森見登美彦「本当に不思議なものは自分の内面にしか存在しない」名探偵シャーロック・ホームズとともに見つけたもの
『夜は短し歩けよ乙女』『ペンギン・ハイウェイ』『熱帯』などの著作で知られる作家・森見登美彦による4年ぶりの長編小説『シャーロック・ホームズの凱旋』(中央公論新社)は、「ヴィクトリア朝京都」を舞台にスランプ中の名探偵シャーロック・ホームズが「非探偵小説的な冒険」を繰り広げる物語だ。
名探偵シャーロック・ホームズという誰もが知るキャラクターを登場させながら、あえて推理小説とは異なる方向性を目指した本作は、どのような背景から生まれたのか。森見登美彦に話を聞いた。(リアルサウンド ブック編集部)
私自身を書こうとするかぎり、物語は永遠に終わらない
――本作が最初に雑誌に掲載されたのは2016年。待った甲斐がありました。ヴィクトリア朝京都を舞台に、スランプ中の名探偵シャーロック・ホームズの冒険譚。めちゃくちゃおもしろかったです。
森見登美彦(以下、森見):ありがとうございます。「ヴィクトリア朝京都」という言葉が頭に浮かんで、思わず笑ってしまったのがきっかけです。京都とロンドンが融合した世界で小説を書いてみようと。その世界観ならば当然、シャーロック・ホームズも出てきます。子どもの頃からホームズは好きでしたし、登場する小説を書くのは楽しそう、と思ったんですけど、真正面に向き合うと推理小説の構造にしなくちゃいけないんですよね。でも、スランプで事件解決できなくなったホームズなら、ミステリーが苦手な私にも書けるかもしれないと。
――読んでいて、ホームズの偏屈で理屈っぽい物言いは、森見さんの文体にとても合っていたんだな、と気づきました。
森見:今作では推理ができないぶん、よけいに詭弁にパワーがこもっていますね(笑)。だめな自分にふてくされつつ、あらゆる詭弁を弄して自己正当化をはかる彼のセリフは、私も書いていて楽しかったです。私はホームズみたいに「小説は書けなくなったけどそれでいいんだ」とか「〆切なんて知ったこっちゃない」なんて言えませんからね。ただ、全体的には書きあげるのにものすごく苦心しました。途中までは雑誌に連載していたんですけど、その後を書き直していくうちに、全体的に見直さなくちゃいけなくなって。
――大幅に書き直されたんですか。
森見:そうですね。雑誌掲載時とは別物だと思います。ちょうど一年くらい前に初稿は完成したのですが、それも気に食わなくて、半分以上を手直しした。いまのかたちに整ったのは、秋のことです。
――なにがそんなに気に食わなかったんでしょう。
森見:ワトソンと私自身が一体化しすぎていたんですよね。今もそういう部分は残っていますが、初稿ではより、ワトソンが私そのものとして描かれていた。どこが、と聞かれると具体的には説明できないのですが、ところどころ、ワトソンの書く言葉に私の心中がそのまま表れてしまっていた。そもそも、『シャーロック・ホームズの凱旋』という物語そのものに、私の悩みや願望などがすべて投影されているんですよね。物語の構造がどんどん複雑に、ややファンタジックな作りになっていったのも、自分自身を書こうとした結果だろうと思います。なぜなら「自分」に終わりはない。私自身を書こうとするかぎり、物語は永遠に終わらないわけです。シンプルに「シャーロック・ホームズのパスティーシュを書こう」と考えていたのなら、もっと単純明快なエンタメ小説になっていたはずです。
今度こそちゃんと“帰って”こられる小説を
――森見さんは2011年に連載をすべて中断し、休養をとられています。その経験も、影響されているのでしょうか。
森見:関係あるとは思います。休む以前は、けっこうな勢いで小説を書き続けていたんです。でも『聖なる怠け者の冒険』以降、小説とはなにか、自分はどういうものを書くべきなのか、思い悩むことが多くなりました。おそらく『熱帯』は、その問いかけを具現化しようとした最たるもので、やはり自分自身を映し出そうとしていたんですよね。『熱帯』は一つの物語として一応は完結したんだけれど、実はまだ終わっていなかったんだということに、『シャーロック・ホームズの凱旋』を書きながら気づきました。
――『熱帯』は、幻の本にとりつかれた人たちの魂のゆくえを探る物語です。本作でのホームズは、過去のとある未解決事件にとらわれていて、なかなか「今」に戻ってこられないのですが、その様子は、物語の構造をふくめて、確かに似ているなあと思いました。
森見:『熱帯』では、物語に吸い込まれた人々がけっきょく戻ってこられないまま終わってしまった。たぶん、私自身も『熱帯』にとらわれたまま、帰ってこられていなかったのでしょう。『シャーロック・ホームズの凱旋』を書きながら、「ああ、これは『熱帯』の続きなんだ」と気づいたので、今度こそちゃんと“帰って”こられる小説を書かなきゃと思いました。
――本作も、不思議な現象は不思議のまま置いておくしかないのだ、という結論に達するのかなと思っていたんです。そうではなく、ちゃんとすべてを明らかにすべく立ち向かったのは、ホームズが名探偵だからかと思っていましたが、『熱帯』の対比でもあったのですね。
森見:同じことはもうやりたくない、という気持ちがありましたし、『ペンギン・ハイウェイ』などの他の作品でも“解けない謎”を描いてきた自覚もありました。『夜行』もそうですけど、物語の中心になにか奇妙な存在があって、どうしても解き明かすことができないのに書きたい、書かなきゃと思うのにそのかたちをとらえられない、と思うことがこの十年くらい、しばしば起きていたんです。それが私自身のスランプにも通じていた。そうしたら今作でも、なんだか正体のわからない謎……〈東の東の間〉という存在が出てきて、これはまずいぞと思ったんですよね。これをなんとかしないと、また同じことをずっとやり続けるはめになる、と。
――永遠に『熱帯』のなかにとじこめられてしまう。
森見:なので、今作では、どうすれば納得のいくかたちで、世界に生まれた穴みたいなものをふさいでいくことができるだろうか、と一生懸命考えていた気がします。この世界から脱出することがホームズのスランプを治し、ひいては私自身のもがきからも抜け出すことになるのだと、しだいに考えるようになりました。
――ホームズが探偵であることは、そこに何か作用しましたか?
森見:探偵というのは具体的な事件の謎を解くのが本来の仕事です。でも今作でのホームズはスランプに陥っていて、解決すべき謎は彼の内側に存在しているわけです。でもその内側にある謎を解こうともがけばもがくほど、なにかがいびつになっていくようなイメージがあったんですよね。私自身、小説をうまく書けなくなったとき、小説とはなんなのだろうと考えれば考えるほど、その謎はふくれあがって、手に負えないものになっていった。外側に発散すべき力を内側に向けると、異様な事態が起きてしまうという実感があったんです。
――内面世界に潜れば潜るほど、出口は見つけられなくなるわけですね。
森見:そう。だから今作において、ホームズが探偵であるということは、実はネガティブな要素でもありました。どうにか彼のまなざしを、謎を解こうとする力を、外に向けられないかなあと思っていたのですが、私自身もホームズやワトソンの内面世界と一体化しすぎてしまって、なかなか脱出できなかったという。
――そのもがきが描かれているからこそ、〈君だけが僕を僕たらしめてくれる〉というセリフに打たれました。何かに悶々と悩んでいるとき、人はどうしても他者をシャットアウトして、自分の世界にこもってしまいがちだけど、他者がいなければ自分の輪郭すらつかむことはできないんだなあ、と。
森見:究極的には、自分とは何か、という話を書いたんですよね。なんでスランプになったんだ、どうしてできていたはずのことができないんだ、と悩みを掘り進めていくと、その問いにぶちあたってしまう。でも、「自分とは何か」の向こう側には、虚無しかないんですよ。「小説とはなにか?」とひとりで考え続けていると、エンターテインメントの枠組みが壊れてしまって、たどりつきたい場所には決してたどりつけない。小説を書くのと同時進行で抱えていたそのもがきを、ホームズに重ね合わせていたので、小説の構造もずいぶんと入り組んでしまった。おかげで、けっきょく人は他者と救いあうしかないんだという結論にたどりつけた気もしますが。