なぜ人は髪にコンプレックスを抱くのか? 『あしながおじさん』『ハゲの文化史』『め生える』を読んで

 とはいえハゲネタが廃れようと、人の意識が変わらない限り、外見にまつわる問題は解決しなさそうである。先月1月6日に刊行された高瀬隼子『め生える』(U-NEXT)は、罹ると髪の毛がすべて抜けてしまう感染症の蔓延する世界を舞台に、コンプレックスの生まれるメカニズムを浮き彫りとした小説だ。

 みんな髪の毛が無くなるのなら、世の中平和になるのではないかとも思える。だがこの謎の感染症には、わずかながらイレギュラーな事象も存在していた。

 会社員の真智加(まちか)は髪の毛が全部抜けたものの、また生えてきたことを周囲に隠している。公にするのをためらう大きな原因となっているのが、学生時代からの友人であるテラの存在だ。真智加はかつて、薄毛であるのをクラスメートたちの前でテラに悪気なくいじられ、そのことを恨み続けていた。だけども自己中心的で、何かとマウントを取ってくるテラに束縛されつつも続く友情関係を、大人になっても断ち切れない。髪がまた生えてからは、はげた彼女にそのことを知られて、関係が壊れるのを恐れるようにもなっていた。〈テラとはいつまで友だちでいられるだろうか。自分にではなくテラにほんものの髪が生えてきたのだったら、良かったのだろうか。人を殴るより殴られる方がいい。どっちも殴らないし殴られない関係が築けないのであれば〉。

 高校生の琢磨はいまだ、髪が抜けていない。子供は感染しないらしいが、16歳ぐらいから結局は髪の抜けることが判明していた。男性器が無いからはげないのではないかと、大半がはげたクラスで、琢磨は同級生からあらぬ疑いをかけられている。〈はげたいは嘘だけど、みんなと違うのが嫌なのはほんとうだ。人と違って目立つと、なにをされるか分からないから、こわい〉。

 髪が生えていてなぜいけないのか。多数派であるはげた人々が真智加や琢磨を除け者扱いするのに、「自分たちと違うから」以外の理由や確固たる主張を持っているわけでもない。彼らが頭を気にせず外に出るようになったきっかけは、ハリウッドの有名俳優夫婦がはげをオシャレと捉え、ウィッグを外した写真をSNSにアップし出したから。陰で怪しげな毛生え薬に飛びつき、悪徳業者にお金を巻きあげられる者も少なくない。学校の校則に人間関係にバラエティ番組の「お約束」など、劣等感の強まる要因となる、さまざまな状況下での同調圧力を描いている本書。真智加と琢磨の身に起きる、多数派の価値観に縛られない生き方を考えようとする意識のめ生えは、そこで大きな救いとなる。だが、彼らの内心に薄っすらとめ生えている、その他大勢に対する優越感や意地悪な言葉。それを漏らさず描く作者の公正さによって、他者を気にしない生き方の難しさについて考えさせられもする。

 ハゲをいじるのではなく、いじる側のエゴや矛盾を暴いていく。そんな新しい構図を打ち出したこの作品は、ハゲネタとして間違いなくアリだ。



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