかもしれない(笑)。ファンから、「自分らしく素直に生きるのがいいと教えられた」と言われたこともありました。作者冥利に尽きますね。

漫画家引退後、三浦は絵本を描くために構想を練っている。河童のキャラクターが愛らしい。
絵具の色から紙の質感まで、徹底的に研究しているという。

■手塚治虫の真似しなくていいところまで……

三浦の仕事机。ここから数多の魅力的な物語、キャラクターが生み出されていった。ちなみに、正面にあるパイナップルの写真は、エルの水着の模様を描くための参考資料だそうだ。

――師匠の手塚先生は、三浦先生の活躍をどう思っていたのでしょうね。

三浦:直接、漫画の感想を聞いたことはないんですが、『The・かぼちゃワイン』で講談社漫画賞をとったときに祝電をいただきました。「おめでとう」「頑張ってますね」と書いてあったので、嬉しかったです。

――よく見ると、背景のカケアミとか、キャラの雰囲気にも手塚先生の面影が感じられますよね。

三浦:手塚先生みたいな画面作りがしたくて、手塚タッチは意識して描いていました。手塚先生の仕事場ってとにかく効率的で、アシスタントへの指定の出し方もシスティマチックなんです。よく使う効果は“D3”とか“Z”とか、あらかじめ指定表で決められていて、原稿に 先生が指示を書いておけば、アシスタントが全部描いてくれる。この仕組みは週刊連載に向いているなと思って、僕も取り入れました。

――手塚先生と言えば締切を守らないことで有名ですが、三浦先生は反面教師にしたことはありますか。

三浦:締切は……僕も守らないほうでした(笑)。編集から「手塚先生の真似しなくていいところまで真似するな」と言われましたから。というのも、アシスタント時代は編集者の話が耳に入ってくるので、裏の裏の駆け引きまで聞こえてくるわけです。「印刷所が待てない」とか言われても、あと6時間は大丈夫だな……とか。

――ははは(笑)。締切と悪戦苦闘した結果、三浦先生の美しい原稿、そしてかわいい女の子が生まれたわけですね。

三浦:でも、締切は破りたくて破ったんじゃないんですよ。自分でも作品の完成度は妥協したくなかったので、なるべく最後まで頑張り抜いて、編集さんに渡したいと思っていましたからね。

――そんな三浦先生の苦労の跡も垣間見える、画業の集大成となる画集が発売されます。魅惑の原画がたくさん収録されますね。感想をお聞かせください。

三浦:本音を言うと、昔の絵はあまり見せたくないんです。だって下手くそだから。できれば全部描き直してから画集にしたかった。もちろん現実には不可能だけど……。冥土の土産として(笑)、デビューしてから半世紀の自分の履歴を残すつもりで、今回の画集刊行に踏み切りました。ひとりの漫画家が歳を重ねるごとにどう変化していくか、その変遷を見てもらうのもありかなとも。しかし、まさか古希を迎えて初の画集を出して貰えるなんて思ってもみませんでした。本当にありがたいことだと感謝しています。たぶん、これが最初で最後の画集になると思うので……みなさん、どうか買ってください!!

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