【連載】速水健朗のこれはニュースではない:自然選択説とダッドスニーカーブーム
ライター・編集者の速水健朗が時事ネタ、本、映画、音楽について語る人気ポッドキャスト番組『速水健朗のこれはニュースではない』との連動企画として、最新回の話題をコラムとしてお届け。
第5回は、ダッドスニーカーブームをダーウィンの自然選択説と重ねて考察する。
家族の服を借りて外に出ちゃったという設定のファッション
スニーカーの大きさは、流行するパンツの太さと連動しているのだろうか。またぞろ大きくなって、ダッドスニーカー時代が再来している気がする。サイクルといっても、ダッドスニーカーの流行は、米津玄師がブレイクした頃と重なる。お茶の間がそのスニーカーのでかさに驚いていた。たかだか5、6年前。なにかしらの淘汰や自然選択が行われ、スニーカーのサイズは、巨大化と絶滅によるシンプル化を繰り返していくのだろう。スニーカー・ダーウィニズム。
僕の子どもの頃は、スピルバーグの映画の少年たちが皆、大きなサイズの服を着ていた。代表は、キー・ホイ・クァンで、『グーニーズ』ではミリタリーのコートを引きずって歩き、コートの内側にいろいろ道具を隠していた。キー・ホイ・クァンがアジア系だというのは当時から知っていたが、移民のベトナム人と知ったのはのちのこと。子どもは成長が早いから大きめを買うってこともあるけど演出上の意図でもあるのだろう。彼らは、大人のつもりで背伸びしていた少年たち。そういえば、青春学園映画のナード役もだいたいぶかぶかの服を着ている。背が伸びるのが、周囲より遅く、早く大人になりたい少年たち。
あえて失敗した服のサイズを選ぶ。今のビッグシルエットブーム以前に「ボーイフレンドデニム」があった。いわゆる女性用のジーンズで、サイズが極端に大きくて、色落ちが進んだジーンズのこと。ボーイフレンドの服を借りっぱなしみたいなニュアンスがある。その流れで出てきた「マムジーンズ」はさらに興味深い現象。ハイウエストかつ丈の短すぎるスリムジーンズ。80年代後半くらいのお母さんたちが履いていたデザインのジーンズをあえて履くという提案だった。あと、グランパシャツってのもある。サイズが極端に大きいシャツ。結局、家族の服を借りて外に出ちゃったという設定のファッションで全身コーデが可能ということ。最後のピースが靴である。お父さんの靴を勝手に借りてきた設定でダッドスニーカーを履けばいいのだ。
昨今のファッションのビッグシルエットブームの仕掛け人の1人がファッションデザイナーのデムナ・ヴァザリア。彼が2014年に立ち上げたヴェトモン、翌年にアーティスティック・ディレクターとして就任したバレンシアガで大きなサイズの服を展開した。彼は、ジョージア(かつての「グルジア」)出身で、10代で難民となり、20歳の時にドイツに移住した。そこからデザイナーの道に進む。グルジアの貧困社会で人々は、体に合っていない服を着ていた。それが彼の原体験だったという説がある。ちなみに、ビッグシルエットのキーパーソンの1人にカニエ・ウェストがいるが、デムナとカニエは、盟友といっていい存在。
洋服のサイズが標準化、つまりSMLが決まったのはいつか。1941年に遡る。当時、アメリカ農務省が1万5000人の女性のサイズを図ってアメリカ人女性の標準体型を計測した。その結果、SML(スモール、ミディアム、ラージ)の「標準」が決められた。消費者は、メーカーが違っても同じ基準で服を選ぶことができるようになり、メーカーは計画的な生産が可能になった。既製服時代がこの頃から始まる。1941年は、すでに戦時下。ニューディール政策時代のあとの大規模出動が続いた時代。雇用を生むために、統計調査が行われ、綿花産業もアパレル産業も成長したという(クリスティア・フリーランド『グローバル・スーパーリッチ: 超格差の時代』)。