『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』が泣ける本当の理由とは? “いま”戦争を描く作品の意義

 おりしも映画館では、黒柳徹子による国民的ベストセラー『となりのトットちゃん』がこちらはアニメーションで映画化され、上映されている。黒柳徹子=トットちゃんがまだ子どもだった頃に通っていたトモエ学園で経験した自由な教育と、出会った友達との交流が描かれた作品だが、その中にジワジワと生活の中に入ってくる戦争の影が描かれる。

 いつも言葉を交わしていた男性の駅員が女性に替わる。映画では何も語られないが、もしかしたら徴兵されて戦争に行ったのかといった想像が浮かぶ。女性は着飾らなくなって割烹着姿になり、食べるものも乏しくなって豊かだったトットちゃんの暮らしが寂しくなっていく。戦争による離別こそ描かれないものの、戦争によって何かが変わっていったことは伺える。

 世界的にヒット中の『ゴジラ-1.0』には、特攻に出たものの死にたくないからと引き返した青年が登場する。生きたいと願っただけなのに、死んでいった者たちへの後悔を覚えざるを得ない心情に追い込まれてしまう状況が、あの時代にあったことを思わせる。彰や仲間の特攻隊員も、まさにそうした状況の中に絡め取られ、逃れられなかったのだろう。

 もう1本、水木しげるの漫画を原作にした『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』でも、突撃を命じる上官を卑怯だと感じた元兵士の心情が描かれる。何かに呼応するように、戦争が描かれた映画が並び、原作も盛り上がっている今の状況が次の世代もその次の世代も平穏であり続けることを選ぶ意思をもたらすとしたら、この国で戦争による涙を流す人は出ないだろう。

 『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』の映画や小説で流した涙は、そうなるための糧なのだ。

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