江戸時代の日本人は何を食べて来たのか 定番食材の三つの白いもの、白米に豆腐……あと一つは?
■三白 江戸時代日本の定番食材
石城は食にはあまり頓着せず粗食が多かったようだ。一日三食食べる日もあれば一日一食の日もある。外食も多いが、家で食べていたものだと豆腐、大根が目に付く。江戸で特に好んで食べられたのがこの二つに白米を加えた「三白」(三つの白い食材)で町人以上の階級には深く浸透していた。
石城の日記を見ると、白米を食べたという明確な記述がない。ただし、よくお茶漬けを食べてたようなので、白米を食べたかどうかはわざわざ書くまでもなかったと推測される。なお、当時、炊飯は重労働だったので、朝、一気に炊飯を済ませてしまい、昼、夜は朝焚いたご飯を食べてたようだ。冷えたご飯を温かく食べる工夫としてお茶漬けが必然的に定着した。石城は豆腐が好きだったらしく、よく奴豆腐(冷ややっこ)を食べている。豆腐も定番食材である。
1782年に「豆腐百珍」という料理本が出版されており、同書には文字通りに100種類の豆腐料理のレシピが載っている。屋台の定番料理だった茶飯(お茶で炊いたご飯。もしくは塩と抹茶を加えたご飯)は上にあんかけ豆腐をかけるのが定番だったらしい。もう一つの白い食べ物が大根だ。
大根は英語で"Japanese radish "と呼ばれ、日本の食材として定着しているが、日本に元々自生していた野菜は、ワサビ、フキ、セリ、ジュンサイ、ウド、ゼンマイ、ワラビの七種類しか存在しない。大根は弥生以前に大陸から渡来したと考えられている。大根は大陸由来だが、『日本書紀』に記載があり、すでに奈良時代には定着していたようだ。
江戸文化と言えば、歌舞伎だが、当たらない役者を大根役者と言うのは大根が消化に良くて「あたらない」からである。大根の漬物である沢庵付けも定着していた。新撰組副長の土方歳三は、沢庵好きだったのは有名な逸話である。名前の由来とされているのが、江戸初期に活躍した臨済宗の僧である沢庵宗彭と言われている。大根にも豆腐同様「大根百珍」という料理本が出てる。
蛇足だが沢庵宗彭と言えば宮本武蔵の剣術に大きく関与していたなどの逸話が有名であるが、二人は歴史資料でも関わった形跡がなく、これらの逸話は吉川英治氏のまったくの創作である。