傑作ミステリの条件とは? 杉江松恋 × 千街晶之 × 若林踏『本当に面白いミステリ・ガイド』鼎談
レビュアーそれぞれの視点
ーーお三方それぞれの紹介文章を読んでのご感想を教えてください。
若林:千街さんはコラム「新本格以降の本格ミステリ」で、90年代後半から2000年代にかけてデビューした国内作家を紹介していますが、短い紙数の中で歴史を辿りつつ代表的な作家を余すところなく書いていて流石だなと感じました。また千街さんはジョン・ディクスン・カーの紹介で『貴婦人として死す』を勧めながら、カーと戦争の関係を掘り下げています。ロンドン空襲で命を落としかけながらも、大戦の最中に執筆を続けた。そんなカーの力強い面を窺い知ることの出来る作家ガイドになっていたと思います。
杉江さんの文章で印象に残っているのはジョルジュ・シムノンの紹介です。ミステリファンだったら「メグレ警視シリーズ」を思い浮かべる方が多いんですが、実は単発作品にも素晴らしいものがある。そうしたシムノンの幅広さを、短い文字数の中で網羅的に書いている点が良かったと思います。
また、メグレ物の長編でつい最近、新訳復刊した『サンフォリアン寺院の首吊り人』の紹介では、冒頭でメグレが怪しいと思った挙動不審の男を追う場面を抜き出して、その描写力の巧みさを論じています。シムノンはその人間が何を背負って生きているのかという心理的な部分を掘り下げるのが非常にうまいんですよね。具体的に場面を抜き出して作家を論じるとはこういうことなんだとよくわかる書評でした。
千街:若林さんはチェスタトンも書いていらっしゃるんですけど、主に現代作家を主戦場としていて、もう誰が来ても任せろという感じですね。本格ミステリに限らず、いろんな傾向の作家を紹介しています。例えば日本では呉勝浩さん、海外ではスチュアート・タートンなど書かれています。
若林:呉さんは最近は謎解き要素がとても強い作品も書かれていますが、本質的には犯罪が人々にもたらす波紋について描く作家だと思います。人が理不尽な犯罪に相対したときに、それに抗うことができるか、屈服することになるのかという問いに挑んでいる作家なんですね。今回のラインナップだと他の現代作家と比べて少し力点の違うことを書いているので、その部分を伝えることが出来ればと思いました。
千街:杉江さんはクラシックでカトリーヌ・アルレーを取り上げています。多分、今回紹介されたなかで一番読まれていない作家ではないかと思います。でも70・80年代には、アルレーの作品は土曜ワイド劇場などでよくドラマ化されていたんですよね。当時の2時間ドラマはよく海外の作品を原作としていましたが、原作者としてアルレーはウィリアム・アイリッシュとほぼ二大巨頭だったはずです。だから我々がオリジナルだと思っている物語の形が案外、アルレーによって作られたものかもしれないと書かれている。これは本当にそうだよなと納得しました。
杉江:僕は頼んだ側として、2人とも様々な要素を拾ってくれてありがたかったです。今は特殊設定ミステリが流行っているので、設定がいかに変わっているかという面ばかりが注目されるきらいがありますが、それだけでは一種の思考停止なんですよね。若林さんは方丈貴恵の作品について、その特異な設定だけではなく、巧みな手がかりの配置を論じています。
辻堂ゆめも大藪春彦賞を受けた『トリカゴ』はいわゆる犯罪小説の色合いが強い作品ですが、千街さんは社会的テーマの掘り下げとミステリの奥深さが融合した傑作であると論じています。無戸籍者というテーマと「フーダニット」の要素が不可分に結びついている。その両方をきちんと拾い上げてくれる人はいないんですよね。そこは大変ありがたいというか、信頼してお任せしてよかったと思います。