【連載】速水健朗のこれはニュースではない:学生運動時代から20年後が描かれた『ぼくらの七日間戦争』

校門圧死事件による管理教育の終わり

 管理教育の時代が終わるのは、1990年のこと。神戸の高校で登校時に校門に挟まれて高校生が亡くなる事件がきっかけだった。この事件の当時、僕の頭をよぎったのは、2年前に見た『ぼくらの七日間戦争』の冒頭シーンだった。宮沢りえが登校するシーンである。遅刻すれすれで校門を駆け抜けていた。その門を閉めるのは生徒会の生徒たちだ。教育指導の先生の命を受けてやらされている。主人公の運動神経の良さ、当時の学校の厳しい管理、生徒会が担わされた規則管理の構図、この映画のオープニング場面には、いろいろなものが凝縮されていた。

細井敏彦『校門の時計だけが知っている: 私の校門圧死事件』

 現実に起きた圧死事件は波紋を呼び、行き過ぎた管理教育批判が始まる。そして、これを期に管理教育の時代は終わったとされている。体罰がよくない程度のことは今も共有されているが、管理教育が何かを含め、その教訓や過去の記憶までは共有されてない。このときに安全確認をせずに門を閉めて生徒を死なせた教師がのちに本を出した。これは暴露本だった。どれくらい話題になったのかは知らない。この元教師は、自分の落ち度も認めながらも、当時の神戸の学校事情をきびしく告発している。

 この校門圧死事件が起きた学校は、新設校だった。その校長には、他校の校長以上に大きな権限が与えられるのだという。校長はおよそ3年ほどの短い任期の中で成果を上げる必要がある。校長は、子飼いにしている教員を連れてくることができる。その職員は、校則の運用強化のために連れてこられるのだ。その教師が職員室で校長の旗振り役をする。具体的には生活指導の強化を訴える。つまりは工作員だ。現場の空気を変えて、本来は教師の労働規約を超えた遅刻管理の仕事を周囲の教師たちにも担わせる。

TM NETWORK『SEVEN DAYS WAR』

 徹底した生活指導で遅刻や違反を減らせば、それは校長のポイントとなる。管理教育は、こうした成果主義が生んだものだ。今考えれば、遅刻云々にそこまで厳しくなかった先生たちもいた。何人もの自分の中学時代の教師たちの顔が浮かぶ。

 映画の中で賀来千香子が演じていた先生が、横暴教師に反抗してみせる側の先生役だった。もちろん、旗振り役の教師の顔も浮かんでくる。ただ35年も前の話なので、イメージは半ば大地康雄とモーフィングされている。

 映画の最大のインパクトシーンは、宮沢りえの登場シーンと別にもあった。もちろんラストである。勝利を収める中学生たち。彼らは、革命の勝利の後に日常に戻る。ここでは男女もガリ勉もつっぱりも一体になっていたが、それぞれ別のスクールカーストに戻っていくのだろう。ジョン・ヒューズの『ブレックファスト・クラブ』のラストを彷彿させる。ただインパクトはそのあとだ。最後に流れる主題歌である。『SEVEN DAYS WAR』TM NETWORK。サビでは「Seven days war 闘うよ」というそのまま過ぎる歌詞はなかなかの衝撃。他にもいろいろ歌われていたかもしれないが、サビのインパクトしか残っていない。今なら「Jポップハラスメント」という言葉も浮かぶ。TM NETWORKも相当、忙しかったのだろう。

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