杉江松恋の新鋭作家ハンティング 常に危険と背中合わせのスリラー、浅沢英『贋品』

 これだけでも大変なのだが、佐村にとって何より危険なのは仕事仲間である。どうやら山井は、楊文紅に対して特別な感情があるらしく、彼女のために動いているということを佐村に隠し通そうとしている。明らかに、佐村を騙すつもりなのだ。文紅の父・楊晧と佐村の父親との間には何かの因縁があったらしいこともわかる。父・智が破滅したのは、もしかすると楊と山井のせいだったのではないか。

  命がけの勝負で手を組んだ連中が、実は自分が最も警戒しなければならない相手、父の仇であったかもしれないというとんでもない事態だ。一つ気を抜いたら後ろから切りつけられるかもしれない。いや、間違いなく佐村を餌に差し出して、自分たちだけが生き残るつもりだろう。前には残忍な徐在がいる。後ろからは追手がかかる。今さら抜けようにも、多額の借金をしてしまった佐村は後戻りができない。

 こんな危機的状況のまま走り続ける物語なのである。スリラーで最も大事なのは、不安定であることだ。ロッククライミングと同じで、両手両足を使って四点確保をしていれば安全だが、それでは登ることはできない。どこか一ヶ所を外して三点、可能であれば二点で岩にしがみつく姿勢にならないといけないのだ。危険だが、それで初めて目的へと向かって進むことができる。常に危険と背中合わせであること、死を感じながら進むこと。その基本をこの作者はきっちりとやってくれた。満点を差し上げよう。花丸も進呈する。

 私は詳しくないので説明できないが、贋作のディテールも真に迫っており、相当調べて書いていると思われる。調べた形跡が作品に残っておらず、すいすいと書いている風になっているのもいい。筆致が軽いのである。これはとても大事なことだ。浅沢英は1964年、大阪府生まれで、2021年に短篇「萬」で第5回大藪春彦新人賞を受賞した。先輩に赤松利市、西尾潤、青山雪平など手練れの作家がいるが、それに負けない活躍が期待できそうだ。スリラーを描くセンスが抜群である。これからどんどん描いてくれ。読者の心をひやひやさせてくれ。頼むぞ、浅沢英。

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