村井邦彦 × 北中正和『モンパルナス1934』対談 「芸術に関係した仕事をする人は、人間の可能性を追求することを考えるべき」

1930年代のヨーロッパの音楽

北中:『モンパルナス1934』では1930年代のヨーロッパでナチスが台頭し、それまでの自由な時代と比べて息苦しくなった時代背景が描かれています。その中に音楽がたくさん埋め込まれているんですね。その埋め込み方がとても通だな、と思いました。例えばアメリカ人以外で、ジャズ史に影響を与えた最初のギタリストであるジャンゴ・ラインハルト(ベルギー人・主な活動はフランスだった)が出演してるクラブに川添浩史さんたちが来るシーンとか。

村井:そういうシーンを書くのが楽しいんですよ。時代は1939年の秋、ドイツがポーランドに侵攻して、第二次世界大戦が始まっているんですけど、最初の数ヶ月間はフランスとドイツ間の戦争はなくて東部戦線だけ。その束の間の平和な時代に主人公・川添浩史と奥さんでピアニストの原智恵子さん、ヴァイオリニストの諏訪根自子さんがモンマルトルの丘の下のあたりにある「シェヘラザード」という実在のナイトクラブに遊びに行くんですね。そこに出ていたのがジャンゴという設定です。

北中:なるほど。

村井:僕はジャンゴも好きですが、相棒のヴァイオリニストであるステファン・グラッペリが大好きなんです。だから本当は小説に出したかったんですけど、共同著作者の吉田俊宏さんは日経新聞の編集委員、つまりジャーナリストですから必ず裏を取ってくるんですね。「村井さん、その時期にグラッペリはパリにいませんよ」と(笑)。調べると確かにそうだった。

北中:それで日本人のヴァイオリン奏者がセッションするという流れになると。

村井:ハンガリーの舞曲を弾いたり、グラッペリのレパートリーのジャズを弾いたりして喝采を受ける。ところが、お客さんの中から「あいつら日本人だ。ファシズムの連中だ」という声があがる。そこにジャンゴが出てきて、彼女たちが日本人かどうかなんて関係ない、彼女たちの演奏に俺たちの魂は揺さぶられただろう、と言うわけです。

北中:原智恵子さんがドイツに侵略されたポーランド出身のショパンの『英雄ポロネーズ』を弾いて喝采を浴びる場面は素晴らしいです。

村井:そういうところをね、ぜひ映画にしたい。

北中:絶対に映画にしたいですよね。

村井:皆さんバックアップをよろしくお願いします(笑)。

アフリカ的な音楽のリズムとヨーロッパ的な和声の融合

北中:街で流れているシャンソンの曲「聞かせてよ愛の言葉を(Parlez-Moi D’amour)」は、この物語のテーマのように何度も出てきますね。

村井:この曲も吉田さんが調べてくれたのですが、ちょうど川添さんがフランスに到着した1934年のチャート1位でした。だから音楽に関しての時代考証は全部バシッと合わせてあるんですよ。

北中:素晴らしい。時を同じくして、1935年に作曲家のコール・ポーターがパリに滞在していたことがあるんですよ。リッツホテルのバーのピアノで作曲されたのが「ビギン・ザ・ビギン」なんです。

村井:そうか、パリで作ったんだ! 知らなかったなー。

北中:「ビギン・ザ・ビギン」は「ビギンを始めましょう(Begin the Beguine)」という意味なのですが、その「ビギン(Beguine)」はカリブ海マルティニーク島のダンス音楽のこと。ちょうど30年代にパリのクラブにビギンのバンドがいくつもツアーで演奏していたんですね。多分、コール・ポーターもそれを聴いていて、ビギンを音楽的にではなく、イメージとして使って作曲したんじゃないかなと。

村井:マルティニーク島の音楽のビギンのリズムは「ビギン・ザ・ビギン」と同じですか?

北中:シンプルに変えていますね。本来はもっとシンコペーションが複雑です。フランスの植民地だったマルティニークで生まれたので、フランスのパーラー・ミュージック的なものとアフリカのリズムが混ざったのではないかと。

 ちょうど30年代はビギンだけでなく、キューバからも当時のルンバ、今でいう「ソン」というラテン系のベースになるようなダンス音楽を演奏する、レクオーナ・キューバン・ボーイズという楽団がずっとパリにいました。東京キューバンボーイズの名前の由来です。遡って、20年代にはアルゼンチンタンゴもありました。フランスは本当に世界中の音楽が集まっていた場所なんですよ。

村井:ビギンにしろ、ソンにしろ、タンゴにしろ、全部アフリカのリズムの影響がある?

北中:そうですね。20世紀の欧米におけるポピュラー音楽の大半は、アフリカ的な音楽のリズムとヨーロッパ的な和声が混ざったものと考えていいと思います。アジアは若干違うんですが間接的に影響を受けているし、アフリカのリズム要素が20世紀のポピュラー音楽の基礎を支えたといえます。

村井:アトランティック・レコードを創業したアーティガン兄弟が友達なんですよ。インテリでカリフォルニア大学ロサンゼルス校で音楽を教えていた兄のネスヒ・アーティガンが僕に「20世紀の音楽というのは一言で言えば『アングロ・アフリカン音楽』なんだよ」と言ってました。

北中:北米大陸はそうですね。南米の方に行くとスペインやポルトガルが入ってきます。例えば1920年代30年代のキューバのソンやダンソン、ブラジルのショーロ、アルゼンチンのタンゴなどとアメリカのジャズを横並びで聴いてみると、シンコペーションのきいたリズムの感覚がアフリカから来たことがよくわかります。

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