東宝はなぜ「シナリオ・センター」の本から学ぶ? 東宝取締役・市川南×著者・新井一樹「いい脚本」のつくり方
今回のゴジラは「張り手型」の脚本だった?
――「いい脚本からしかいい映画が生まれない」としたら、今回の『ゴジラ-1.0』は、脚本とその構造がとても良かったといえそうです。新井さんは、どうみられました?
新井:まず感想は「ゴジラ、怖い」に尽きますね(笑)。たとえば『シン・ゴジラ』よりも今回は怪獣としてのゴジラの怖さが際立っていた。『物語のつくり方』に引き込んでいうと、起承転結の「起」にあたる物語の出だしが「張り手型」でしたよね。
市川:そうですね。初手でインパクトのあるシーンから入る。あらためてシナリオを見ると、4ページ目にゴジラが出てきますから。
新井:ゴジラ映画は、意外と最初からゴジラの全貌を見せない展開が多い。「何かいる」と匂わせる程度です。ですが、今回はぐっと恐ろしいゴジラを観客に植え付ける。同時に、主人公である敷島(演・神木隆之介)が抱く感情と、植え付けられた怖さを引きずったまま2時間過ごす。最初のつかみは白眉だし、斬新でもありました。
――ゴジラシリーズは約70年の歴史があり、ハリウッド版、アニメ版含めて、数十作が作られ続けています。そんな中でも、新しい脚本の構造、見せ方に挑んでいるわけですね。
新井:『物語の~』でも触れていますが、映画に限らず世界中の映画や小説、マンガなどで評される「ストーリー」、つまり物語の筋書きは、いくつかのパターンに大別できます。ゴジラもある種、そのパターンのひとつで。「ゴジラという大きな問題が現れて、何とか仲間と力をあわせて作戦をたて、駆逐する」といった型は、ほぼ決まっています。
そんな制約があるなかで、ゴジラというモチーフをどう扱い、天地人(時代・舞台・登場人物)にどう特長を与えるのか、そのうえで斬新なシーンを入れながら、クライマックスを盛り上げていくか。脚本家にとっては腕の見せ所だし、やりがいがある仕事だと思いますね。
市川:今回は脚本と監督をお願いした山崎貴さんに「そろそろ『ゴジラ』、どうですか?」と声をかけたとき、「過去の時代のゴジラならいいですよ」と快諾してもらったんです。私自身は「あ、もう用意していたな」と感じましたが(笑)。そこから『ゴジラ-1.0』とタイトルにあるとおり、初代ゴジラの舞台だった1954年よりさらに前、戦中から戦後間もない1945年~47年に設定しましょうとなった。
すると、この頃は、軍隊は解散させられ、自衛隊の前進となる警察予備隊すらない時代。必然的に武器・弾薬がない状況で、どうゴジラと対峙するのか、民間の知恵でどう戦うのかを描くのが大きなモチーフとなり、本作のオリジナリティが定まりました。
――『物語のつくり方』では「テーマ」×「モチーフ」×「素材」の掛け算が、面白い物語の設定になるとありました。『ゴジラ-1.0』にあてはめると、どうなるでしょうか?
市川:それはまさに若手向けの勉強会のワークとして実施しました。人によって意見がわかれますが、たとえばある人はテーマを「生きる」だと感じ取っていた。モチーフは「戦争から逃げた男がもう一度戦う話」だと。そして素材は「戦後間もない1945年頃の日本・東京」で「ゴジラ」、そして「民間人たち」になるかなと。
新井:こうした設定と構成のうえ、シーンのうまさも秀逸でしたね。主人公の敷島のゴジラに向かわざるを得ない感情を右往左往するシーンが続く。しかし、やはりゴジラに立ち向かわざるを得なくなる決定的なできごとが起こり、決戦に向けて進んでいく。『物語の~』でも触れていますが、主人公がなぜその行動に至るかという「貫通行動」がとても巧みに描けていた。そこが欠けていると、観客は感情移入ができなんです。敷島の覚悟と、初手で抱かされるゴジラへの恐怖があってこそ、効いてくる展開でした。だから、クライマックスもグッとくる。
市川:敷島のキャラクターを「正直すぎる臆病者」あるいは「臆病すぎる正直者」としたのも、今の観客の皆さんに「共感性」を抱いてもらった気がしています。
新井:政治を描いた『シン・ゴジラ』では意図的になかった人間ドラマが今回はとても太く、また良かったですよね。
市川:山崎監督自身が「自分の集大成的作品だ」と言っていますが、本当に彼の集大成的な物語になった結果でしょうね。『ALWAYS 三丁目の夕日』というヒューマンドラマが彼の代表作のひとつであり、『永遠の0』と『アルキメデスの大戦』で空と海の物語を巧みなVFXを使って描ききってきた。そしてハリウッド映画が好きで、「『スター・ウォーズ』を観て、映画監督を目指した」という人ですから王道の起承転結が、彼の中には染み付いている。
――脚本づくりで最も苦労されたのはどのあたりでしたか?
市川:人間ドラマの部分より、「どうやったら武器・弾薬がない日本人が、このゴジラを倒せるのか」という作戦部分ですね。「無理じゃないか」「倒せないでしょう」と、日々、侃々諤々の議論をしていましたね。
新井:登場人物たちが対策に頭を悩ませたように、シナリオづくりがリンクしている(笑)。
――考えてみたら物語を描くこと触れることは、当然、そんな現実のシミュレーションにもなりますよね。ロジックがおかしくなければ、課題解決のヒントにもなる、というか。
新井:そう思います。だからこそ、物語のつくり方を伝えている『シナリオ・センター式 物語のつくり方』が映画関係者だけでなく、ビジネスパーソンの方にも、手に取ってもらえている理由かもしれません。自分だけでは太刀打ちできない問題に出くわすことは、仕事でも人生でもありえる。そんなときに、どんな声をかけて、どう仲間を集め、どう作戦を練っていくのか。たとえば今回のゴジラを観て、構成やシーンを分解する視点を持つと、実生活でも活かせるヒントになるかもしれない。
またゴジラに限らず、物語の創作は、舞台となる時代や登場人物について深堀りすることになります。自分ひとりだけではなく、何人もの登場人物の立場やセリフや思考を考えざるを得ない行為となる。自分ひとりの視点ではなく、他人の視点を意識するきっかけにもなると思うんです。ひとりよがりではない多面的なものの見方や、コミュニケーションを促す一端にもなるので、おすすめですね。
――最後に、市川さんは、勉強会などを通して育った若手プロデューサー陣にどんな期待をされていますか?
市川:やはり世界、とくに北米に向けて日本のエンタメ実写映画でヒット作を出していきたい。90年代にポケモンが大ヒットしたような前例はありますが、実写ではほぼ大ヒットがありませんからね。しかしいい映画はいい脚本から生まれる。また脚本術がアメリカでも、日本でもほぼ変わらないのだとしたら、しっかりと武器として脚本術を身に着けた人たちが、日本から世界を席捲する時代が来るはずだと、確信しています。
新井:そうですね。今回の書籍や「シナリオ・センター式」のメソッドを学んだ方の作品が、世界中でヒットすることになったら、私自身とても嬉しいです。