スタートアップ起業に奮闘する「普通の女性」を描いた理由は? 小説『あすは起業日!』トークショーレポ
選書サービスを通し、人との出会いを提供するサービス、Chapters(チャプターズ)を運営する起業家・森本萌乃が初執筆した小説『あすは起業日!』(小学館)が刊行された。コスメ業界で働く主人公・加藤スミレが会社員を辞め、AIを使った選書サービスのスタートアップ起業に奮闘する日々が描かれている。
そんな同書の刊行記念トークショーが中目黒 蔦屋書店で開催され、著者の森本に加えて、海岸線の美術館・館長の高橋窓太郎、デザイナーの山根有紀也が登壇した。新卒で入った広告代理店の同僚であるという三人が、本書の感想を交えながら、起業することや働くことについて語り合ったイベントの模様をレポート。
山根:この小説は29歳の主人公・スミレちゃんが、会社をクビになるところから始まります。そこでは目の前にいろいろな選択肢がある。最初は転職を考えるんですが、起業というキーワードに段々と引きつけられていく。こうしたストーリーは森本さんご自身の実体験と重なる部分が多いのでしょうか。もしくは、自分とはまた別の人格を作り上げましたか。
森本:執筆を始めるとき、物語をどうやって書いたらいいのか正直わからなかったんです。だから、ストーリーも主人公の造形の仕方も何もわかりませんでした。登場人物の名前も最初は甲・乙・丙で書いていたんですよ。普段から契約書はたくさん読んでいるから慣れている言葉でいこうと思って。
山根:そんな書き方があるんですね。
森本:はい、私の場合は。なので、主人公は甲ちゃんで、恋する相手は乙くん。でも丙まで使った時に、そろそろ言葉が足りないなと思って、やっと名前を考えたんです(笑)。それくらい、何も分からずに書き始めたので、主人公に自分がどれぐらい宿っているかを意識する余裕もなくて。とにかく書くのに必死でした。ただ最終的に振り返ってみると、創作と事実を半々ぐらい織り交ぜていますね。強烈に実体験である部分と、逆に全く私が経験していない部分があります。
山根:では、全体を通して意識したことや、そういったリアルとフィクションを織り交ぜる中で気をつけたことはありましたか?
森本:この小説では、普通の女性が起業を選択して奮闘していく話にしようと思い、応援されるような人格を作りました。そのため、立ち止まって悩んだり、涙を流してしょんぼりしたりする。そういった描写を大切に描きました。私も応援したくなる主人公を描きたかったので、私の性格とは違う部分がたくさんあります。一方、起業に向けて邁進する中で、かけがえのない出会いがあったこと、大変な困難が何度も続くことは、実体験になぞらえて書いているかなと思います。
山根:私から見ていて、本当の萌乃さんも応援される人だと思いますよ。
森本:ありがとうございます。でもそれなら、私は窓太郎さんに伺いたいですね。彼こそが誰もが応援したくなる人だと思うんです。
高橋(窓太郎):応援したくなる人って、どういう人ですか。
森本:当たり前ですけど、応援されるということは応援してくれる人が必要ですよね。なので小説では、主人公のスミレちゃんを誰が応援するかをベースに、周囲の登場人物のアイディアをふくらませていきました。
スミレちゃん自身でいくと、やばくなって、もう一つやばくなる。底の底まで行った後でも這い上がって頑張っている姿って、人の本気が見えて心を揺さぶられると思うんです。必死の人はいっぱいいるけれど、やばすぎる人って案外少ないですから(笑)それが応援したくなるってことかなあ。
窓太郎さんはクラウドファンディングをやりましたよね。私は話を聞いた瞬間にすぐ支援しちゃって。「美術館を、世界遺産を、一人で作るのかい?」みたいな。そんな無謀なことをやる人は応援したくなりますよね。そういうことかなと。
高橋(窓太郎):ありがとうございます。確かに、海岸線の美術館を世界遺産にしたいという思いは、大事にしているからこそどんどん発信したいと思っています。無謀と思われるかもしれないけど、自分は結構本気で思っているんです。僕の場合、それが手を差し伸べたくなるやばさなのかもしれません。
森本:周りが思わず手を差し伸べちゃう時って、当人は自分がどう見られてるかは考えられないくらいの境地になっていると思いました。それは自分自身にも重なるところがあって。スミレちゃんを形作る上で、意識したところです。
山根:森本さん自身も、それほど必死になった経験がやはりあるんですね。
森本:ありましたね。例えば、作中ではVC(ヴェンチャーキャピタル)40社に資金調達の相談をします。これは私自身がそうで、自分のカレンダーを見ながら数えました。当時思ったのは、無知って強いなと。ダメでも次はいけるかもと思っていました。やったことがないから、無限に自分を信じちゃうみたいな。どこで止めていいかわからなかったから突き進めました。もしかしたら、他人から見れば危なかったかもしれません(笑)。
窓太郎さんは、自分が応援される理由はどうしてだと思いますか?
山根:窓太郎は普段から応援されようと思っていないのかな。
高橋(窓太郎):いや、応援されたいんですよ。どうやったら応援されるのかなとよく考えるんです。でも必死という話で思い出したのは、去年、本当にお金もなくてやばかったんです。そんな時に軽自動車で走っていたら朦朧として、崖の縁に車が乗り上げて、横転しそうになっちゃって。死にそうなこともあるんだなって。
森本:それは本当にやばい(笑)。
高橋(窓太郎):あと去年の冬に石巻の宿舎でカメムシが大量発生して、僕は苦手すぎてずっと車中泊で過ごしていたんです。そこで思ったのはやっぱり心身をちゃんとした上で思考しないと、アイデアも出ないということでした。当たり前なんですけど。
山根:お話を聞くと、ほっとけないなという感じが伝わりますね(笑)。
森本:そこが窓太郎さんの強さかなあ。もう絶対に応援したいですよね。
私は会社員をやりながら起業をしていた期間が1年ほどありました。会社員として安定的に給料をもらっていて、起業家という自分の欲しいステータスも持っていた。だから起業で儲ける必要もなくて。「超幸せじゃん」と思って、スキップしながら帰ったりしていました。あの頃はよかったですね。でもあのままだったら、応援するとかされるとか、考えてなかったと思うし、本も書いていなかったと思います。
山根:スキップするほど楽しかったのに、その環境を自分から捨てて追い込まれていったと。
森本:当時は幸せでも、それがずっと続いたら幸せかどうか分からないですよね。見たことのないものをどうしても見に行きたくなっちゃう。今日もこうして、昔住んでいた中目黒の街で出版した本のトークイベントができている。こんな風景想像もしていなくて、それが嬉しいです。
高橋(窓太郎):私も会社が嫌とかじゃなかったので、その感覚は少しわかります。
森本:私の場合は窓太郎くんみたいに、会社を辞めると自分で決意したわけじゃないんですけどね。突然、ゲームのプレイボタンが押されたような感じでした。それをこうして小説のネタとしてちゃんと使える日が来て、よかったです。
ところで、お二人からの小説の感想を聞いてもいいですか。まだ聞いてなくて(笑)。
高橋(窓太郎):この小説自体が起業をするタイムラインになっていますよね。だから、僕はシンプルに今、1/3くらいのステップかと考えながら読んでいました。この先まだまだこんなに辛いことがあるのって焦りを感じましたし、その折々でこういうトラブルが起きるのかとか、すごく勉強になりました。起業をしているとハローワークで失業保険をもらえないとか、トラップじゃないですか。僕は大丈夫だったんですけど。
山根:今の話にも関わるんですけど、等身大のスミレちゃんという人格が、ある種の冒険を始めるわけです。会社をクビになって、いろんな選択肢もあるなかで、起業という選択肢を選ぶ。その起業という選択肢を選んだ結果、見たことのない景色を見ていく。あるいは、貧困すれすれの辛いことを経験する。
起業やスタートアップというと、世の中ではスーパーマンがやるものだと思われている。イーロン・マスクや楽天の三木谷さんとか、スーパーな感じがありますよね。自分でサービスを作って成長させて、資本主義のど真ん中で実践していく。
でもこの小説では、そんなイメージと真逆なんです。普通に中目黒を歩いているような29歳のスミレちゃんが起業をしていく。そのギャップが私はすごく面白いなと思いました。ただ今の森本さんのお話を聞くと、やっぱりスーパーだなと思いましたね。スキップするほど楽しかったのに、それをあえて捨てて追い込まれにいくと。
森本:いや、スーパーとかじゃなくて、そこが本当に私のあほんだらなところで。やばいものを見てみたくなっちゃうんです。
ちなみにこの本は単に「起業がいいよ」という話にはしたくなかったですよ。そのあたりはどう感じましたか?
山根:どうでしょう。読み手の方それぞれの受け取り方があると思います。森本さんとしては、起業礼讃ではないんですね。確かに起業したいとは思わなかったかもしれません。でも、起業するの嫌だなとも思わなくて。なぜなら、いろんな経験を通じて、起業しなかったら出会わなかった人と出会い、感じなかったことを感じている。そしてそのプロセスをすごく前向きに捉えています。それは結果、どういう悲劇になるかわからない。でもそれを前向きに捉えるパワーみたいなものが、この一冊の物語の中に込められていました。
「お前も起業しないのか?」的な思いもちょっと感じましたね。でも一方で、そんなキラキラした話だけでもないよということが書いてある。貧困にギリギリ踏み入れるかもしれないような瞬間も克明に描かれている。そのリアルを追体験することができたというのが感想でした。
森本:ありがとうございます。人生の中で自分のお仕事の時間ってすごく長いですよね。そこで正しく魂を燃やせているか。ちゃんといい燃費をしているか。それを前向きにチェックできる本だといいなと思っています。
山根:起業というのはスミレちゃんにとってはなくてはならないものだった。好き・楽しいという感情を否定せずに、見て見ぬ振りをせずに追いかけていった。それは人によっては、起業じゃなくてもいろんな選択肢があるわけですよね。家庭を作ること、会社の中で働くこと、友達と何かをすること、どんなことでもいい。とにかく自分の好きという感情、やりたいという感情に目を背けない力がある。だから読んでいて、エネルギーをもらいました。
森本:初めて書いたフィクションなので、正直面白いかは分からないんです。でも小学生の組体操って感動するじゃないですか。難しい技術は必要ないかもれないけれど、全力でピラミッドを作っていて、そこにかけた熱量は紛れもなく本物ですよね。
同じように、私もこの小説にかけた熱量は本物なんです。34歳の起業家がギリギリで書いたフィクションであることに嘘はない。そこの熱量代が、この本代かなと思いました。私の本気の組体操だと思って読んでもらえたら嬉しいです。