今村翔吾が語る、世界的な事件としての元寇 「元によって滅んでしまった文化もあるけれど、発展した文化もある」

今村翔吾『海を破る者』(文藝春秋)

 歴史小説・時代小説家の今村翔吾による新作『海を破る者』は、アジア大陸最強の帝国の侵略を退けた立役者・河野通有が対峙する一族相克の葛藤と活躍を描く歴史大河小説だ。

 かつては源頼朝から「源、北条に次ぐ」と言われた伊予の名門・河野家だが、一族の内紛により、いまは見る影もなく没落していた。当主・河野通有も一族の惣領の地位を巡り、伯父と争うことを余儀なくされていた。しかしそんな折、海の向こうから元が侵攻してくるという知らせがもたらされる。いまは一族で骨肉の争いに明け暮れている場合ではない。通有は、ばらばらになった河野家をまとめあげ、元を迎え撃つべく九州に向かうが……。

 同作の原型となったのは、今村翔吾がデビュー前に執筆した同タイトルの短編作品。改めて本作を描き直した理由とその読みどころについて、今村翔吾に話を聞いた。(編集部)

元寇というのは日本だけの問題ではなく、世界的な事件だった

――本作『海を破る者』の原型になっているのは、今村さんがデビュー前に書いて、2016年の「第96回オール讀物新人賞」の最終選考に選ばれた、同タイトルの短編作品だったとのことですが、そもそも「元寇」に立ち向かった松山の御家人「河野六郎通有(六郎)」を主人公とした物語を書こうと思った理由は何だったのでしょう?

今村翔吾(以下、今村):最初に興味を持ったきっかけは「河野の後築地(うしろついじ)」ですかね。六郎に関しては、それぐらいのことしか大きなことは残ってないというか、「弘安の役(1281年)」のときの彼の行動がすごく勇敢だったと史料には書かれているんだけど、勇敢にしては少しやり過ぎじゃないかと思ったんです。海岸に石塁を作っておきながらその前で戦うって、どういうことやねんっていう(笑)。そこに理由があるとしたら、何らかの背景というか、彼がそう思うに至った何らかの経験があったはず。そこから「令那(れいな)」と「繁(はん)」という、六郎が出会う2人の異国人を思いついた感じです。

――短編の段階から「令那」と「繁」は登場していたんですね。

今村:一応、原型としてはいました。いなかったのは「一遍」ぐらいで、今回の長編で新たに加わった人物です。

――時宗の開祖であり、踊念仏で知られる一遍が河野家ゆかりの人物とは知らなかったです。

今村:河野家は身内の争いをずっと続けていたのですが、そこに一遍という人が生まれたのはすごく面白くて、ある意味では必然だった気もするんです。河野家のいざこざに対して六郎も一遍も嫌気が差しているんだけど、嫌になってからの行動が違ったのでしょう。一遍という人間がいることがわかってから、彼と六郎の対話でこの小説の芯を作っていけるんじゃないかと思いました。

 最初の短編を書いた当時は筆も拙かったので、自分では「河野の後築地」に至るまでの理由を書いたつもりだったけど、底が浅かったんだと思います。選評にも「そこはもっと長く書くべきだし、読みたかった」と書かれていました。そこに至るまでには、ある程度の年数をしっかり描く必要があると思い、今回の長編では春夏秋冬に分けて4年分の話を書きました。

――その短編のアイデアを、いつかしっかりとした長編として書こうと思っていたわけですね。

今村:いつか書き直そうと思っていたけれど、結構書くのが難しい小説でもあるとは思っていました。ようやく書き始めてからは、ロシアがウクライナに侵攻し始めて、さらにいろんなことを意識するようになりました。令那の出身地であるウクライナやベラルーシのあたりは、穀倉地帯ということもあり昔から戦争に巻き込まれやすい地域なんです。

――「元寇」というか「元(モンゴル帝国)」の世界侵攻については知っていましたが、その最西端がどのあたりになるのかまでは、正直考えていませんでした。

今村:元は、現在のウクライナとかベラルーシどころかポーランドまで攻め込んでいます。元寇というのは日本だけの問題ではなく、世界的な事件だったんです。今回の小説は、世界のあちこちに影響を及ぼした事件の日本版という位置付けを意識した部分もあります。世界史的な視野から日本を捉えるのは、今後の今村翔吾の歴史小説におけるひとつの視座になりうると思っていて。日本の歴史教育は、日本史と世界史を分けすぎるところがありますが、本来、そこに壁は一切ないはずです。日本史と世界史を繋げながら書くことは、今後挑戦していきたいことのひとつです。

戦争というのもまた人と人を繋げるもの

――今村さんはいつも人物や出来事ではなく、テーマありきで小説を書かれるそうですが、今回の作品のテーマはどんなところにあったのでしょう?

今村:ざっくりと言うと「人と人の繋がり方」です。そう言うと「温かい繋がり」みたいなものを考えがちだと思うんですけど、たとえば戦争というのもまた人と人を繋げるものだったりします。人の繋がり方には様々な形があって、それは集団の規模の大きさとはあんまり関係ないんじゃないかと考えています。家族という小さい集団の中で揉め合うときもあれば、国同士で揉めたり、あるいは手を取り合ったりするときもあるわけで。人の繋がり方と集団の単位みたいなものを考えていったら、元寇とか河野の家族とか、言語が通じなくても繋がり合うこととか、いろいろなものを含めて書けるんじゃないかと思いました。

――ちなみに本書の帯には「なぜ人と人は争わねばならないのか?」とあります。『塞王の楯』の著者コメントには「人が争うのは何故か。争いを始めるのは誰か。それを止める術は本当に無いのか。」とありました。さらに『茜唄』は、源平合戦を描いた小説です。このあたりが、今村さんの根源的なテーマなのかなと。

今村:たしかに人と人の争いは、根本のテーマとしてあるかもしれません。そのテーマは何回でも角度を変えて書けてしまうし、書いていかなくてはいけないことなのかなとも思います。『塞王の楯』の角度から描く争いと、今回の『海を破る者』の角度から描く争いは、それぞれ違うものだけど、どちらも僕にとっての真実であって。いろんな角度から人と人の争いについて書いていきたいと思っているのかもしれない。この問題はいまだに人類が答えを出してないことでもあって、だからこそ何回も挑む価値があるのかなと思います。

――なるほど。

今村:ただ、そこで僕が意識しているのは「主人公を遠くに行かせたくない」と言うこと。読んでいる側から見て、遠くにいる「歴史上の人物」ではなく、常に僕らの横にいる人間として描きたい。読者も一緒に、この主人公と語り合いながら読み進めて欲しい。主人公の背中を見ているのではなく、その横にいて、主人公の顔を見ているというか。僕が主人公の名前を「諱(いみな)」ではなく「通称」――今回だったら「通有」ではなく「六郎」と書くことも、そこに起因していると思うんです。

 『じんかん』の松永久秀も、最後まで「久秀」ではなく「九兵衛」で通しました。「諱」にしてしまうことによって、歴史上の人物になってしまうというか、そういう箱の中に閉じ込められてしまう感じがするんです。当たり前だけど、小説の中で生きている主人公たちは、自分が歴史上の人物になるなんて思ってもいないわけで。自分の横にいるようなひとりの人間として書きたいっていう欲求があるんでしょうね。

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