【山岸凉子を読むVol.4】相馬虹子、夏夜、羽深緋鶴・雪……山岸作品の印象深い“悪女”たちと、その共通点

羽深緋鶴・雪『鏡よ鏡…』

 最後に紹介する『鏡よ鏡…』はほかの2作とは趣が異なる。大女優の羽深緋鶴と、その娘で母に憧れているが、太っていて母に憧れながらも劣等感を抱いている雪の両方が、悪女としての資質を兼ねそろえているからである。

 緋鶴は美しく何人もの男性を侍らせているが、その実、自分が若さを失っていく怖さにとらわれている。そして彼女にはもっとも大切な人がいるのだが、雪がその人に出会って気に入られたことにより、彼女は狂気をむき出しにする。

 そんな母に気づいた雪は、母の大切な人に引き取られて、若いころの母と同じような道を歩み出す。

 この記事で紹介した3作のうち、唯一、後に悪女となるはずの雪視点で物語は進む。物語は、雪がいろいろなことに耐えてまで美を追求する母のような人生を送ることを示唆するが、悪女となった雪は幸福になれるのだろうか。母のようにならないという確証はどこにもない。

 虹子と夏夜も悪女として取り上げたが、虹子、夏夜、雪に共通しているのはまだ少女であるということである。『鏡よ鏡…』を雪視点で読むと、虹子視点の『蛇比礼』、夏夜視点の『星の素白き花束の・・・』も読みたくなる。

 緋鶴が「鏡よ鏡…」と全身を鏡でくまなく見つめるのは、そこに若さがあるか確認するためだ。若さは無限のものではないのだ。

 以上を明記したうえでこの記事をまとめたい。

若さを失った後、悪女たちはどうなる?

 虹子は伯母、夏夜は異母姉、雪は母よりずっと若い。しかしその若さを保てなくなったとき、彼女たちを待ち受けるものは何なのかが気になってしまう。もしや日夜、好きでもない野菜を食べ続け、美容に力を入れる緋鶴と同じ運命が待ちかまえているのかもしれない。

 蛇子は怪異的な存在なので後者のふたりとは異なるのかもしれないが、「悪女はずっと悪女のままではいられない」という現実が彼女たちには待っている。死なない限り老いる自分との格闘が始まるのだ。

 物語はそこまではもちろん描かない。しかし、最後に紹介した『鏡よ鏡…』はそれを示唆した物語のようにも感じられる。

※初出誌一覧
『蛇比礼』:「ぶ~け」(集英社)1985年9月号
『星の素白き花束の・・・』:「ASUKA」(角川書店、現在はKADOKAWA)1986年9月号
『鏡よ鏡…』(初出誌掲載時は『星の運行』:「ぶ~け」(集英社)1986年10月号

関連記事