「日本、本当に大丈夫?」気鋭の経済学者・安田洋祐に聞く、 日本のリアルと未来への提言

■盛り上がった教育テーマ

――本のテーマを「経済」「政治」「教育」そして「社会学と経済学」という4つのテーマに絞った理由を教えてください。

安田:最初から、この4部構成でいこうと決めていたわけではないんです。ジェンダーや格差問題など他のテーマも考えていましたし、実際に収録を行ったものもあるのですが、この4つのテーマを話しただけで十分すぎる収穫が得られてしまった、というのが真相です(笑) 政治については2人とも専門ではないものの、西田さんは政治に関する著作も出していますし、収録の時期ちょうどに政治と金の問題が関心を集めていて対談でも自然と話題に上がりやすかったので採用しています。

――ライブ感のある構成になっていると思いますが、対談をしてみて、もっとも議論が盛り上がったのはどんなテーマでしたか。

安田:それぞれのテーマごとに盛り上がった部分を掲載していますが、一番熱量が高かったのは「教育」の中学受験についての話だと思います。西田さんも僕も、中学受験に受験生や親として関わった経験があるので、第三者的な外からの分析にとどまらず、実体験を踏まえた議論になって白熱しましたね。首都圏の中学受験の過熱ぶりについて、当事者目線と社会全体の目線の両方の視点から議論しているので、関係者のみなさん、特に中学受験を検討されている親御さんにぜひ読んでいただきたいです。

――経済の話も面白かったです。安田さんと西田さんでまったく視点が違うといいますか。

安田:日本企業の競争力については、西田さんがやはり社会学者らしく、悲観的な見方をしていますね(笑)。日本企業のパフォーマンスは低迷しているし、イノベーションも生み出せていないと西田さんは指摘しています。確かにGDPや時価総額を見ると元気がないものの、イノベーションが生み出せていないわけではないと僕は考えています。また、先ほども言いましたが、低い失業率や若い人に門戸が開かれているなど、GDPでは測れないアドバンテージもあるのです。

  雇用環境だって、否定的で語られることの多い終身雇用や年功賃金制度は、見方によっては日本企業の強みだと思うんです。このように、お互いに考え方が違う部分もあったのですが、とても建設的な議論ができたと思っています。

■派閥政治の弱体化を経済学的視点で分析したらどうなる?

――政治の話題も白熱しましたよね。

安田:現実の政治や選挙の話は西田さんが詳しいので、自由に語ってもらいました。ひょっとすると、このテーマがお互いの研究者らしい面がもっとも出ているかもしれません。西田さんは政治を現在・過去の目線で語っている。約30年前の自民党政治とか、ですね。僕は、最新の投票理論を紹介したり、オーソドックスな政治学者があまり指摘しなさそうな仮説を立てたりしました。

――どのような仮説でしょうか。

安田:派閥政治の弱体化を経済学の視点で語ったものです。献金が難しくなったことで、派閥ごとのカラーや派閥の力が弱くなったのではないかということを理論的に説明しようと考えました。経済学やゲーム理論では、「ホテリングの立地モデル」という考えがあります。2つのライバル店が通り沿いに立地場所を選ぶとき、どの場所に立地しようとするかを分析するモデルです。

  それぞれの店ができるだけ多くの客を獲得しようとする結果、2店とも通りの真ん中に立地する、というのが理論的な予測になります。通りを「財やサービスの特色」だと解釈すると、どちらも相手と似た中庸なものを選んでしまい、商品の差別化が行われなくなることをこのホテリングのモデルは示しています。競争が働いて各自が利益を追求すればするほど、ライバルと似た選択に落ち着いてしまうわけですね。

――皮肉なことに、競争をすればするほど似通ってくると。

安田:これと同じ現象が、派閥で起きているのではないかと僕は考えたのです。ホテリングの立地モデルにおけるお店を派閥、通りを政策ポジション、客足を有権者の支持と読み換えると、派閥が政策だけで競争している場合には、結果としてポジションが似てくることを上の結果は示唆しています。ところが、ホテリングの立地モデルを少し変えて、それぞれのお店が立地場所だけでなく価格も選べる場合には、2店の立地場所がお互いに遠ざかる、つまり差別化が起こることが知られているのです。

  これは、同じ立地だと客が少しでも安い方から商品を購入しようとするため、価格競争が激しくなってしまうからです。価格と立地の二軸で競争している場合には、先ほどの立地のみの一軸上の競争の場合とは違って、商品差別化が起きるわけです。

――このロジックが、派閥間の競争にも応用できるわけですね。

安田:おっしゃる通りです。かつて献金ルールが緩かった時代には、派閥は献金額と政策ポジションという二軸で競争していたので、派閥間のポジションに差別化が起きて各派閥のカラーが強く出ていた。対して、献金ルールが厳しい現在では、競争がより一軸に近づいたので差別化が起きない、つまりカラーが出ないという見立てですね。政治と金の問題は盛んに議論されています。しかし、献金ルールを厳しくすればするほど、派閥や政党が似たような政策を掲げるようになり、有権者の選択肢が狭くなってしまうかもしれない。そういった可能性が上の分析からは導かれます。

■日本にはまだまだ伸び代がある

――外国と比べて、特に大きいと感じる日本の課題はなんでしょうか。

安田:本の中でも紹介しましたが、スイスのIMDというビジネススクールが毎年発表している世界デジタル競争力ランキングが参考になります。これを見ると、日本は他の先進国と比べて、人と組織に関する項目の評価が異常に低いことが分かります。具体的には、ビッグデータの活用、企業の俊敏性、上級管理職の国際経験などが大きく遅れていますね。この辺りは非常に目立つ課題であると同時に、日本企業の伸び代でもあります。弱点を少し克服するだけで、大きく日本の組織は変わるチャンスがあると思います。

――AIの活用も日本企業は進んできたと聞いています。

安田:はい。さらに、遅れていたDXを一気に進める機運まで高まっていると感じます。鍵を握るのはChatGPTやGeminiに代表されるチャットAIですね。日本では、プログラム・コードが書けるデータサイエンティストが圧倒的に足りないと言われていましたが、こうしたAIサービスはコードまで書くことができます。その道のプロに依頼していた案件が、たった数千円程度でできるようになるわけです。

  AIやITに詳しくない企業でも、同じ業種や業界で成功事例が蓄積していけば、活用を検討し始めるはず。法人契約したChatGPTに自社のデータを学習させて、5年前には数千万円かけても実現できなかったような高度なデータ分析をAIに任せる企業なんかも登場するのではないしょうか。

――対談を経て、安田さんは日本の未来は大丈夫だと思えましたか。

安田:大丈夫か大丈夫じゃないかで言うと、大丈夫でしょう。西田さんは大丈夫じゃない派ですけれど(笑)。もちろん、日本が大丈夫じゃない状況に陥る危険性がないとは言いませんが、そうなった時にはそもそも世界中の資本主義社会が行き詰まっているのではないでしょうか。日本だけが、諸外国と比べてことさらまずいようには見えません。

  実際に、海外の経済学者に聞くと、日本は羨ましいと言われますよ。実質GDP成長率も直近ではヨーロッパよりも高いですし、高齢化が他国より早く進んでいる逆風の中でも、成長の鈍化がそこまで悪化していません。基幹産業も、自動車を中心にまだ失ってはいない。世界経済の中である程度の存在感を示しつつ、失業率が低いので、今後のAI導入について失業者から抵抗される政治的なリスクも低いというのは、相当な日本の強みだと思います。

――それなのに、なぜ日本国民の間では将来への不安が大きいのでしょうか。

安田:不安を感じるかどうかは、個人のアイディンティティと密接にかかわっていると思います。しかし、繰り返しますが、日本にはGDPで測れない潜在的な豊かさがあります。大手企業で高給や肩書きをもらっている人はたくさんいる。これはある意味、日本の労働市場や経済に埋め込まれたセーフティーネットでしょう。外資系企業のように、いきなり首を斬られる心配がなく、やりがいを感じながら仕事に打ち込める機会が世界と比べても多いといえます。

――いずれも日本の長所ですね。

安田:そうですね。もちろん短所もたくさんあるわけですが、こういった長所にもぜひ目を向けていただきたいです。10~20年経って世界情勢も変化したとき、日本が世界中からもっと羨ましがられる国になっているかもしれませんよ。

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